昭和の時代、日本の鉄鋼業界は比較的におおらかでした。厳しい対立が存在したのは、電炉業界の雄であった東京製鉄と新日鉄のH形鋼戦争ぐらいです。高炉の間では喧嘩せずに仲良くやろうぜ・・という雰囲気でした。それは国内だけでなく、海外の製鉄会社に対してもそうでした。
高炉各社の兄貴分であった新日鉄は、最新技術を惜しみなくライバル企業に提供しましたし、減産時には進んで自社の高炉を止めました。中国から鄧小平が来て君津製鉄所を見学し、「これと同じものをうちにも欲しい」と漏らすと、すぐに上海宝山区に一貫製鉄所を建設しました。筆者が日鉄の人に尋ねると「そもそも官営八幡製鉄所は日清戦争の賠償金2億兩を原資にして建設された経緯があるから負い目があるのかも・・」とのことでした。
山崎豊子の小説“大地の子”にはその辺りの逸話が書かれていますが、脚色が強く、あまり正確でないのが残念です。
製鉄先進国であった欧米に対しても同様でした。第二次世界大戦の前からの古い設備を使っていた欧米の製鉄各社は、設備更新の時期を迎えていました。インゴットから連続鋳造への切り替え、大型高炉への巻替えなど・・多くの設備更新の更新、さらにハイテンの製造方法などソフト面の技術を惜しみなく、低価格で供給しました。
バブル期の前ですが、日本企業は規模の大きさを追究する発想がありました。森永エールチョコレートという少し大きめのチョコのCMでは、山本直純が大きなチョコに跨って指揮をしながら「おおきい事はいい事だ」と歌い上げていました。
実際のところ、製鉄業はスケールメリットをおおいに享受できる産業です。特に上工程で高炉の炉容を追求し、昭和50年代には内容積5千m2を超える超大型高炉が登場しています。スケールメリットの追求は、単に熱効率や生産コストの問題だけではありません。大型の高炉一貫製鉄社は多様な製品群をカバーします。厚板、薄板、鋼管、形鋼、線材条鋼、ステンレスといった品ぞろえですが、景気変動によって一部の需要家の注文が減っても、全体の生産を維持できるという特徴があります。
例えば、昭和50年代の初頭に造船不況が発生し、注文が激減する事態が発生しましたが、自動車向けや石油掘削用鋼管の需要が好調で、製鉄所全体では高水準での製造を維持できました。安定的に生産量が増加していったのは自動車用鋼板で、製鉄所の比重は厚板から薄板へ移っていきました。問題はメッキ鋼板の仕様で、トヨタ・ホンダなどが溶融亜鉛メッキ鋼板(GA)なのに、日産・マツダなどが電気亜鉛メッキ鋼板(EG)を採用し、製鉄所では2種類のメッキラインを維持する必要があるという問題点がありました。上工程の技術開発は、転炉吹錬から、真空脱ガスを中心とした炉外精錬や脱リンなどの溶銑予備処理に移行していきました。鋼中のトランプエレメントをどこまで減らせるかが重要課題でした。
平成の時代・・1980年代の日本の製鉄会社を鍛えたのは、自動車会社です。欠陥発生率は3ppm以下、もしくは機械特性のバラつきを6σで管理する手法、そしてトヨタのカンバン方式に代表されるジャストインタイムの厳しい納期管理、そして毎年求められるコスト合理化努力・・・外国の需要家からは求められない要求に対応したのは日本の高炉メーカーです。
技術開発面での先行、そして現場の自主管理活動(JK活動)による現場のコスト低減努力が噛みあいました。なぜ、それが可能であったか?
日本の鉄鋼労働組合は経営側に対して宥和的でした。昭和30年代に最後のストライキをした後は、大規模な団体行動権の行使はありません。経営側と組合はストライキを実施することはあっても高炉の操業は止めない・・という協約を結んでいます。
なぜ、それが可能であったかと言うと、昭和の時代、鉄鋼の賃金水準は他産業に比べて高く、従業員の意識レベルを高く維持できたという事情があります。では外国はどうか?というと、そう簡単ではありません。
北米の五大湖周辺には、多くの高炉メーカーがありましたが、会社を横断する全米鉄鋼労組つまり泣く子も黙るUSWがスト権を元に経営に強い影響力を与えていました。欧州はそれほど先鋭的ではありませんがやはり組合は強力です。
韓国に至っては、賃金改定の時期が来ると、組合は実力行使をいとわず、労務部長は浦項製鉄所内の1室に軟禁されて、血まみれの状態で救出されるという過激さです。国を代表する製鉄会社で流血の事態が恒例だったのです。中国の製鉄所は・・ストは無く、従業員は従順です。工会という団体はありますが、多くは社員の親睦団体です。
労使協調は、重要なポイントですが、製鉄会社の経営はそれだけではありません。固定費をいかに抑えるかは常に課題ですが、高度成長期に採用された日本の鉄鋼マンはまだ若く、年金世代にはなっていませんでした。
一方、戦前から多くの製鉄所と多くの社員を抱えていた、欧米の製鉄所は退職社員の年金負担、医療費負担が重くのしかかっていました。いわゆるレガシーコストです。特にこのレガシーコストは21世紀に入って、米国の大手鉄鋼メーカーを苦しめ、会社更生法(チャプター11)の濫発を招き、新興企業のミニミルの台頭を許すことになりました。
ここまでは高炉メーカーの話です。電炉メーカーは少し事情が違います。電炉の製品群は建材用の条鋼線材や形鋼など、品種が限られ、付加価値も限られます。(これは普通鋼の世界で、特殊鋼の世界は違います)。建築業界の景気の浮沈の影響を大きく受けます。高炉と違い安定操業を強いられる訳でありませんが、単一品種、単一業界を需要家とする産業は不安定です。政府の護衛船団方式の庇護もなく、経営は高炉より厳しいのですが、経済全体の成長の恩恵を受け、また開発された製鉄の新技術を共有することで独自の発展を遂げました。
森林が喬木(高木)だけで成り立つ訳ではなく、灌木や下草が共存することで維持されるように、日本の鉄鋼産業は高炉と電炉の共存によって成り立っていました。
高炉メーカーは電炉メーカーの系列化を進め、独立系の電炉メーカーと経営方針に違いが生じましたが、大きな問題ではありませんでした。
やがて1980年代に入り、時代はバブル期を迎えました。心ある鉄鋼の経営者はあることを憂慮していました。
「新技術が登場しない。このままでは衰退するのでは?」
前回言及しましたが、日本の鉄鋼業が発展したのは、製鉄3大発明をいち早く取り入れた事によります。優位性を維持するには継続的に新技術を取り込む必要があるのですが、その画期的な技術が無いのです。例えば新日鉄が開発した連続焼鈍などは十分に画期的なのですが、エポックメーキングとまでは言えません。
それに加え、戦後に建設した製鉄所の設備の老朽化が進行しつつありました。熱延工場を作り直すにも軽く1千億円はかかります。中型の高炉の巻替えでも数百億円かかります。ながらく製鉄所の設備投資額は減価償却の範囲内としていましたが、そんな事は言っていられません。特にネックなのはコークス炉です。「ただレンガを積んだだけの炉じゃないか?レンガ積みなら高炉や転炉の方が技術のレベルは高い」というのは誤りです。コークス炉の建て替えをどうする?というのは、数十年前から続く、「今ここにある危機」なのです。
老朽化するのは設備だけではありません。人間も年をとります。日本の年金制度は米国のペンションプランとは異なるので、退職者への支出が会社経営を圧迫することはありませんが、退職していく高齢社員の技術・技能をどう伝承していくか?という問題があります。まだAIという概念はなかったのですが、コンピューターにノウハウを蓄積しようという試みはありました。
1990年代です。アナログの塊のような高炉操業のノウハウを、コンピュータプログラムに組み込む訳です。ベテランの作業長クラスの人に「語り部」になって貰い、プログラム言語はLISPかPROLOG系の言語で数万ステップのプログラムにします。一時期は雑誌『鉄と鋼』に、コンピューターを使って技能の伝承ができた・・という報告が相次ぎましたが、本当にうまくいったのかは不明です。高炉が冷え込むトラブルは全国で時々おこっていました。それに何と言っても、AIによる技術・技能の伝承は現状維持が目的の守りの技術です。攻める技術ではありません。
もうひとつの問題はピラミッド型を維持できなくなった組織の人員構成の問題です。かつてプライドも高いエリート集団だった鉄鋼の技術者は、その年齢ごとに活躍の場を与えられていました。生産量が増え、工場が建設されることでポストが増え、皆が課長・工場長・部長になれた時代が続きました。しかし安定期に入るとそうは行きません。高度成長期に毎年多くの人を採用した結果、年齢構成はピラミッドからズン胴型になっていきます。一方で製鉄所の現場は軍隊型の上意下達のピラミッド型の組織を維持しなければなりません。あふれた人は間接部門に行き、部下のいない管理職になったり、子会社・関係会社への出向となります。出世コースを外れた人達のモチベーションをどう維持するか、あるいは価値生産と俸給が乖離した人・・・つまり給料だけ高くて働かない中高年をどう抱えていくか? 人事労務面の問題は、1980年代以降顕在化しました。組合が穏健でも労務・人事問題は常に存在し、頭の痛い問題でした。
1980年代のある日、筆者は外国のあるニュースを見ました。それは米国を代表するエリートの卵が巣立つ、ハーバード大学のMBAコースの卒業式で、鉄鋼が見向きもされなくなったという話です。USスチールをはじめ、幾つかの大手鉄鋼のリクルーターがMBA修了者に就職を誘っても、誰からも相手にされなかった・・という記事です。かつて米国を代表する製造業だったのに、人気が無く、人々は金融やコンピュータービジネスに流れ、理科系について言えば、学部卒業後に医学部進学を希望する人ばかりになったのです。
筆者はこの話を、尊敬する上司のひとりである徳田誠さんに話しました。徳田さんは「鉄鋼に限らず、全ての産業の衰えは人材の枯渇から始まる。まず優秀な人が集まらなくなって、その後、時間をおいて産業が衰退するのさ。米国の鉄鋼産業の将来は暗い」と語りました。そしてこうも言われました。多くの社会現象は米国で流行った後、10年、20年の時間差をおいて日本でも起こる。米国鉄鋼業の問題は、他人事ではないのだよ」。そして筆者の目をじっと見ました。
(現にクセジュ君程度の人が入社してきている。人材の質の低下は始まっている)
以下、次号に続きます。