2026年の全国人民代表大会(全人代)において、次世代のグローバル技術覇権を左右する新たなトラックとして「低空経済(Low-Altitude Economy)」が大きな注目を集めている。なかでも、世界的なリチウム製品サプライヤーである赣鋒鋰業(ガンフォン・リチウム)の李良彬董事長が提出した「航空機用動力電池の研究開発と商業化加速に関する提案」は、この数兆元規模の新興産業が本格的な離陸を果たすための核心的課題(チョークポイント)を的確に突いている。
同提案は、技術的な限界突破にとどまらず、先物市場を活用した重要鉱物のサプライチェーン防衛という金融イノベーションの視点を組み込んでおり、低空経済を「概念的離陸」から「商業的安定飛行」へと導くための体系的なロードマップを提示している。
1. 産業的背景:3.5兆元市場のブルーオーシャンと「三重の極限」という障壁
中国の低空経済は、現在まさに技術実証フェーズから本格的な商業化・社会実装フェーズへの移行期にある。2035年までに国内の市場規模は3.5兆元に達すると予測されており、電動垂直離着陸機(eVTOL)や産業用大型ドローンがこのブルーオーシャンを牽引する中核的モビリティとなる。
しかし、これらの「空のモビリティ」の心臓部となる動力電池は、地上の電気自動車(EV)用バッテリーを遥かに凌駕する「三重の極限(トリプル・エクストリーム)」という厳しい技術的要件に直面している。
高エネルギー密度: ペイロード(積載量)と航続距離を確保するため、現在の最高水準である300Wh/kgから、400〜500Wh/kg以上への飛躍的な向上が不可欠である。
高出力(ハイパワー): 垂直離着陸時において、巡航時の数倍に達する瞬間的な大出力を安定して供給しなければならない。
高安全性: 航空機としての厳格な安全基準(フェイルセーフ設計、熱暴走の完全防止など)を満たす必要がある。
中国は車載用動力電池において世界をリードするエコシステムを構築しているが、李良彬氏が指摘する通り、航空機に特化した専用バッテリーシステムは未成熟である。既存の車載用技術の流用では将来の大規模商業化には耐えられず、技術要件の根本的な乖離を埋めることが急務となっている。
2. 打開策:トップダウンによる標準化と次世代電池技術のブレークスルー
この構造的課題に対し、本提案は産業化のコア要素に直結する多面的な解決策を提示している。
トップダウン設計と標準化体系の確立:
国家レベルでの「低空飛行分野における動力電池応用の中長期的発展計画」の策定を提言している。すでに、国家標準である「無人航空機用リチウムイオン電池及び電池パックの仕様(GB/T 46460-2025)」が2026年5月より施行予定であり、中国自動車工業協会も「電動フライングカー用リチウム金属蓄電池」の業界標準策定に向けて動いている。ルールの早期確立は、企業の研究開発リソースの分散を防ぎ、商業化コストを劇的に引き下げる効果を持つ。
産学官連携による全固体・半固体電池の実装:
航空用途の過酷な要求を満たすため、国家科学技術重大プロジェクトを通じた共同研究開発を提唱している。技術的最適解としては、高エネルギー密度と本質的安全性を両立する全固体・半固体電池がeVTOLのメインストリームになると目されている。すでに正力新能(SVolt Energy)や中創新航(CALB)などの企業が、400Wh/kg超をターゲットとした航空級半固体電池の開発で先行している。
3. 金融イノベーションによるエコシステム防衛:先物市場の戦略的活用
本提案において最も先見性に富むアプローチは、「金融市場を活用したサプライチェーンの強靭化(レジリエンス強化)」である。
航空機用の高エネルギー密度電池には、リチウム、コバルト、ニッケルに加え、ゲルマニウム等の希少な重要鉱物(クリティカル・ミネラル)が大量に投入される。これらの資源の価格ボラティリティは、産業の持続的成長に対する重大なリスクとなる。
李良彬氏は、2023年に広州先物取引所に上場した「炭酸リチウム先物」の運用実績を根拠に、先物市場を活用したヘッジ機能の強化を提唱している。過去3年間で、この先物はリチウム資源の価格変動リスクを平準化し、実体企業が生産マージンを確定するための重要な価格指標として機能してきた。同氏は、企業によるヘッジ取引の積極活用を促すとともに、関連する商品先物市場の対外開放度を高め、重要鉱物における「中国価格(チャイナ・プライス)」の国際的プライシングパワー(価格決定権)を強化すべきだと主張している。実体経済と金融デリバティブを深く統合するこの構想は、萌芽期にある低空経済のサプライチェーンに強力な「安定化装置(スタビライザー)」を組み込むものである。
4. 未来展望:全ライフサイクルを見据えた持続可能な産業基盤の構築
低空経済の商業化は、単なる要素技術の開発にとどまらないシステム工学の領域である。本提案は、財政・金融支援と人材育成のパッケージ化も視野に入れている。
資金と人材の呼び水: 研究開発企業への直接的な財政補助に加え、「低空経済産業投資ファンド」の設立を通じた民間資本(ペイシェント・キャピタル)の導入、そして高等教育機関における「航空工学×新エネルギー×材料科学」の学際的プログラムによる専門人材の育成が提言されている。
サーキュラーエコノミー(循環型経済)の事前実装: 航空機用バッテリーの全ライフサイクル管理システムを早期に構築し、重要資源のクローズドループ(資源循環)をあらかじめサプライチェーンに組み込むことが、グリーン成長の前提条件となる。
多様な動力のハイブリッド化: 長距離飛行や大型貨物輸送においては、現在の純電動(BEV)技術ではペイロードに限界があるため、中期的には内燃機関や水素燃料電池を組み合わせたハイブリッド技術(HEV/PHEV)が補完的な役割を果たすと予測される。
結論として、 李良彬董事長の提案は、中国が育成を急ぐ「新質生産力(New Quality Productive Forces)」の急所を的確に捉えたマスタープランである。標準化による方向性の提示、次世代電池開発によるハードルの打破、金融市場を利用した資源の安定確保、そして包括的なエコシステムの構築。これらが立体的に連動することで、航空機用動力電池は爆発的な成長期を迎え、世界の低空経済競争において中国が圧倒的な戦略的優位性(コンペティティブ・アドバンテージ)を確立するための強力な「心臓」となるだろう。
(趙 嘉瑋)