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レアメタル千夜一夜 第204夜 九十四歳の現役が教えてくれた、資源を育てるという仕事

2026/10/11 07:38 FREE
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レアメタル千夜一夜 第204夜  九十四歳の現役が教えてくれた、資源を育てるという仕事

――台湾レアメタル開発の先駆者・劉建平氏を追悼する
【台湾で会った、忘れられない人】
レアメタルの歴史を書こうとすると、鉱山の名前や金属の価格が先に浮かぶ。しかし、長くこの商売に携わってきた私には、数字よりも先に思い出す顔がある。台湾の劉建平さんである。

台湾レアメタル開発の第一人者として、私がこの「千夜一夜」に名前を残しておきたい人だ。劉さんは、台湾肥料で技術者・経営者として経験を積んだ後、天弘化学の創業に関わり、化学の仕事を通じて日本との縁を育てた。

二〇一四年、私は六年ぶりに台湾を訪れた。レアメタルやレアアースの取引先を回る旅だったが、何より楽しみにしていたのは、三十年以上の付き合いになる劉さんとの再会だった。

そのとき、劉さんは九十四歳。天弘化学の相談役として、朝早くから夜遅くまで仕事を続けていた。こちらは商売の相談に出かけたつもりなのに、気がつけば、自分のこれからを教わっている。そんな再会だった。

【定年の先に、もう一つの出発があった】
劉さんは一九二〇年、中国湖南省の湘潭県に生まれた。一九四六年、国民党の要請を受け、技術者として台湾へ渡った。その後、国営企業の台湾肥料で働き、役員としての定年を迎えた後、天弘化学の創業に携わった。

天弘化学股份有限公司(Uranus Chemicals)の会社としての設立は一九七五年である。一方、劉さんが台湾肥料を退職し、定年後に創業者として事業に関わり始めたのは一九八三年だった。つまり、法人としての会社設立年と、劉さんによる創業・事業開始の年は異なる。この区別を明確にしておくことが、劉さんの歩みを正確に伝えるうえで重要である。

劉さんが本格的に創業者として歩み始めたのは、六十代に入ってからだった。
普通なら、長年の勤めを終え、肩の荷を下ろす頃だろう。ところが劉さんは、そこから新しい事業に力を注いだ。蓄えた技術と経験を、次の仕事に生かしたのである。

人生には、年齢で引かれる区切りがある。定年という制度も、その一つだ。しかし、制度の区切りと、人間の可能性の区切りは、必ずしも同じではない。劉さんの歩みを見ると、そのことがよく分かる。
私たちとの取引は、台湾から日本への蓚酸の輸入と、レアアース資源開発への協力を通じて始まった。化学品の商売と資源の仕事が、人と人との付き合いを結んでいった。
ここに、劉さんを記憶しておきたい理由がある。レアメタルの世界を支えてきたのは、鉱石を持つ人だけではない。化学を理解し、技術を事業に結びつけ、使う側と対話できる人もまた、欠かせない存在だった。

【天弘化学とレアアース事業の背景】
天弘化学股份有限公司(Uranus Chemicals)は、一九七五年に台湾で設立された。独自技術によるシュウ酸(草酸)の専門メーカーとして発展してきた会社である。シュウ酸は、金属表面処理や各種化学工程に用いられるだけでなく、レアアース、すなわち希土類元素の分離・精製工程において、沈殿剤などとして重要な役割を果たす。

シュウ酸は、蓚酸または草酸とも表記される。本稿では、会社の製品説明に合わせて、以下「シュウ酸」と記す。

レアアースは、鉱石から目的元素を取り出せば終わりという資源ではない。複数の元素が共存する原料から、化学的性質の違いを利用して分離し、必要な純度の化合物へ仕上げなければならない。その工程では、酸やアルカリ、抽出剤、沈殿剤などの薬品が使われる。シュウ酸も、その一端を担う重要な化学薬品である。

天弘化学の歩みは、こうした基礎化学品の製造と、レアアース産業の発展が結びついていた時代を映している。公式な沿革によると、一九八四年には「鑫海レアアース工業股份有限公司(Xinhai Rare Earth Industrial Co., Ltd.)」に投資し、新竹工業区に同社を設立して、レアアース化合物の生産にも取り組んだ。

つまり天弘化学は、シュウ酸を供給する側にとどまらず、レアアース化合物を実際に生産する事業にも関わったのである。化学薬品の知識を持つ企業が、資源の分離・精製という川上と川下の間に入り、台湾のレアアース産業を支えようとした。その意味で、劉さんの仕事は単なる化学品販売ではなく、資源を産業へ変えるための基盤づくりだった。

ただし、現在の天弘化学はレアアースの生産を終了している。事業の軸を変え、現在ではコバルト塩類の生産において台湾有数の企業へと発展している。ここでいう「台湾一」は、特定の製品分野や市場における評価を指す表現であり、対象範囲を明確にしないまま台湾全体の企業規模を意味するものではない。この変化もまた、資源産業の現実を示している。市場の需要、原料事情、技術の蓄積、顧客の要求に応じて、企業は得意分野を組み替えながら生き残っていく。

レアアースからコバルト塩類へ。扱う元素や用途は変わっても、化学反応を理解し、安定した品質で供給し、顧客の工程に合わせて製品をつくるという本質は変わらない。天弘化学の現在は、専門性を別の資源分野へ展開した結果ともいえる。

【資源は、使える形になって初めて価値を持つ】
地下に金属がある。それだけで、産業が育つわけではない。
掘り出したものをどう処理し、どのような品質で届けるか。買い手が必要とする材料にできるか。試作品ではうまくいっても、継続して供給できるか。資源の商売には、こうした地味な問いがついて回る。

これは劉さん個人の製造実績を列挙する話ではない。化学品とレアアースを通じて劉さんと付き合ってきた私が、その仕事の意味を考えるときに、たどり着く見方である。

世間の関心は、とかく新しい鉱床や大きな埋蔵量に集まる。それも大切だ。だが、資源が工場で役に立つまでには、技術者の工夫や、取引先とのすり合わせが幾重にも重なっている。
鉱山の発見には名前が残りやすい。材料を使えるようにする仕事は、表に出にくい。そのため、産業が出来上がってから振り返ると、途中で汗をかいた人の顔が見えなくなってしまう。

私は、それが惜しい。
劉さんの功績も、会社の設立年や役職を一行で記すだけでは伝わらない。技術者として積み重ねた経験を事業へつなぎ、日本との取引と協力を続けた。その歩みを、人の名前とともに残しておきたいのである。

【小さな企業が、世界で生きる方法】
再会したとき、劉さんとの話は、台湾の産業や中国の動向に及んだ。なかでも印象に残ったのは、台湾企業の成長についての見方だった。
企業の規模が小さいからこそ、専門分野に力を集中し、国際競争力を高める。何でも自分で抱え込むよりも、得意な仕事を磨き、世界の中で必要とされる場所をつくるという考え方である。

この話を聞いて、私はレアメタル商売の現場を思い浮かべた。
大企業と同じ品ぞろえ、同じ設備、同じ人員を持とうとすれば、小さな会社は息切れする。しかし、ある材料について深く知り、顧客の困り事に応えられるなら、規模だけでは測れない強さが生まれる。

一つの専門を磨くというのは、視野を狭くすることではない。むしろ、自分の仕事がどこで必要とされるのか、広い世界を見なければできない仕事だ。

劉さんの話には、そうした台湾企業のしたたかさがあった。相手の大きさを恐れるだけでは商売にならない。自分の持ち味を知り、組める相手と組み、外へ出ていく。その発想は、日本の専門企業にも考える価値がある。

二〇一四年の記事では、台湾企業を通じた対中投資にも触れた。ただ、その当時の投資判断を、そのまま今日に持ち込むつもりはない。ここに残したいのは、時代ごとの手法よりも、専門性と人のつながりから道を開く姿勢である。

【技術の隣に、人への責任があった】
劉さんの歩みは、仕事の成功だけで語れるものではなかった。奥さんと息子さんを失うという悲しみを経験しながら、社員や後輩を支え続けていた。

その姿に接して、私は頭が下がった。

経営には、売上や利益で確かめられる成果がある。一方で、数字にしにくい仕事もある。長年働いてきた人が安心して相談できること。若い人が迷ったときに、経験を分けてもらえること。苦しい局面でも、誰かが仕事の意味を見失わずにいることだ。

年長者の役割とは、昔話を聞かせることだけではないのだろう。自分の経験を、目の前の人が次へ進むために使う。劉さんが相談役として現役であり続けたことを、私はそのように受け止めている。

もちろん、九十四歳まで働くことを、誰にでも勧めたいわけではない。それぞれの体力も、事情も、望む暮らしも違う。ただ、年齢を重ねても、人の役に立つ場所がある。その事実は、私に大きな勇気を与えてくれた。

会いに行った私のほうが、励まされて帰ってきたのである。

【千夜一夜に、名前を残す】
レアメタルの相場は動く。取引の形も変わる。かつて当たり前だった商売が、いつの間にか姿を消すこともある。

だからこそ、産業を支えた人の記憶は、意識して書き留めておかなければならない。

劉建平さんは、一九二〇年に湖南省湘潭県で生まれ、一九四六年に技術者として台湾へ渡った。台湾肥料で経験を積み、定年後の一九八三年に、天弘化学の創業者として事業に関わった。
劉さんは、日本との化学品取引やレアアース開発への協力を通じて、長い関係を育てた。

天弘化学は、シュウ酸の専門メーカーとして発展し、一九八四年には鑫海レアアース工業股份有限公司への投資を通じて、レアアース化合物の生産にも関わった。その後、レアアース生産からは撤退し、現在はコバルト塩類の生産を主力とする台湾有数の企業へと事業を転換している。この変遷は、資源産業において、技術と市場を見極めながら事業を変えていくことの大切さを教えてくれる。
私は、その歩みの中に、資源の仕事の本質を見る。知識を蓄え、それを使い、人と結び、次の仕事へ渡していく。地下の資源だけを見ていては分からない、産業を育てる営みである。

二〇一四年の再会から、時間が過ぎた。それでも、九十四歳で天弘化学の相談役として仕事に向き合っていた劉さんを思い出すと、こちらの背筋も少し伸びる。
まだ、自分の経験を誰かに渡せるのではないか。
そう思わせてくれた台湾の老朋友。その名を、この第198夜に残しておきたい。

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