タングステン――日本が育てた中国の「市場の皇帝」
45年前、すべては粗悪な原料から始まった
中国の過当競争は、EVや太陽光パネルから始まったのではない。
その原型は、すでに45年前のタングステン市場に現れていた。
私が中国とのレアメタル貿易を始めたのは、1980年代初頭である。最初に扱ったのがタングステンだった。
中国では戦前から、江西省を中心に大規模なタングステン資源が発見され、採掘されてきた。資源量は豊富だったが、当時の品質は決して高くなかった。不純物が多く、品質のばらつきも激しい。今日の中国製タングステンからは想像もできないほど、粗雑な原料や中間物が少なくなかった。
しかも外貨を必要としていた中国は、品質や採算よりも輸出量を優先した。国内事情が厳しいなか、外貨獲得のために安値でも海外へ売る。いわゆる「飢餓輸出」である。
安い。しかし品質は悪い。
これが当時の中国産タングステンに対する、日本企業の率直な評価だった。
ところが、私はその粗悪品の向こう側に、巨大な可能性を感じていた。
品質さえ改善できれば、中国は世界最大級の資源量と低い生産コストを武器に、国際市場へ一気に出てくる。そう直感したのである。
日本へ売るため、日本の技術を教えた
問題は、日本のタングステンメーカーが求める品質だった。
鉱石を掘って、そのまま日本へ運べばよいわけではない。タングステン製品を作るには、鉱石を化学処理し、不純物を除去して、中間原料へ精製する必要がある。
その代表的な中間物が、APT、パラタングステン酸アンモニウムである。
APTは、その後に酸化タングステン、タングステン粉、炭化タングステン粉などへ加工され、超硬工具、切削工具、鉱山工具、電子部品などに使われる。品質の安定したAPTを作れるかどうかが、川下産業へ進むための重要な関門だった。
当時の中国には、資源はあった。しかし、日本市場で通用する高品質のAPTを安定して生産する技術と品質管理が十分ではなかった。
そこで私は、日本のタングステンメーカーに頭を下げた。
「中国から良質なAPTを輸入するために、工場を見せていただけませんか」
日本企業にとって、製造現場は競争力の源泉である。簡単に外国の技術者へ開示できるものではない。それでも将来の原料確保や日中間の長期的な取引関係を説明し、技術交流という形で、中国の技術者を日本の工場へ案内した。
どの不純物を、どの段階で除去するのか。
日本のユーザーが何を問題にするのか。
分析値をどこまで管理しなければならないのか。
設備を動かすだけでは分からない、日本式の品質管理、工程管理、顧客対応の考え方まで、できる限り伝えた。
当時は、それが正しいことだと信じていた。
中国の品質が上がれば、日本は安定した原料を確保できる。中国は外貨を獲得できる。日本のメーカーも、中国の生産者も、私の商売も大きくなる。
実際、中国産APTの対日輸出は成功した。
品質が上がるにつれて取引量も増えた。私自身、中国との商売が猛烈な勢いで拡大していくことがうれしかった。
私は産業スパイではない。しかし結果だけを見れば、日本の優れた技術や工程管理の考え方を、中国へ驚くほど速いスピードで伝える役割を果たした一人だったのだろう。
中国は技術だけでなく「勝ち方」を学んだ
中国側が学んだのは、APTの作り方だけではなかった。
日本の工場を訪れ、日本の技術者と交流するなかで、彼らは原料から中間物、さらに川下製品へ至る産業全体の構造を観察していた。
日本企業がどの品質を求めるのか。
どの工程に付加価値があるのか。
顧客は何を基準に仕入れ先を選ぶのか。
どの製品まで加工すれば利益が増えるのか。
こちらが意識して教えたことだけではない。工場の動線、分析方法、品質保証、設備管理、技術者同士の会話から、彼らは貪欲に吸収していった。
中国はここで、資源国としての「甘い蜜」を知ったのだと思う。
鉱石を安値で売るより、APTに加工して売った方が利益は大きい。APTだけでなく、酸化物、金属粉、炭化物、超硬工具へ進めば、さらに大きな市場を握ることができる。
そして何より重要なのは、圧倒的な資源量と安値を武器に海外の競争相手を減らし、その後に加工工程まで国内へ取り込めば、価格決定力そのものを握れるということだった。
中国は技術を学んだだけではない。
世界市場の支配方法を学んだのである。
善意の技術交流が、工程支配へ変わった
もちろん、当時から中国政府が現在の姿を完璧に設計していたとは思わない。
45年前の中国は、まず外貨を稼ぐことに必死だった。地方政府は地域の産業を育て、企業は輸出を増やし、技術者は先進国へ追いつこうとしていた。
日本側にも合理性があった。安定した原料供給を確保し、中国の品質を引き上げることは、日本の製造業にも利益をもたらした。
初期段階では、確かに相互補完関係だった。
しかし、中国はそこで止まらなかった。
ある企業がAPTの輸出で成功すれば、別の地域も工場を造る。地方政府が企業を支援し、銀行が融資し、似たような生産設備が次々と建設される。
供給量が需要を上回れば、企業は価格を下げて輸出する。利益が薄くなっても、雇用や生産量、市場占有率を優先する。価格が下がれば、日本や欧米の生産者は採算を維持できず、減産や撤退を迫られる。
競争相手が減ると、中国の世界シェアはさらに高まる。
こうして、
「大量生産する」
「価格を下げる」
「海外企業を退出させる」
「精錬・加工工程を国内へ集める」
「川下製品へ進出する」
「供給網と価格決定力を握る」
という中国型産業支配の原型が出来上がった。
最初は日本市場へAPTを輸出するための技術交流だった。それがやがて、日本だけでなく欧米市場へ進出する跳躍台となった。
善意の技術移転が、工程支配へと姿を変えたのである。
タングステンで生まれた「元素の皇帝」
タングステンは、超硬工具や特殊鋼、航空宇宙、防衛産業などに欠かせない重要鉱物である。
どれほど優れた自動車や航空機を設計しても、金属を削る工具がなければ部品を作れない。砲弾、ミサイル、耐熱部材などにも関係するため、安全保障上の重要性も極めて高い。
その戦略物資について、中国は鉱山だけでなく、精錬、中間物、粉末、加工品へと支配領域を広げた。
資源を持つ国が強いのではない。
鉱石を加工し、製品規格を決め、供給量と価格を調整し、川下企業の生産まで左右できる国が強い。
中国はタングステンを通じて、そのことを学んだ。
私はこれを、中国がタングステン市場の「皇帝」になった過程だと考えている。
しかし、皇帝支配には必ず影がある。
中国国内で企業が乱立し、生産能力が過剰になれば、中国企業同士が値下げ競争を始める。海外の競争相手を倒すために使った価格破壊が、最後には自国企業の利益まで破壊する。
安値輸出で世界シェアを高めても、利益が残らなければ本当の勝利とはいえない。
世界市場を支配しながら、国内では過当競争から降りられない。
これこそ、現在の中国がEV、太陽光パネル、電池、ロボット、生成AIで直面している「勝者なき勝利」の原型ではないだろうか。
私は中国を育てたのか
45年前を振り返ると、複雑な思いがある。
日本の技術を中国へ伝えたことは、当時の商売としては成功だった。中国の品質は向上し、日本は安価なAPTを確保でき、取引も拡大した。
私もまた、目の前で商売が大きくなることに夢中だった。
右手には日中友好というロマンがあり、左手には取引拡大というそろばんがあった。しかし、その先に中国による世界規模の工程支配が待っているとは、まだ見えていなかった。
私は中国のタングステン産業を一人で育てたわけではない。日本の技術移転だけで今日の中国が生まれたわけでもない。
それでも、あの時代、日本企業の工場を中国の技術者に見せ、技術交流を進めた一人として、まったく無関係だったとは言えない。
中国の躍進を助けたという自負と、日本の競争力を手渡してしまったのではないかという悔恨。その両方が、今も心の中に残っている。
だが、過去を悔やむだけでは意味がない。
重要なのは、タングステンで起きたことを歴史として検証し、その後のモリブデン、レアアース、アンチモン、ガリウム、ゲルマニウム、インジウムで、なぜ同じ現象が繰り返されたのかを読み解くことである。
中国の価格破壊は、突然始まったのではない。
45年前、粗悪なタングステン原料を載せた一隻の船から、すでに始まっていた。
そして中国がタングステンで味わった「市場支配の甘い蜜」は、次の元素へと受け継がれていく。
次にその舞台となったのが、モリブデンだった。