ステンレスをこよなく愛した男 株式会社ゴトウ後藤守宏会長お別れの会

21日、東京ステーションホテルにて、株式会社ゴトウの故後藤守宏氏のお別れの会が執り行われた。関係者、取引先など約150名が参列。故人をしのんで懐かしい顔が一同に会した。
一分間の黙祷に続いて、ゴトウ現社長の後藤 雄一氏が挨拶。
「ご紹介に預かりました、株式会社ゴトウ代表取締役、後藤 雄一でございます。皆様、本日は弊社会長、後藤 守宏を送る会にご参列頂きまして、誠にありがとうございます。また、遠路はるばるお越しいただいた方にも篤く御礼申し上げます。弊社会長は1935年生まれ、享年89歳でした。
1950年、15歳のときに岐阜から上京し弊社先々代社長、後藤兼太郎の元でステンレス業界の門を叩きました。その後、専務を経て、1978年 第2代の弊社社長に就任致しまして、2023年の12月に会長になるまで、46年間社長を務めあげました。またその後、会長として昨年11月1日に没するまで、これは実に74年間このステンレス業界に身を置いていたという事で、常々口にしていた『生涯現役』を貫いたという事になります。
また、会長を一言で申すならば『ステンレスをこよなく愛した男』というフレーズが浮かんでまいります。
常々『ステンレスに囲まれているときが一番幸せなんだ、俺は』という事を言っておりました。
他に普段話す事というと、大体スクラップ業者さんだと分かると思いますが、どこどこが何円高いとか安いとか、そういう会話は日常茶飯事に出てくるのですが、会長からは出てこなかったんですよね。
会長からはむしろステンレス業界全体を気にしたような発言、そういったことの方が多く出てきていたというのが印象に残っております。
戦後間もない、ステンレススクラップがそれほど認知度がなかった時代に、色々なアイディアを駆使して製品化、業務を拡大し、1960年からは各メーカーさんに対して製鋼原料としてのスクラップを、品質・数量を信用第一のもとに安定供給にずっと務めてきました。
この方針は、本日になっても変わっておりません。信用第一を社是としまして、弊社会長が考えていたステンレス業界にともかく貢献するという事を、我々も今後引き継いでまいりたいと思っております。よろしくお願い致します。本日はどうも、ありがとうございました。」
続いての弔辞では
日鉄ステンレス株式会社 原料・業務部長 中島晋一氏
「株式会社ゴトウ 前会長の御霊前に日鉄ステンレス株式会社を代表して、謹んでお別れの挨拶を申し上げます。
株式会社ゴトウ様は昭和35年に、日鉄ステンレスの源流である日本ステンレスとの取引を開始されました。日本ステンレスは、住友金属工業、新日鉄住金ステンレス、日鉄ステンレスと名前を変えてきましたけれども、後藤会長は最重要スクラップディーラーとして、黎明期から今日に至るまで、我が国のステンレス産業に大きな足跡を残されました。
思い起こせば、私が会長と最初にお会いしたのは、平成10年頃のことと記憶しております。当時、住友金属工業と新日鉄がステンレス事業を統合しようとしており、ステンレス鋼事業を住金から新日鉄に移管する事が決定していました。
私は新日鉄の購買担当として、住金系スクラップディーラーがステンレススクラップの納入先を慣れ親しんだ住友金属工業から新日鉄に変更する現場に居合わせました。
それまでは住友金属工業と新日鉄はスクラップの調達競争をしていたわけですから、住金系のスクラップディーラーの立場からすると、大変なご苦労をして集めたスクラップを新日鉄に納入してくれと言われても、嬉しいはずがありません。
他のステンレスメーカーにスクラップを売ることも出来たはずです。しかしながら、後藤会長は住金系スクラップディーラーを取りまとめ、新日鉄に納品する事を決断されました。以後四半世紀に渡って、首尾一貫して日鉄ステンレスとともに歩んでいただいた事、誠にありがたく、感謝の念に堪えません。
また、後藤会長はブレンドスクラップを製造する株式会社ジェイエスプロセッシングの株主、あるいはヤードオペレーターとして納入業者という枠を越え、日鉄ステンレスの原料調達政策に深く関与されました。
日本製鉄グループのパートナーとして、ステンレススクラップ業界の改革に御尽力されたと申し上げても誇張にはなりません。改めて感謝の言葉を申し上げたいと思います。さらに毎月の打ち合わせにおいては、ステンレススクラップのみならず、ステンレスの製品販売や海外情勢、更にはステンレス業界の在り方にまで言及され、比類のない経験と見識に基づくご助言を頂きました。後藤会長の励ましによって私どもが前に進む事が出来たと考えております。
本日、後藤会長とのお別れの日を迎え、私は心細さを感じる一方で、ご遺影を前に励ましの言葉を頂いております。後藤会長の御恩に報いる為に、ステンレス業界の発展に微力ながら尽力する事を近い、お別れの言葉とさせて頂きます。どうか心健やかにいて下さい。令和7年1月21日、日鉄ステンレス株式会社 原料・業務部長 中島晋一」
続いて
日本冶金工業 原料鉱石部長 石塚道夫氏の弔辞
「株式会社ゴトウ 取締役会長 故・後藤 守宏様のお別れの会にあたり、日本冶金工業株式会社を代表致しまして、謹んでお別れのご挨拶を申し上げます。
後藤会長が長年にわたり、弊社の原料調達における最良のパートナーで有り続けていてくださいました。その卓越した知識と洞察力に、スクラップのお取引の拡大はもとより、多種多様な特殊合金スクラップや、ステンレススクラップの調達において、多大なるご尽力を頂きました。
特に、付加価値や物体価値の考え方を、的確に導いて頂いたことが、原料の安定調達を可能にし、コストダウンという大きな成果をもたらした事は、今日に至るまで弊社の競争力を支える基盤となっております。
また、後藤会長は業界全体の調和と安定にも多大なご貢献をされまして、過剰な競争がもたらす需給双方の損失を未然に防ぐため、業界協調の必要性を常に説いてくださいました。そのお考えは、私達が市場の安定と調和を維持し、受給双方の利益を確保する道筋を明確に示して下さいました。
まさに業界の灯台のような存在であり、私達にとって計り知れない価値を備えていました。後藤会長が私達に教えてくださったこと、示してくださった道は、今後も私達が歩むべき道しるべとして心に刻んで参ります。
その高い志と温かいお人柄は、決して色褪せる事無く、私達の記憶と感謝の中に永遠に息づいていくことでしょう。ここに改めて、長年に渡り賜りましたお取引とご尽力に心より感謝申し上げます。そして後藤会長様の御冥福を心よりお祈り申し上げますとともに、ご遺族の方に深くお悔やみを申し上げます。後藤会長、本当にありがとうございました。どうか安らかにお眠り下さい。令和7年1月21日 日本冶金工業 原料鉱石部長 石塚道夫」
最後に
岐阜県美濃市長 武藤鉄弘氏が霊前の前に立ち長年の思いを語った。
「株式会社ゴトウ 後藤守宏会長。会長様の御霊前に 市を代表し、謹んでお別れの言葉を申し上げます。また、長年苦楽を共にしてこられた奥様、ご遺族の皆様をはじめ、株式会社ゴトウの社員の皆様に対し、心よりお悔やみと哀悼の意を申し上げます。
本日のお別れの会のご案内を頂き、昨年11月にご逝去された事を知りました。常日頃から、お元気に過ごされていたのだと思っておりました。守宏様の訃報に接し、言いようのない驚きの中にあり、現実として捉える事が未だに出来ておりません。
守宏様から生前にお聞きした話では、お母様のご実家が美濃市蕨地区で、太平洋戦争の時に実家を頼り、ご家族とともに美濃市へ疎開されたとお伺いしました。
お母様からは食糧事情など大変厳しい疎開生活の中で、蕨生地区をはじめ、備前地区の方々には大変親切をしていただいたのだ、その思いを絶対に忘れてはならないと言い聞かせた人でございます。
また、蕨生地区のご親類の方や同級生の方々のお話では、年に一回開催される同窓会において、同級生の今を撮影し、アルバムにして皆さんに配られた事や、疎開していた家から見える板取川の風景が、大変気に入っていたようで、写真撮影の為に蕨地区を訪れておられたという事をお伺いしました。
守宏様は心から地区に思いを寄せられ、蕨生地区の事が好きで、愛されていたのではないかとお伺いした話から、深く感じている所でございます。
この思いが20年以上にわたり、ふるさと美濃市をご支援くださった事につながったものと思っております。このご功績は美濃市の発展、また地域の発展に大きな力となり、心より感謝を申し上げます。ご功績の中でも、蕨地区など、地域の子どもたちが通園する子ども園には、園児たちが安全に、安心して生活が出来るよう、大きな思いを寄せられ、園舎の整備、園庭の芝生化、車庫の整備など、細部にわたり多額のご支援を頂きました。現在では子どもたちはのびのびと園内を走り回っています。
さらには美濃市の伝統産業である美濃和紙職人の育成、高齢者施設であります美濃北デイサービスセンターの送迎車両の更新など、後藤様の功績は、この地区に住む人々の心に寄り添った、大変ありがたいものとなっています。これ以外にも、市内で開催される『美濃和紙あかりアート展』などの各種イベントにも心を寄せて頂き、関係者一同、今日までのご支援に大変感謝をしております。後藤様のご功績に対し、その都度感謝をお伝えしておりましたが、十分に意が尽くされたというようには思っておりません。それほどにあなたからのご支援は、心に残る大きなものとなっておりました。
私が平成26年1月に市長に就任して以降、コロナ禍を除き、東京の会社に年1回はお礼を申し上げに訪問させて頂いた際も、大変暖かくお迎えくださり、守宏様の人柄と大きな心に触れさせて頂きました。
平成30年3月の蕨生地区にある『久昌院 光房道』の完成記念式典にいらっしゃられ、これが最後の美濃市への訪問という事をお聞きしました。私も式典会場に出向き、色々なお話をさせていただいたのが昨日のように目に浮かんで参ります。
今、美濃市は人口減少など多くの課題がありますが、昨年は市制施行70周年や、美濃手漉き和紙技術のユネスコ無形文化遺産登録10周年など、多くの周年
記念を迎え、市民とともに美濃市の信頼に向けて、新たな一歩を歩み始めました。守宏様が愛情を傾け、思いを寄せられ、愛した故郷美濃市。その美濃市が、笑顔あふれる元気な街になるよう、一人ひとりが挑戦、豊かな街の実現に向け、市民とともに邁進して参ります。どうかこれからの美濃市の未来を、天上より見守り下さい。
結びにあたり、蕨生地区の皆様からは、わたしたちの分まで御霊前に感謝の思いを伝えて下さいと申し使って参りました。蕨生地区の皆様並びに美濃市を代表し、生前のご遺族や数々のご奉仕を頂きました。深く御礼を申し上げるとともに、安らかなる御冥福をお祈り申し上げ、弔事と致します。後藤守宏さん、さようなら。そして、ありがとうございました。令和7年1月21日 美濃市長 武藤鉄弘」
(故人をしのんで献杯 懐かしい顔が揃う)
(会場には守宏会長への表彰状など思い出の写真も飾られていた)
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ステンレスおよびスクラップ市場の過去・現在・未来について ゴトウの後藤社長に聞く
80年の歴史に変化を求め、攻めの経営スタイルに変身――老舗ステンレススクラップディーラー ゴトウ
(IRUNIVERSE Ichimura&Tanamachi)
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