元鉄鋼マンのつぶやき#76 ダニエリの新技術と大手高炉メーカー
今から30年以上前になりますが、住友金属工業(当時)の、凝固技術の研究者や技術者が集まる定期的会合(CC分科会)で、一つの議論がありました。いかに鋳片厚を薄くできるかの議論です。
「なんでイタリアのメーカーにできて俺たちにできないんだ?」という声がかかりました。牛島技師長か、芳木技監の声だったと思います。戦後の日本の連続鋳造技術の黎明期に、住友金属は重要な役割を果たしました。牛島さんや芳木さんはその頃に活躍された大先輩です。
このやや怒気を含んだ声は、イタリアの鉄鋼メーカーであるArvedi社が超薄スラブCC(連続鋳造機)を開発したという情報に対するものです。また異なる技術ながら、Danieli社も薄スラブCCを開発しているという情報がありました。上司は明らかに不機嫌でした。
当時、住友金属ではHazelett社の技術を導入して、双ベルト方式でステンレス鋼のストリップCCを開発しようとして失敗し、中厚CCという、既存のCONCASTT型CCに比べスラブ厚を半分にしたCCを売り出していましたが、何とも中途半端で、売れ行きは芳しくありませんでした。
しかし、本当のところは、皆さん分かっていました。我々には、ArvediやDanieliのような革新的技術の開発は無理だと。
住金に限らず、日本の高炉メーカー各社は、当時、いかに高品質、高性能の製品を製造するかに腐心していました。バブル経済の頃は特にそうです。住金の鋼板について言えば、薄板はいかにトヨタを満足させる製品を出せるかであり、厚板については三菱重工をして唸らせるような板を目指していました。品質、性能面でチャンピオンデータを目指すことは社命であると同時に技術者にとって、心の弾むチャレンジでした。
しかし、それらの取り組みは、プロセス合理化やコスト削減とは無関係でした。全て新たな設備投資を前提としていて、何等かの装置を開発してそれらを使用することで実現を図るものでした。当然ながら製造コストは上がる一方です。プロセスを簡略化して思い切ったコストダウンを実現するというArvediやDanieli の開発思想は無かったのです。
勿論、それとは別にコスト合理化の取り組みも盛んに行われていましたが、それらは一種のまやかしだったのです。
典型的なBtoB産業である鉄鋼業では、BtoC産業のような綿密なマーケッティングは行われません。仮に顧客がより安価な製品を短納期で欲しているとしても、その感覚は技術開発部隊や生産現場には、あまり通じなかったのです。
画期的な方法を開発して安価に鉄鋼製品を作ろうとしても、否定される雰囲気でした。価格競争なんてしても、外国の安価製品にはどうせかなわない。もし、駄物を造るというなら、それは電炉メーカーに任せればいい。我々は高炉メーカーしか製造できない高級品に特化して生き残るべきだ・・という考えが漂っていました。後は政治的に圧力をかけて自動車メーカーに安価鋼材を使わないように釘を刺すだけです。
無論、生産現場には生産コストを下げるよう強い要請があり、年間の合理化金額のノルマも課されていました。しかし、その多くは「悪化抑制」とか「知恵の合理化」と呼ばれるもので、一種のまやかしでした。
例えば、合金鉄の価格変動を基に、合金鉄を安価品に変えて合理化金額を出します。その後合金鉄相場が逆転すれば、合金鉄の構成を元に戻して再び合理化金額を出します。確かにその都度、コストを下げていますが、二年通してみれば、何も変化していません。はなはだしきは設備導入による合理化です。例えば、和歌山製鉄所では真空脱ガス装置であるRHを導入すれば、幾ら幾らの合理化便益が出るといって、導入します。すると今度は、現有設備のRHを使わなくても、同等の品質の製品ができる方法を開発して、設備不使用による合理化金額を計上します。結局、RHを導入しても使用せず、以前と同じ操業なのに、合理化金額は2回計上します。会社の固定資産が増えただけです。
勿論、こんな方法で合理化金額を積み上げても、本当の生産コストは下がりません。本当のコストダウンにつながる「真水の合理化」は人員削減つまり現場の労働強化ぐらいでした。その爪に火を灯すような「真水の合理化」も、為替相場で円安に振れれば、材料費が上がって吹き飛びます。会社全体でみると円安は利益を増大させるのですが、それは営業部隊の手柄であり、生産現場とは無関係です。為替相場が多少変動しても、プラスを維持できる合理化を・・と上からは言われましたが難しいところです。
このような状況下では、現場でまじめにコストダウンに挑む人は少なかったのです。高い評価を得たのは「知恵の合理化」の悪知恵で予算部門を煙に巻けた人か、合理化とは遠いところで、新技術・新製品を開発できた人です。
現場の優秀な技術者達が、本当のコスト合理化を目指さない・・というのは大きな問題ですが、もう一つ致命的な問題がありました。
それは、過去の成功体験をあまりに大切にして、その成功を否定することから始まる新技術の開発を避けたことです。これは中間管理職というより経営陣の問題です。
戦後の日本の鉄鋼業の発展は、LD転炉(塩基性耐火物を用いた転炉)、ホットストリップミル、連続鋳造の三大技術をいち早く取り入れ、かつ臨海部に高炉一貫製鉄所を建設し、多くの工程にコンピューター制御を取り入れたことで実現しました。
住金の牛島氏は、前述の通り日本の連続鋳造の黎明期に大活躍した人物ですが、彼らの功績が大きかった分、後進の人たちは、それに代わる新しい連続鋳造技術の開発をためらいました。牛島氏や芳木氏にしてみれば「若い人たちはなぜ新しい技術に挑戦しないのか?」と、いらいらしたはずですが、実は原因は自分たちだったのです。
一流大学とその大学院を卒業して入社してきた若手社員たちは、減点主義の中で、生き残ってきた人たちです。エリートですから、大きな失敗さえしなければ、そこそこの地位(社内の参与・部長、子会社の取締役)は約束されています。彼らが敢えて、先輩が作り上げた技術を捨てて、新しい連続鋳造に挑むか?となると、ためらうでしょう。冒険すぎます。
実際、Hazelett社の双ベルト式のストリップキャスターだって、新技術にチャレンジしていますよ・・というアリバイ作りのための技術開発であり、あまり期待されませんでした。担当者は「貧乏くじを引いちまった」と落胆していました。最後の頃は責任者の課長も全く元気がありませんでした。
Hazelett社のストリップキャスターの開発を続けるか否かは、本社で大きな問題となりましたが、その会議の帰路、本社の製鋼技術部長が搭乗した日航機が墜落し、最終判断が、さらに先延ばしになるというトラブルもありました。
こんな保守的・・というか、後ろ向きの雰囲気の会社では、ArvediやDanieliの超薄スラブキャスターは開発できません。
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先日、品川で開かれた普電工のシンポジウムで、Danieli社が、鋳造から圧延まで一貫して行うコンパクトなミルを紹介しているのを見ました。今から30年以上前のCC分科会に集まっていた技術者達が、このミルを見たら何と言うだろうか?と想像します。
(関連記事)
https://www.iru-miru.com/article_detail.php?id=71881
一部の人たちは「なあにあれば、鉄筋や棒鋼などの駄物用のミルだろう。我々が作る製品とは違う世界だ。高級鋼用のミルでなければ興味はない」と言うかも知れません。なんだか、キツネが手の届かない高さにあるブドウを見て「あれは酸っぱいブドウなのさ」と語っているようです。長老たちは「Danieliにできて、どうして俺たちにはできないのだ?」は怒るかも知れません。多分、昔と全く同じでしょう。
『進化論』を著したダーウィンは「強い者が生き残るのではない、変化に対応できたものが生き残るのだ」という有名な言葉を残しています。
大手高炉メーカーを恐竜に例え、ニューコアのようなミニミル、あるいはDanieliやArvediを小型の哺乳類に例える話はよくあります。今の日本製鉄が、環境の変化に対応できなかった恐竜なのか、それとも適応力の高い哺乳類なのか?
既に現場を離れて時間が経った私には何とも言えませんが、2025年の同社の動向を見れば、ある程度占うことはできます。2025年の鉄鋼業界も目が離せません。
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久世寿(Que sais-je)
茨城県在住で60代後半。昭和を懐かしむ世代。大学と大学院では振動工学と人間工学、製鉄所時代は鉄鋼の凝固、引退後は再び大学院で和漢比較文学研究を学び、いまなお勉強中の未熟者です。約20年間を製鉄所で過ごしましたが、その間とその後、米国、英国、中国でも暮らしました。その頃の思い出や雑学を元に書いております。
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