前回、南鳥島のレアアース泥について、私はあえて冷静な目でその可能性と問題点を考えた。海底6000メートル近い深海から泥を引き上げ、運び、処理し、そこからレアアースを分離・精製する。これは普通の鉱山開発ではない。技術的にも経済的にも、世界で誰も本格的に経験したことのない領域である。だから「世界一の資源量がある」という言葉だけで国家予算を投入することには慎重でなければならない。
しかし、ここでもう一つ、逆方向から考えてみたい。
国家プロジェクトというものは、最初から採算が見えるものだけをやるのだろうか。もしそうであるなら、戦後日本をつくったいくつもの巨大事業は、果たして実現しただろうか。私は南鳥島を考えるとき、黒部ダム、東海道新幹線、1964年東京オリンピック、そして1970年大阪万博を思い出す。これらに共通していたものは何だったのか。
「そんなものを造ってどうする」と言われた新幹線
東海道新幹線の建設が本格化した1950年代末、日本はまだ現在のような豊かな国ではなかった。それでも東京―大阪間に、世界に例のない高速鉄道を造ろうとした。総工費は約3800億円。1961年には世界銀行から8000万ドルを借り入れている。当時の日本にとって決して小さな賭けではなかった。だが背景には明確な問題があった。高度成長によって東海道本線の輸送能力が限界に近づき、東京、名古屋、大阪を結ぶ新しい大動脈が必要になっていたのである。そして1964年10月1日、東海道新幹線は開業した。東京―大阪間はそれまでの6時間50分程度から4時間へ短縮された。重要なのは、新幹線の価値を単純な鉄道会社の収支だけでは測れないことだ。人が動いた。企業が動いた。時間の価値が変わった。東京、名古屋、大阪という巨大経済圏が一本につながった。新幹線は「儲かる鉄道」を造ったのではない。その後の日本が儲かるための国土を造ったのである。
黒部ダムは「電気料金」だけで評価されたのか
さらに象徴的なのが黒部ダムである。関西電力は戦後の深刻な電力不足を背景に、黒部川第四発電所の建設に挑んだ。工期7年。工費513億円。延べ1000万人が関わったとされる巨大工事だった。破砕帯との闘いは映画や小説にもなった。もし当時、「発電した電力一キロワット時あたりの原価はいくらか」「投資回収期間は何年か」という計算だけで判断していたら、黒部ダムは違った姿になっていたかもしれない。もちろん事業である以上、経済性は必要だ。しかし当時の日本にとって電力不足を解消すること自体が、産業政策だった。鉄鋼も化学も機械も家庭生活も、電気なしには成長できない。黒部ダムが造ったのは電気だけではない。高度成長を可能にする「余力」だったのである。
東京オリンピックは17日間の運動会ではなかった
1964年東京オリンピックも同じである。オリンピックそのものの開催費だけを見れば、その本質を見誤る。道路、首都高速、地下鉄、上下水道、空港、ホテル、東京モノレール。そして開幕直前には東海道新幹線が走り始めた。日本オリンピック委員会の資料では、大会そのものの経費約265億円に対し、道路、新幹線、地下鉄などを含む関連事業は約9608億円に達した。つまり国家が本当に造っていたのは「オリンピック会場」ではない。21世紀まで使える東京の都市基盤だった。オリンピックは期限を設定し、国民のエネルギーを一つの方向へ集める装置だったのである。
大阪万博が見せた「未来」
1970年の大阪万博も忘れてはいけない。テーマは「人類の進歩と調和」。183日間で6421万人を超える人々が会場を訪れた。そこに展示されていたのは商品だけではない。コンピューター、通信、新しい交通システム、映像技術、未来都市。戦後25年の日本人が、「次の時代はこうなるのか」と初めて未来を体験した巨大なショールームだった。国家プロジェクトには、道路やダムのような直接的なインフラだけではなく、国民に未来への方向を示す役割もある。大阪万博はその典型だった。
では、南鳥島は何を造るのか
ここで南鳥島に戻ろう。南鳥島を単純に「レアアース鉱山」と考えると、私は依然として慎重である。中国の陸上鉱山と、水深6000メートルの海底資源を単純なコスト競争に持ち込めば、日本が不利になる可能性は高い。中国が価格を下げれば、採算性はさらに悪化する。私は45年間、レアメタルの世界を見てきた。資源ビジネスでは、昨日まで高かった金属が突然半値になることなど珍しくない。だから南鳥島を、「レアアースを何円で掘れば採算が合うか」だけで評価することには無理がある。では何を評価すべきなのか。私は五つあると思う。
第一は、経済安全保障である。特定国が輸出を止めても、日本が完全に立ち往生しない最低限の供給能力を持つ。これは市場価格では測れない。
第二は、6000メートル級深海技術である。2026年、JAMSTECは「ちきゅう」を使い、水深5570メートル級の海底からレアアース泥を連続的に揚泥することに世界で初めて成功した。約50トンの泥が回収された。これはまだ商業生産ではない。しかし、「そんな深海から本当に泥を上げられるのか」という段階から、一歩前へ進んだ意味は大きい。
第三は、海洋産業の育成である。採鉱船、パイプ、ポンプ、海中ロボット、AUV、センサー、海底測量、環境監視。南鳥島を本気で開発すれば、必要になる技術はレアアースだけにとどまらない。
第四は、分離・精製・製錬まで含めた国産サプライチェーンである。泥を引き上げただけでは資源ではない。選鉱し、分離し、精製し、金属や磁石材料にして初めて産業になる。こここそ日本が磨くべき工程技術である。そして第五が、次世代への技術遺産である。仮に南鳥島のレアアースそのものが期待したほど経済的に成功しなかったとしても、6000メートルの深海を調査し、掘り、吸い上げ、環境を監視する技術が日本に残れば、その技術は別の海底資源にも応用できる。ここに国家プロジェクトとしての意味がある。
「1000億円の船」を買うことが目的ではない
前回触れた1000億円級ともいわれる新たな船舶構想についても、私は同じ視点で考えたい。私は国家が1000億円を投資すること自体には反対ではない。むしろ本当に必要なら1000億円でも2000億円でも投資すべきだと思う。ただし条件がある。船を買うことを国家プロジェクトにしてはいけない。すでに「ちきゅう」という巨大な国家資産が存在する。2026年の試験でも実際に「ちきゅう」を使って深海からの揚泥に成功した。ならばまず問うべきは、「なぜ新しい船が必要なのか」「ちきゅうでは何ができないのか」「年間何日稼働するのか」「南鳥島以外に何に使えるのか」「民間企業が将来利用できるのか」である。黒部ダムの目的は巨大なコンクリート構造物を造ることではなかった。電力を供給することだった。新幹線の目的も美しい列車を造ることではなかった。日本の大動脈を造ることだった。ならば南鳥島も同じである。目的は巨大な採鉱船を所有することではない。日本が海洋資源を自ら探し、自ら採り、自ら精製できる能力を持つことだ。
南鳥島は「鉱山」ではなく「海洋資源国家への実験場」にせよ
ここに私は、南鳥島国家プロジェクトの本当の位置づけがあると思う。新幹線は日本を高速交通国家にした。黒部ダムは日本を電力国家にした。東京オリンピックは東京を近代都市に変えた。大阪万博は日本人に未来社会を見せた。では南鳥島は何を残すのか。私は、「資源のない国・日本」を、「海洋資源を開発できる国・日本」に変えることだと思う。それなら1000億円は必ずしも高くない。しかし「レアアースが世界一あるから1000億円使う」という説明では弱い。国家プロジェクトには夢が必要である。同時に、国家プロジェクトほど冷徹な検証も必要である。2027年には約1か月の本格採鉱試験が予定され、2028年3月までには経済性を含めた産業化の総合評価が行われる予定だ。ここで都合の良い数字だけを拾ってはいけない。採鉱コスト、揚泥量、品位、輸送費、分離精製費、環境負荷、中国価格との競争力、そして有事の戦略価値。すべて公開して議論すべきである。そのうえで国家が、「これは単なる鉱山投資ではない。日本の次の50年をつくる海洋技術への投資である」と国民に説明できるなら、私は前へ進む価値があると思う。黒部の山奥で破砕帯にぶつかったとき、日本人はトンネルを諦めなかった。東海道新幹線を構想したとき、世界には時速200キロを超えて都市間を結ぶ高速鉄道など存在しなかった。彼らが見ていたのは、完成した瞬間の採算表だけではない。その先にある日本だった。南鳥島も同じである。問われているのは、海底6000メートルに何トンのレアアースが眠っているかだけではない。その6000メートルの海を、日本が自分の技術でどこまで使いこなせる国になるのか。私はそこにこそ、南鳥島を国家プロジェクトとして進める本当の理由があると思っている。