元鉄鋼マンのつぶやき#118 「サンチョウサカタ」
筆者が学校を出て就職したのは1980年代の初めです。その頃、製鉄所には奇妙な符牒というか略語が存在しました。その中に、皆が多くを語らないというか、その話題を出すと皆さんの顔が曇る単語がありました。それが「サンチョウサカタ」です。漢字で書くと「三長酒田」です。これは一体何のことなのか?
長文になって申し訳ありませんが、過去の経緯からご説明いたします。
歴史は戦後の早い時期に遡ります。
財閥解体によって住友財閥は幾つかの会社に分割されました。財閥の祖業とも言うべき金属精錬は、住友金属鉱山(銅)、住友金属工業(鉄鋼)(以下住金)、住友軽金属(アルミ)等に分かれた訳ですが、明確な境界線がある訳ではありません。全部が一緒だった住友合資会社時代に入社した幹部は、役割分担や縄張りの意識が乏しく、普通に兄弟会社の領分に手を出しました。商売をかっぱらったり、同じグループなのにライバル会社として足の引っ張り合いをしたのです。余談ですが、これは住友グループだけではありません。
三菱グループも、長年、三菱化成と三菱油化は事業がバッティングしていました。両社が合併して三菱化学になるまで不毛な争いが続いたのです。
これも余談ですが、宮崎駿の『風たちぬ』には、戦前に超々ジュラルミンを製造する「住友軽金属」なる会社が登場しますが、当時そんな会社は存在しませんでした。これが宮崎の誤解によるものなのか、あえて実在しない会社にしてフィクション性を強調したのか、議論になりました。
本題に戻ります。住友グループの金属三社の内、経済力や規模が最大だったのは鉄鋼担当の住金でした。高度成長が終わる頃、住金はアルミ精錬に手を出します。決断したのは、同社の中興の祖とされる日向方斉氏です。同社は山形県酒田市に新しくできる工業地域に、アルミ精錬の工場を建設しようとしたのです。
しかし本来アルミは住友軽金属の領分です。当然、激しい争いが発生しました。この争いは1973年に田中角栄が仲裁するまで続き、結局、住金は住友軽金属と合弁で、「住軽アルミ」という子会社を作って、酒田に精錬所を建設しました。
因みに、この住金と住友軽金属は、その後の1980~1990年代のチタン事業でも衝突し、両社の確執は、両社が消滅するまで続きました。今は住金も住友軽金属も存在しません。…現場の技術者達は仲が良かったのですがねぇ。
住金の思惑は以下の通りです。
・これからは鉄の時代ではない。軽金属、特のアルミの時代だ。アルミは伸びる。
・アルミ精錬は大昔に発明されたホール・エルー法がそのまま使われている。日本はその通電方式を改良して10%ほど省エネできる技術を開発した。 今なら世界に通用するコストでアルミ精錬を行える。
酒田のアルミ精錬工場は単独で存在できる訳ではありません。膨大な電力を消費する以上、発電所を併設する必要がありました。酒田共同火力発電所です。アルミ精錬工場と発電所は、1977年に操業を開始しました。しかしこの火力発電所は重油専焼でした。2度にわたる石油ショックのあと、原油価格は高騰し、日本の電気代は高額になっていました。安価な水力発電由来の電力を豊富に使う外国には全く太刀打ちできません。よくアルミは電気の缶詰と呼ばれますが、酒田のアルミには一万円札を貼り付けてお客に渡すというくらい赤字でした。
赤字の打開策として考えられたのは、発電所の燃料を重油から安価な石炭にすることでした。CO2削減が叫ばれる現代では考えられないことでしたが、石油火力を石炭火力に転換したのです。よく石炭専焼のIPPを始めたのは神戸製鋼だと言われますが、実は住友の方が早かったのです。
そして、この酒田発電所の改造は、住金鹿島製鉄所の人々にとって大きなチャンスだったのです。
住金は、鋳鋼品や鍛造品、鋼管を得意分野としていました。鋼材の主役である鋼板(厚板、薄板)の分野では全くの後発で、他社の後塵を拝していました。「鋼板で認められなければ、本当の製鉄会社とは言えない」。特に最後に建設された鹿島製鉄所は、板の製造を中心に設計されており、鋼板の世界で一流となることは悲願でした。鋼板と言えば、薄板ではトヨタ自動車、厚板なら造船業界でトップに君臨する三菱重工長崎造船所が最大目標でした。
厚板屋は、三菱重工長崎造船所を「サンチョウ」と呼び、神戸造船所を「サンシン」と呼んで、目標としたのです。
サンチョウには鋼管製造所のボイラーチューブなどはたくさん納めていましたが、なかなか厚板は買って貰えません。サンチョウの厚板は伝統的に八幡製鉄一択だったのです。
そこで住金は考えました。酒田発電所の新しいボイラーはサンチョウで作ってもらう。住金案件なのだから、ここは住金鹿島の厚板を使って貰おう・・とねじ込んだのです。サンチョウ(長崎造船所)の技術部門は、政治的理由で材料を指定されるのは面白くなかったと思います。住金に出された注文「サンチョウサカタ」の仕様はかなり厳しかったようです。厚板には仕様で決まる必要な圧下比があり、製品板厚から逆算して必要な鋳造段階での厚みが決まります。「サンチョウサカタ」案件では連続鋳造のスラブを使用できず、インゴット法になりますが、中心偏析や介在物清浄度が問題になります。住金ではいろいろな鋳型を試験し、要求を満たそうとしますが超音波試験でどうしても合格しません。とんでもない納期遅れを出してしまい、鹿島製鉄所最大のクレーム事案となってしまいました。
最終的に納品に成功したのか、ギブアップして他社に製造をお願いしたのか、筆者は知りませんが(ペーペーの筆者からはとても訊ける雰囲気ではありませんでした)、とにかく製鉄所の技術者達にとって屈辱的な結果になりました。
政治的に三菱から注文を取り付けた経営トップの顔にも泥を塗ってしまい、社内では大問題になりました。やはり「パイプの住金であり、板はやっぱりダメだね」となりました。これが「サンチョウサカタ事件」です。
しかし、今考えると不可解なのです。酒田共同火力発電は、亜臨界圧ランキンサイクルの発電です。今の標準である超々臨界圧とは異なり、ボイラーは超高圧とは言えません。必要な鋼板性能がそれほど高いとは思えません。どうして鹿島の製鋼屋と厚板屋はあんなに苦しんだのか・・・? あれは一種のイジメではないのか?
サンチョウも今は新造船からは撤退し、住金もありません。今となっては事実を確認しようもありません。
それはともかく、燃料を石炭にしようが、新精錬法で電力原単位を1割改善しようが、住軽アルミの精錬コストでは外国のアルミ精錬に勝てるはずがありません。結局、酒田の精錬所は1982年に操業を停止し、会社は解散してしまいました。住軽金との深刻な確執を残し、数百億円の損失を出して、住金のプロジェクトは失敗しました。
日向方斉氏が書いた日経新聞『私の履歴書』には、最後の1頁にこのことが一行だけ書かれています。仕事人生の最大の失敗だったとのことです。手柄話には何十頁も割いて、失敗談には一行だけ触れる・・というのは日経『私の履歴書』のお約束です。
それにしても、ああ、なんということか、酒田共同火力の改造工事が完成したのは1985年で、住軽アルミが操業を停止し、解散したあとです。鹿島の厚板の納期遅れが原因で間に合わなかったのか・・・と思うと無念さがつのります。
ここから話は変化します。
当時、日本でアルミ精錬が生き残っていたのは、私の記憶では日本軽金属の蒲原だけだったと思います。それは同社が自社の水力発電所を持ち、市中の電力料金高騰とは無関係に精錬事業ができたのです。電力多消費型の産業はアルミ精錬だけではありません。そして自社で水力発電所を持っていたのは同社だけではありません。中央電気工業も当時は自社の水力発電所を持っていて、合金鉄などを製造していました。信越化学、チッソ、国鉄(JR)なども自社の発電所を持っていました。
だから低コストで電力を利用できた・・というのは違います。安価に発電できるのなら、それを電力会社に売電し、外国から安価な地金を購入した方がよほど得です。
そして金属産業が発電事業を続けるのは果たして合理的か?という観点に立てば、発電所そのものを売却した方が適切という判断になります。多くの会社は発電所を手放しました。そしてアルミ精錬事業は、日本から消滅しました。電力卸が自由化される前の話です。
かつて電力多消費型が多い金属精錬事業の中で、製鉄業は電力ではなく石炭を用いるから、日本で生き残れたのだ・・・という考えがありました。しかし令和の現代は風向きが変わっています。CO2を極端に嫌う流れの中で、高炉こそが粛清の対象になり、電炉の時代が到来しようとしています。
でも日本の宿痾である高電力コストのくびきをどうやって逃れるのか・・・。筆者は気になります。ここは原子力発電に期待するしかないのか? それとも金属精錬事業全体を諦めるのか?
ところで、電力多消費型産業は金属精錬だけではありません。近年急速に発達した生成AIに用いるデータセンターも電力多消費型産業です。日本ではデータセンターと発電所をセットにして建設する案が登場しています。アルミ精錬所と発電所をセットにした酒田の時と同じです。また電力需要の増大を見込んで、米国からのLNG輸入の大口契約もまとまっています。これから日本の電力はどうなるのか?
酒田の話に戻ります。
アルミ精錬事業が無くなった酒田では、発電所もそのレゾンデートルを失いました。しかし雇用を維持したい事情もあります。発電事業は東北電力が引き取って継続しています。しかし、旧式の石炭火力発電所は、政府から眼を付けられ、粛清の対象になっています。今の火力発電は再熱再生ランキンサイクルで超々臨界圧が標準です。亜臨界で再熱再生でもない酒田共同火力が生き残るのは難しく、もはや風前の灯です。その一方で酒田地区では、住友商事が行う風力発電事業が盛んになっています。酒田共同火力がその事業を取り込み、再生可能エネルギーの事業者として再生できれば、生き残ることは可能です。今後の行方が気になります。
かつて、住友グループのお家騒動をもたらし、禍根を残し、さらに鹿島製鉄所の技術者達が苦しんだサカタの問題を、同じ住友グループの住友商事が引き取って後始末するというのも、何かの縁です。
泉下の日向方斉氏も「もって瞑すべし」でしょう。
【池内晴彦、高沢衛『アルミの電解精錬』:軽金属 1980. Vol.30.No.2 P.116】
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久世寿(Que sais-je)
茨城県在住で60代後半。昭和を懐かしむ世代。大学と大学院では振動工学と人間工学、製鉄所時代は鉄鋼の凝固、引退後は再び大学院で和漢比較文学研究を学び、いまなお勉強中の未熟者です。約20年間を製鉄所で過ごしましたが、その間とその後、米国、英国、中国でも暮らしました。その頃の思い出や雑学を元に書いております。
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