元鉄鋼マンのつぶやき#45 屋根の話
以前、飛鳥路を歩いた際、「板蓋宮(いたぶきのみや)」跡を訪れました。これは7世紀の皇極天皇の住まいですが、当時、板葺き屋根が珍しく、それが宮殿の名前になるのだとしたら、その当時、普通の家の屋根はどうなっていたのだろう?と考えたりします。
恐らくは、庶民の家は、藁葺きか茅葺きだったのだろうと推測します。この藁葺きと茅葺きについても、いろいろな意見があり、茅葺きの方が藁葺きより上等だとする意見と、いや逆でしょうという意見もあり、はっきりしません。さらには、藁葺きと茅葺きは同じものだという大胆な意見もあります。
私が見たところでは、藁葺きは中空の茎(まさにストローです)であり、茅葺きは中実の茎ですから、明らかに別ものです。多分、茅葺きの方が上等かと思いますが、本題からはずれるのでこれ以上は書きません。
同時期、つまり飛鳥時代に法隆寺が建立されており、こちらは瓦屋根ですから、板葺きと瓦葺きが共存したことになります。多分、瓦葺きの方が上等かと思いますが、用いられた瓦は中国伝来でしょう。小説『天平の甍』では、8世紀建立の唐招提寺金堂の鴟尾(シビ)に天平時代の製品が用いられていることを示唆しています。実際には両側にある鴟尾の片側が創建当時のものだそうです。瓦自体は国産だとしても、瓦葺建築は唐風的存在であったと思われます。
では瓦屋根が最も高級な屋根か?と言えば、そうとも限りません。800年創建の室生寺の五重塔を含む伽藍は檜皮葺(ひわだぶき)が用いられています。京都御所の建物は檜皮葺と瓦葺が混じっているそうです。
檜皮葺と瓦葺のどちらが高級か?というのも難しいですが、平安時代に国風文化が興った後は、次第に檜皮葺を上等としていったようです。平安時代の傑作である平等院鳳凰堂は瓦葺ですが、室町時代の傑作である鹿苑寺の金閣寺も慈照寺の銀閣寺も檜皮葺です。ちなみに檜皮葺は日本固有の様式であり、文化が唐風から国風に変化する過程で、唐風への反発として檜皮葺を尊重したのかも知れません。国風文化の権威である小島憲之先生にその辺りをお聞きしたいところですが、先生は既に他界されています。
また一つの説として、板蓋宮も実は檜皮葺だったとする説もありますが、根拠は不明です。屋根と日本文化に関する研究はあまり進んでいないのかも知れません。
だから私は、寺院を訪問見学するたびに、その建築の屋根の様式を確認するようにしています。それによって社寺仏閣の権威がある程度推測できると思うからです。
ここからは近代の話です。金属屋根が登場した後は使用する金属によって格式や豪華さを判断できます。
初期に最上等とされたのは銅板葺きです。銅板は酸化する前の光沢ある銅色と酸化後に緑青をふいた深い緑色の両方を念頭に置いて、色彩バランスを考えることになりますが、銅板は非常に意匠性に富んだ材料であると考えます。たしか両国国技館の屋根は銅板葺きで、緑青が建物の美しさを引き立てているように見えます。
一方で亜鉛鉄板系の材料は、いま一つ高級感に欠けます。日本では震災後や戦後の焼け跡にバラックにトタン屋根が多用されたことも高級イメージにならない理由かも知れません。しかし、これは外国でも同じかも知れません。
しかも米国ではブリキとトタンが混同されています。エリザベス・テーラーの映画『やけたトタン屋根の猫』の原題は“ Cat on a Hot Tin Roof“ですが、これはTin=ブリキではなく、明らかにGalvanized=トタンの意味と思われます。 Tin=ブリキ自体に「ちゃちなもの」「玩具」というニュアンスがあるのは皆様ご存知の通りです。
住友商事のアフリカ担当の人と話した時「途上国向けにどんな鋼板を売るのですか?」と尋ねると、「トタン板が良く売れます。建築用でしょうね」とのことです。トタン板は安物だけど、途上国や復興途上の年では重要です。
無論、メーカーは安物のイメージを払拭し。高付加価値化を進めました。ベスレヘムスチールは、アルミとの複合メッキであるガルバリウム鋼板を開発し成功しています。JFEはガルバリウムの名前で販売し、甲子園球場の銀傘はこれでできています。
一方、新日鉄(当時)と日新製鋼(当時)は、亜鉛、アルミにマグネシウムを加えた複合メッキ鋼板をそれぞれ開発し、日本製鉄製はスーパーダイマ、日新製鋼製はZAM、日鉄鋼板製はエスジーエルのブランド名です。日新製鋼は新日鉄に吸収されて消滅しましたがZAMというブランドは生き残りました。
外観で、メッキの種類を見分けるのは難しく、カラー鋼板として塗装している場合が多いので違いは分かりませんが、いずれも耐食性は大幅に向上し、高付加価値化に成功しています。
しかし、それらは所詮メッキ鋼板であり、性能でも高級感でも限界があります。その上を行き銅板葺きに対抗できる高級な金属屋根となれば、ステンレス鋼板になります。
1994年に関西新空港が完成した時、ターミナルビルの屋根は川鉄製のステンレス鋼板でした。これは意外というか驚きでした。
関空は、関経連の要職にあった住友金属の日向方斉氏や新宮康男氏が、特に熱心に進めたプロジェクトで、いろいろな面で住友金属が関わっています。例えば、埋め立て地の地盤沈下の抑制に、和歌山製鉄所の鉄鉱石(比重が大きい)を大量に投入しています(結局、地盤沈下抑制の効果は少なかったけれど)それなのに、ターミナルビルの屋根材が川鉄(当時)製とは、これいかに?
政治的にどういう配慮がなされたのかは不明ですが、川鉄製のステンレス屋根が使われました。しかし光沢がありすぎ、パイロットの目に入ると眩しすぎるという問題が指摘されました。ステンレスの表面条件には何種類もあり、それぞれにブライトネスが異なるのはご承知の通りですが、空港の建物だから防眩処理(ダル加工)が必要だというのは初耳でした。ひょっとしたら、空港で最も目立つ場所の素材を川鉄に取られた某社の意趣返しだったのでは?と考えました。
その後、各地の空港を訪れるたびにターミナルビルの屋根や外壁を見るようにしています。ステンレス鋼板が多用されているという点では、デュッセルドルフの新しい空港ビルが印象に残りますが、確かにノングレア処理というか、ダル加工がされた鋼材のようです。
では、これからの高級屋根材はステンレス鋼板か?というと、それも違うかも知れません。私は純チタン板の可能性を考えます。
チタン板は、極めて高価なうえに加工も難しく、屋根材としてはほとんど普及していません。金に糸目を付けずに建設できる新興宗教の神殿や拝殿に使われていますが、他の建築ではまれです。もし公共建築にチタンの屋根材を使用したなら、会計検査院からどんなお咎めがあるか分かりません。
しかしご承知の通り、チタンの塩水に対する耐食性はプラチナと同等です。日本でますます増える海上空港やシーサイドエリアの建築には最適です。それにチタンの光沢は、ステンレス鋼板やアルミ合金に比べると鈍く、パイロットに眩しさを与えません。さらに言えば、チタンは独特のチタン発色によって七色に着色でき意匠性は満点です。後は価格ですが・・・、東大の岡部教授が発明したクロール法に代わる新しい精錬方法が実用化されれば、劇的に価格が下がる可能性があります。そうすれば建材にも使用できるようになります。
後は加工の難しさです。曲げ加工やプレス加工は亜鉛鉄板のようにはいきませんし、不用意に鉄クギを打てば電池を構成して腐食が進行する可能性もあります。この辺りのノウハウはこれから蓄積する必要がありますが、大きな障害にはならないと思います。
例えば元旦ビューティ社などの専門家が「チタン板を用いた屋根の施工方法」を研究して発表すれば、日本中に広まります。一般住宅には無理かも知れませんが、空港のターミナルビルに続いて、社寺仏閣の社殿にも使えるようになるかも知れません。
そうすれば、後世の建築史の教科書にこう書かれるかも知れません。
「21世紀の半ば以降、社殿の屋根には最高級建材であるチタン葺きが多用されるようになった。これは日本固有の傾向だが国風文化とは関係ない」。
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久世寿(Que sais-je)
茨城県在住で60代後半。昭和を懐かしむ世代。大学と大学院では振動工学と人間工学、製鉄所時代は鉄鋼の凝固、引退後は再び大学院で和漢比較文学研究を学び、いまなお勉強中の未熟者です。約20年間を製鉄所で過ごしましたが、その間とその後、米国、英国、中国でも暮らしました。その頃の思い出や雑学を元に書いております。
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