のっけから私事で恐縮ですが、筆者は飛行機オタクです。といっても大型旅客機や軍用機にはあまり興味がありません。単通路の小型旅客機でローカル線を飛んでいる飛行機が好きなのです。どちらかといえば、ジェット機よりも主翼に後退角のないターボプロップ機の方が好きです。読者諸兄ご存知の通り、ジェット機とターボプロップ機という分類は本来適切ではありません。プロペラの無いいわゆるジェット機は、今の時代ほとんどターボファンエンジンですが、プロペラの有るターボプロップ機だって正確にはジェット機です。本稿では便宜上、ターボファンエンジンとターボジェットエンジンをジェット機とし、ターボプロップ機はターボプロップ機とします。またレシプロエンジンを備えたプロペラ機はレシプロ機とします。ちなみにジェット機に多い後退角だって、ターボプロップ機にも後退角を持つ飛行機があり、ジェット機固有とは言えません。さらに言えばヘリコプターだって、大型機はターボシャフトエンジンでやっぱりジェット機です。ややこしいです。
世界中に小型のターボプロップ旅客機は数多くありますが、その中でもATRの飛行機に興味があります。興味がある理由はさまざまですが、いろいろな意欲的なプロジェクトを提案して新型機の開発に意欲的な事が第一の理由です。
そのATRが新型機の開発を発表しました。その名もATR72-600 EVOだそうです。果たしてそのプロジェクトがうまく行くか・・・の議論をする前に、ATRが拘るターボプロップ機について考えてみます。
前述の通り、ジェット機もターボプロップ機もジェットエンジンですが、ジェット機の方がより高い高度を高速で遠くまで飛び、多くの旅客を運びます。だから現代はだんだんジェット機が増えています。しかし、その中にあって頑固にターボプロップ機にこだわるメーカーがあります。それがATRです。実は一時期、ATRもターボファンのリージョナルジェットの開発を検討したことがありますが、早い時期に断念しています。
ターボプロップ機にはターボプロップ機の良さがあります。短距離で離着陸でき、燃費もすこぶる良く、機体も安価です。失速速度も遅く、操縦が容易です。
以下に書くのはターボプロップ機の優位性についてですが、かなり理屈っぽい説明になりますので、ご興味の無い方は飛ばしてください。
プロペラ推進であろうが、噴射式推進のジェット機やロケットであろうが、後方にガスを送り出し、その反動(反作用)で前に進む推力を得るという原理は同じです。ガスの最適な噴出速度は機体の速度によって異なります。効率の面から理想を言えば、後ろに噴出したガスの運動量(運動エネルギー)がちょうどゼロになる(つまり噴き出したガスが静止する)のが好都合なのですが、そうは行きません。ただし機体速度が遅いのに高速のガスを後方に噴射して、機体を離れてからも噴出ガスが大きな運動量を持つのは無駄でありよくありません。一方、機体が高速なのにガスの噴射速度が低速で、機体を離れた後にもガスが機体の進行方向へ進む(引きずる)形になるのも効率がよくありません。プロペラのある飛行機の場合、ブレードの先端が音速に近づくとそれ以上の高速は出せませんから、噴射速度は速くなりません。だから高速かつ高空で飛行する際の効率は悪くなります。逆にその制約がないジェット機は有利になります。
しかし離陸時などの機体速度が遅い段階では、噴射するガス速度が遅く、大きなトルクが出せるターボプロップ機の方が効率よく加速できます。ターボプロップ機で離陸する際、背中が座席に押し付けられるような加速度を感じて、あっと言う間に飛び上がるあの感覚が好きです(個人的感想です)。逆にジェット機ではガスが速すぎて離陸時の加速性能が悪く、ゆっくりと加速し、滑走距離は長く必要になります。
筆者はアラスカの上空でJAL機のすぐ横をすれ違うKAL機を見たことがあります。機体は一瞬で視界から消えましたが、後に残る飛行機雲はJAL機の窓からずっと静止しているように見えました。JAL機とKAL機の対気速度はほぼ同じでしょうから、このジェットエンジンの排気は機体の速度とほぼ同じ速度で後方に流れていたと思われます。つまり噴射速度は機体の速度の倍ということで、これはあまり効率がいいとは言えません。高空を高速で飛ぶ場合もジェット機が必ずしも高効率とも言えず、燃費もいまひとつというのが実感できます。
ながながと脱線しましたが、要は、ターボプロップ機は短距離離着陸が可能で、低空での低速飛行に向いていて、燃費も優れているのです。ジェット機とターボプロップ機は用途に応じて使い分けるのが上策で、適材適所という訳です。
ジェット機の多くがターボジェットからターボファンになり、そのバイパス比がどんどん大きくなっていく現代の傾向は、ジェット機がターボプロップ機に近づいているということで、これは推進効率というか燃費の問題が大きいと言えるでしょう。
また、近年はGEとプラット&ホイットニーの両社が軍用機用としてアダプティブエンジンを開発しています。これは、飛行中にバイパス比を変えられるエンジンでターボジェットとターボファンを切り替えることができます。
Adaptive Versatile Engine Technology - Wikipedia
飛行機の高速化の流れの中で、旅客機はジェット機が主流になっていきましたが、石油ショックのあと、ターボプロップ機の燃費の良さが見直されました。1980年代に究極のターボプロップ機を研究した会社があります。今は無きマクダネルダグラスで、ビヤダルのようなエンジンナセルに何本もブーメランのような形のブレードを付けて二重反転で回転させる仕組みでした。その名もATP(Advanced Turbo Prop)です。ATRとちょっと似ていますが、関係ありません。
このプロジェクトは燃費向上という点では一定の成果を挙げましたが、失敗に終わりました。振動が激しかったのと、騒音がひどく、乗り心地も悪かったのが失敗の原因とされます。その内、マクダネルダグラスもボーイングに吸収されてしまいました。
筆者は、ATPの失敗原因は別のところにあると思います。お客もエアラインも皆さん、本当はジェット機が好きなのです。単にスピードが速いというだけでなく、なんとなく格好良くて、信頼できるように感じるからです。これも私事ですが、筆者の息子達は子供の頃、これから乗る飛行機がジェット機だと喜び、ターボプロップ機だとがっかりしていました。この感覚は子供だけでなく、大人にも共通する感覚です。
だからATPのプロジェクトは失敗したのです。本当に騒音と振動の問題なら、ダクテッドファンにするなどの解決策がありますが、敢えてそうはしませんでした。
ちなみにダクテッドファンは、あまり流行りません。かつてはドイツのRFBファントレーナー(エンジンはアリソン社のターボシャフト)と、英国のエジレイEA-7オプティカ(エンジンはライカミングのレシプロエンジン)、それとエアバスの電動飛行機の実験機E-FANだけです。ダクテッドファン機の特徴は別稿で説明いたします。
ジェット機とレシプロ機が同じ路線に就航し、お客がみんなジェット機に流れた象徴的な例を筆者は記憶しています。昭和30年代ですが、太平洋路線は、米国のパンナムも日本のJALもDC-6やDC-7というレシプロ機を飛ばしていました。しかしある時、パンナムがターボジェットエンジンと後退角の翼を持つ大型機ボーイング707を太平洋路線に導入すると、全ての客がそちらに流れ、レシプロ機のJALは誰も乗らなくなりました。これは会社存亡の危機です。JALは慌ててターボジェット機のダグラスDC-8を導入して対抗し、倒産を免れました。当時の社長は松尾静麿氏でしたが、DC-8を購入する資金を政府にねだりに行き(当時JALは政府が株を持つ特殊会社でした)池田勇人首相(当時)から「日航は放蕩息子だ!」と叱られたそうです。そんな話を知っているというのは・・・筆者の年齢がばれてしまいますね。
世界初のジェット旅客機であったデ・ハビランド・コメットが金属疲労で相次いで墜落してからそれほど時間が経っておらず、ジェット機の信頼性が確立する前の時代ですが、その頃から人々はジェット機が好きだったのです。お客やエアラインだけではありません。ターボプロップ機を製造していた会社の多くは「何時かはうちもジェット機を作りたい・・」と考えます。
しかし、実際にはターボプロップ機のメーカーがジェット機を作ってもうまくいかないことが多いのです。オランダの老舗の航空機メーカーであったフォッカーは、フレンドシップF27などの名機を作っていましたが、ジェット機に手を出してから経営がおかしくなり倒産してしまいました。ドイツのドルニエもターボプロップ機は優れていたのですが、フェアチャイルドと合併して開発したジェット機は今一つでした。これも今は経営破綻しています。
カナダのボンバルディアは、ターボプロップ機部門のDHCはかろうじて生き残っていますが、ジェット機部門のCRJは製造を止めてしまいました。結局、ターボプロップ旅客機メーカーで上手にジェット機に移行できたのはブラジルのエンブラエルぐらいです。
ATRがターボプロップ機にこだわる理由は詳しくは知りません。ジェット機はエアバスが担当し、プロペラ機はATRが担当するという分業なのか?と思いますが、エアバスA400Mはターボプロップですが、エアバスシリーズです。
それはともかく、ATRのリージョナルターボプロップ機は全世界で高い評価を得ており、売り上げを伸ばしています。でもよく見ると、これは同社のマーケティングの成功だけでなくライバルのDHCの失敗による、言わば敵失による得点もあるようです。
ジェット機メーカーの合従連衡が進み、エアバス、ボーイング、エンブラエルの3社に集約されたのと同様、実はターボプロップ旅客機のメーカーも淘汰が進み、大手はATRとボンバルディアDHCの2社に集約されました。しかし、そのDHCではDHC-8(Q400)の生産が既に止まっています。Q400がうまくいかなかった理由はさまざまですが、いろいろな機体トラブルで、エアラインでの評判が良くなかったことも一因でしょう。日本の場合、高知空港へ着陸するQ400の前輪が出ず、胴体着陸する様子がTVで中継され、パイロットの完全な操縦が絶賛される一方で、Q400の評判が地に落ちるという事例がありました。マスコミはDHC-8或いはQ400をお粗末な飛行機だとして叩きました。
なに、ATRだって事故は起こしています。
ブラジルでATR-72型が墜落し乗員乗客61人全員が死亡:2023年にもネパールで68人死亡事故、小型機ATR-42含め乗客死亡事故が世界で11件以上発生
死亡事故は11件ですが、その中で印象的なのは、1994年にシカゴオヘア空港に向かうATR72が着氷によって墜落した事故です。これはATR機初の全損死亡事故です。私事で恐縮ですが、当時筆者はシカゴで暮らしており、購読していたシカゴトリビューン紙では初フライトで亡くなった客室乗務員のストーリーを詳しく紹介するなど、この事故の悲惨さをセンセーショナルに報道しました。しかしATR機の安全性を疑う論調にはなりませんでした。同様の着氷による事故は他にも1件発生しており、ATR機に改善の必要があることを示唆しましたが、だからATR機は危険だという事にはならなかったのです。そこがQ400との違いです。
ボンバルディアのDHCが消えて、ATR社はターボプロップ機メーカーの生き残りとして残存者利益を得ることになったのです。ちなみにもう一つのライバルであるエンブラエル社は、1年前にターボプロップ機の開発を中止すると発表しています。
ターボプロップ旅客機で生き残ったATR社は、持続可能社会に適応した新しいターボプロップ機ATR EVOを開発すると発表しました。ネットで検索すると公式発表の他に、複数の記事が見られ、世間の関心の高さが分かります。
どうでもいいことですが、日本ではエボと言えば、筆者の世代にとっては三菱のランサーエボリューションのことです。またこの「進化形」という単語は、筆者の息子世代にはポケモン用語として知られています。本当にどうでもいいことですが・・・。
うーむ、ここで筆者は前述したターボプロップの可能性を追究した1980年代のATPの時のことを思い出しました。結局、このプロジェクトは竜頭蛇尾に終わった訳ですが、EVOは親父の着古した背広を仕立て直して着ているように見えてなりません。しかし、内容はかなり違うようです。
ATR、新たな航空機「EVO」の計画を発表。持続可能な燃料を100%使用 - トラベル Watch
ATR次世代リージョナル機「EVO」はブレード8枚!? 2030年に市場投入 | FlyTeam ニュース
よく読むと、もともと低燃費で環境に優しいターボプロップを更に改良し、サステナブル?にするというもので、プロペラを8枚にしたり、専らSAFを燃料に使うというもので2030年までに市場投入するというものです。
しかし、果たしてそう都合よくいくものか?
それについては、次号で考察します。
(次回に続く)
***********************
久世寿(Que sais-je)
茨城県在住で60代後半。昭和を懐かしむ世代。大学と大学院では振動工学と人間工学、製鉄所時代は鉄鋼の凝固、引退後は再び大学院で和漢比較文学研究を学び、いまなお勉強中の未熟者です。約20年間を製鉄所で過ごしましたが、その間とその後、米国、英国、中国でも暮らしました。その頃の思い出や雑学を元に書いております。
***********************