株式会社ニューメタルスエンドケミカルスコーポレーション⑤ 時代の流れと取扱商品の転換
「株式会社ニューメタルスエンドケミカルスコーポレーション④猪俣社長時代のニューメタルス社」からの続き
ニューメタルス社は、カラーテレビ用希土類原料を輸入していましたが、間もなくして、リサーチケミカル社の総代理店となります。社史によると、猪俣氏は、必ず希土類金属の時代が来ると予見した結果としています。
「日本は磁石が強く、特にそれを担ったのは東北大学。その東北大学の流れをくむのが、東北金属工業(NECトーキン)。当時横浜に、トーキンの研究所があり、この時、同研究所がサマリウムコバルト合金の開発に成功したので、さっそくリサーチケミカルのサマリウムメタルを研究所に持ち込んだ」といいます。これが、いわゆる「サマコバ磁石」の始まりの一歩だと増田氏は話します。
当時、業界紙である「金属時評」が、このサマリウム、コバルトを使った画期的な磁石が開発されたと報じ、サマコバ磁石は一気に注目を浴びたといいます。
これらの流れで見ての通り、日本は今なお磁石の開発が非常に強いという事を感じたと増田氏は語っています。
当時、サマリウムはおおよそ2万5,000円/kg位でありこのサマリウムは、日本イットリウムへ納入され、納入された原料はサマリウムコバルト合金になり、NECトーキンへ納入されたとしています。
この時、リサーチケミカルはサマリウムメタルとともに溶解法によりサマリウムコバルト合金をも製造していたことが特徴と増田氏は語っています。
ニューメタルス社は、この時すでにレアアースメタルに事業を移行していました。しかし、時代の流れが、このニューメタルス社のレアアースメタル事業からの転換を迫ることになります。
この頃、中国の台頭により、レアアースの勢力図が変わったことと、ネオディミウム磁石の登場により、サマコバ磁石の立ち位置も変わっていきます。
「当時の、リサーチケミカル社がネオディミウム磁石を扱えなかった。これは価格の問題が大きな理由だ。さらに、リサーチは、レアアースのリサイクルを行わなかったことも響いた。この時三徳金属が、レアアースの回収を行っていた。つまり中国の台頭、新しい素材を使った磁石の登場により、サマコバの立ち位置が変わっていった。変わっていく時代に対応ができなかったともいえる」と増田氏は話されています。
そして、ニューメタルス社は、ボロン、モノフィラメント、エポキシ樹脂を組み合わせた、ボロン複合材(ボロン・ファイバー)などの商品にシフトしていくこととなったといいます。
同社が扱った商品の中で重要なアイテムとなったのは、当時AVCO社(以下アブコ社)から輸入していた、ボロン複合材(ボロンファイバー)だといいます。このことは、猪俣氏が書き記した社史にも詳細に書かれています。
当時、アブコ社との関係は密接で、このボロン複合材に使用したのは、当時日本でのライセンス生産されていた、「F-15EAGLE戦闘機」だとしています。
(1972年に初飛行したF-15は、米国、日本、イスラエル、サウジアラビア運用され、
日本ではライセンス生産が行われたとある。写真:Wikipediaより)
この日本の防衛の要となる装備の垂直尾翼、水平尾翼にこの複合材が使用され、アブコ社との長期契約(10年)に至ったといいます。
社史には、この頃、F-15の国内におけるライセンス生産に伴い、アブコ社から輸入したボロン複合材を、F-15を製造していた大手重工に対し納入を行っており、F-15などの戦闘機の構造材に使用されたとしています。
また、1984年には米国の特殊鋼メーカーである、カーペンター社と総代理店契約に至り、そのカーペンター社が扱う商品の中で、航空機ファスナー用特殊合金、航空機ベアリング用特殊合金の存在があり、ニューメタルス社にとって、この時期に最も力を入れた商品と猪俣氏は回想しています。
これらのニューメタルス社の事業の一連の動きは、現在、三菱航空機が開発している、日本初のジェット旅客機「三菱スペースジェット」に繋がる非常に重要な工程で、日本の航空機産業において、必要不可欠な通るべき道だったとも言えます。
さらに、スポーツ用品においても、釣り竿、テニスラケット、スキー板、ゴルフシャフトなどにも使われているとしています。
釣り竿がシマノ、オリムピック、テニスラケットはヨネックス、スキー板が西沢、ゴルフシャフトが本間、オリムピックなど、業界のビックネームに対して納入していました。特に本間ゴルフは、1984年頃にこの複合材を使用したシャフトの大量生産に成功し、「ヒロ本間のボロンシャフト」として業界からの脚光を浴びたと猪俣氏は書き記しています。
ちなみに、レアアースメタルなど、幅広く手掛けていたニューメタルス社ですが、その扱う商材が希少で、珍しく、電子機器などには必要不可欠であり、さらにそのアイテムを扱う企業がほとんど存在しなかったことから、大手商社等から、傘下に入ることを提案されていたと増田氏は語っていますが、当時の猪俣社長がこれを頑なに拒否していたといいます。
これは、自由でアットホームなニューメタルス社の社風や、築き上げた伝統を無くすことは、考えられないという猪俣氏の思いが伝わるエピソードになっています。また、自社工場を持ち、扱うアイテムを完全に自社化することも考えなかったといい、あくまでトレーダーとしての立ち位置は崩さなかったといいます。
日本の防衛を担う装備から、人々の支えとなる生活品、そして人生を彩る趣味、スポーツまで、ニューメタルス社の商品が行き届いていることを考えると、同社の社会への貢献度は計り知れないといえます。
(IRUNIVERSE Hatayama)
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