また、道路の陥没事故が起きた。
今回は新潟市東区で発生したもので、幸いにも人身被害はなかった。この一点をもって、今回の事故は大きく扱われず、社会的な関心も限定的なまま終わろうとしている。
だが、本当にそれでよいのだろうか。
人が死ななければ、これは「問題」ではないのか。
人が巻き込まれなければ、原因究明は後回しでいいのか。
そうした判断が、今回もまた無意識のうちに下されていないか。
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陥没という現象は、偶然起きるものではない。
地下には必ず理由がある。
下水道管、排水、地盤、腐食、空洞化――
これらが複合的に重なった結果として、地表が崩れる。
今回の新潟の事故でも、原因は下水道管の損傷と説明されている。
しかし、それは起きた現象の説明に過ぎない。
本当に問うべきなのは、その一歩先だ。
なぜ壊れたのか。
なぜ今なのか。
なぜ同じような陥没が、短期間に、場所を変えて繰り返されているのか。
ここで一つ、あえて不快に感じる人がいるかもしれない問いを置いておきたい。
今回の陥没、そしてこれまで各地で起きてきた同様の事故は、本当にすべて「国内要因」だけで説明しきれるのだろうか。
下水、排水、地下構造物、腐食
これらは老朽化するだけでなく、外部から見れば極めて分かりやすい弱点でもある。
特定の国や組織を断定するつもりはない。
しかし、「その可能性を最初から考えない」姿勢こそが、国として最も危うい。
地下インフラが今、外からどう見えているのか、その視点を欠いたまま原因究明を終わらせてよいはずがない。
前回、埼玉県八潮市で起きた陥没事故では、初めて多くの人が「地下で何が起きているのか」に目を向けた。
当初は老朽化という言葉で片づけられそうになったが、周辺環境や腐食の異常が指摘され、単純な経年劣化では説明できない側面が浮かび上がった。
そして今回、また別の地域で、似た構造の陥没が起きている。
これは点ではない。
線になり始めている兆候と見るべきだ。
重要なのは、今回の事故が「軽微だった」ことではない。
むしろ逆である。
軽微に見える段階で、同じ兆候が繰り返し現れていることこそが、最も危険だ。
大きな事故は、ある日突然起きるわけではない。
必ずその前に、
・小さな異変
・見過ごされた兆候
・調べられなかった警告
が積み重なっている。
今回もまた、「人身被害がなかった」という理由で、深い検証が行われないまま終わるなら、日本は確実に“穴ぼこだらけの国”へ近づいていく。
だからこそ、これは特集続編として書いている。
必要なのは、その場しのぎの復旧ではない。
単発の原因説明でもない。
全国の地下インフラを横断的に見た、実地調査である。
・同様の条件を持つ場所は他にないのか
・排水や下水の性状に変化は起きていないのか
・腐食は想定の範囲内なのか
・過去の陥没と今回の事故に共通点はないのか
こうした点は、自治体任せでは見えてこない。
ここで、マスコミに強く求めたい。
人身被害がなかったからといって、記事を小さく畳まないでほしい。
発生件数を伝えるだけで終わらせないでほしい。
現場に足を運び、
過去の事故と突き合わせ、
共通点を掘り起こしてほしい。
マスコミが動かなければ、自治体も国も本気では動かない。
そして、自治体と国に対しても、はっきり書いておきたい。
今こそ、至急調査を行うべきである。
机上でまとめられた報告書ではない。
高額な委託費をかけた「きれいな文章」でもない。
地下を掘り、測り、確認する
実地の調査である。
国や自治体は、これまで高級なシンクタンクに多額の予算を投じ、
もっともらしい報告書を量産してきた。
だが、その報告書は事故を防いだのか。
次の陥没を止めたのか。
答えは、今回の現実が示している。
その金を、今こそこの調査に使うべきだ。
文章を書くためではなく、
事故を防ぐために。
人が死なない未来を守るために。
陥没は、地下からの警告である。
「想定が狂っている」
「限界が近い」
「見ないふりをするな」
という、無言の警告だ。
人が死ななかった今だからこそ、調べるべきである。
次に同じ言葉を繰り返さないために。
これは偶然ではない。
無関係でもない。
今、調査すべきである。
今、原因を追究すべきである。
今、マスコミが動くべきである。
(利祭来留夫)