元鉄鋼マンのつぶやき#6 水素製鉄について考える
筆者が製鋼工場に勤務した1970~1980年代、「何か嫌いなものはあるか?」と訊かれたら、水素が大嫌いと答えたはずです。製鋼屋にとって、水素ほど忌むべきものはないからです。
1910年代、第一次大戦の最中、ドイツ軍はクルップ社が製造した大砲を用いていましたが、なぜか戦場で砲身が破裂・破壊するという事故が相次ぎました。事故原因はしばらく不明でしたが、徹底的な調査が行われました。
そして砲身の破断面の顕微鏡観察の結果、ピカリと光る奇妙な白い小さな点が見つかったのです。それは鋼中の水素が抜けた後の孔でした。つまり鋼中には微少ながら水素が存在し、それがとんでもない脆性破壊をもたらすのだと科学者たちは知ったのです。その白点という現象が解明したころには、ドイツは負けていましたが・・・。金属学の世界には、歴史に残るような面白いエピソードが多くありますが、白点と水素脆性の逸話はその一つです。水素脆性が世界大戦の帰趨に影響を与えた・・というのは大袈裟ですが、それ以降、つまり20世紀の製鋼技術はいかに水素を減らすかという、水素との闘いだったのです。
水素の害は他にもあります。油田の採掘用鋼管(OCTG)や輸送用鋼管(ラインパイプ)では、耐HIC性能が求められます。HICとはHydrogen Induced Crack(水素誘起割れ)でサワーガス(硫化水素や亜硫酸ガス)の酸性雰囲気下で発生する特殊な割れのことです。組織中に水素が存在し、さらにトラップサイトとなる偏析や原子空孔があると、H+イオンが集積し、割れの起点となるもので、油田やパイプラインでの事故の原因となりえます。対策は中心偏析や介在物を減らすこと・・と鋼中の水素[H]を減らすことでした。
割れだけではありません。自動車鋼板に用いる極低炭素鋼板では、酸洗時や連続焼鈍時に水素を吸い込み、ブリスターと言われるミミズ腫れのような表面欠陥が生成します。もっとも、この欠陥については水素以外のガスが原因の場合もありますが。
また鋼中の水素つまり[H] が6ppm以上あると、連続鋳造時にブレークアウトという事故が多発することも経験上、知られてきました。そのメカニズムはいまだ不明な点が多いのですが、凝固中の鋳片の表面が鋳型の銅板に焼き付くことが原因です。
かつて川崎製鉄(当時)が開発したK-BOPという転炉は、炉底から冷却用にプロパンガスを吹いていましたが、プロパンが分解してできる水素のためにどうしても[H] は高くなります。その結果、ブレークアウトの発生も多かったのです。
さらに水素の困った点は、定量分析が難しいことです。素人の私が行うと測定値がばらつきます。これはサンプリング直後から大気中に水素が放散するためです。筆者が製鋼工場の駆け出しだったころ、旧式の二重シリカチューブのサンプラーを使いました。溶鋼からサンプルを採取したら手早く液体窒素の瓶に入れて冷却するのですが、私はもたもたしてしまい拡散性水素は蒸発し、中心偏析部の残留水素だけしか測定できないことも多かったのです。ある時などは慌てて液体窒素をこぼしてしまい、あたり一面真っ白なモヤに包まれて幻想的な風景になってしまいました。幸いにして凍傷にも酸欠にもなりませんでしたが。
では高めの水素が測定された場合、どうすればいいのか?溶鋼段階であれば、DHやRHという真空脱ガス処理を徹底して行います。ちなみにRH(Ruhr Stahl Heraeus)は白点で痛い目にあったドイツの技術です。凝固した後は、ソーキング処理として鋳片を高温下で長時間保持して拡散性水素を放散するしかありません。でも限界があります。
ことほど左様に、製鋼技術者は水素に悩まされてきた訳ですが、それはなぜか?一言で言えば、水素は金属の仲間だからです。周期表を見ればわかります、水素は左端のアルカリ金属の列の最上位にあります。これは、電子を容易に放出してH+イオンとなることを意味し、放出された電子は金属結晶内で自由に移動します。つまり他のガスと異なり、水素は金属ガスなのです。さらに言えば、H+イオンとは陽子1個ですから極めて小さく、鉄のフェライト組織内を高速で移動します。(オーステナイト組織内では移動速度はやや低下します)。
それなのに、現代の製鉄業界は脱炭素を志向し、金属の敵である水素による製鉄を目指すそうです。うーむ、これは難しそうです。
ここまで述べたのは、製鋼工場の水素問題ですが、製銑工程(つまり高炉)となると、話はもっと複雑です。従来の高炉法を断念する必要がありますし、そもそも銑鉄(鉄中に[C]=3~4%含まれる)という概念がなくなります。高炉→転炉→炉外精錬というプロセスが成立せず、それに代わるものが求められます。ひょっとしたら電炉法の時代が来るかもしれません。
製鉄で用いる石炭(コークス)には、3つの役割があります。
- 鉄鉱石を溶解するための高温を確保するための熱源。
- 鉄鉱石を還元して酸化鉄から鉄にするための還元剤。
- 鋼の成分として必要な炭素分の供給。
上記の内、3.は無視してもいいですが、1.2.は高炉法の本質とも言うべきところです。一応、水素も燃えれば高温を実現しますし、還元力も炭素より強いです。しかし、高炉内は、通風可能な隙間を確保しながら焼結鉱やコークスが積み上がった状態で、生成した溶銑が下に滴下する構造です。このモデルは、固体、液体、気体が混じった空間で、3次元的に熱移動が発生する動的モデルで、数値解析が非常に難しい世界です。だから、19世紀以降、勘と経験で高炉は操業されています。近年になって長年の経験をなぞる形で、古典的なAIが採用されていますが、人間の操業ノウハウを上回るものではありません。
製鉄プロセスの勉強を始めた頃、東北大学の大学院で金属工学を修めた同僚が「高炉なんて19世紀の教科書がまだそのまま使えるんだぜ」とちょっと自嘲気味に語ったのを覚えています。水素製鉄の技術開発は、この200年間掛けて積み上げた高炉操業技術を全て捨てて、一からやり直すことになります。
第一、粉コークスと鉄鉱石粉を混ぜて焼結する焼結鉱が使えません。ロットによってバラつきがある鉄鉱石を上手にブレンドして、高炉操業を安定させる手段である焼結鉱を捨てる勇気が製銑技術者にあるのか?心配します。
製鉄所のエネルギーは基本的に、石炭やコークスに由来します。(一部は外部からの電力を用いますが)。製鉄所内使用する気体の燃料は、Cガス(コークスガ)、Bガス(高炉ガス)、Kガス(転炉ガス)が主で、それらは全て石炭から製造します。無論、水素ガスも生成しますが、これは石炭から製造するブラック水素またはブラウン水素に分類されるものです。水素を用いても何の意味もありません。
もし製鉄所で石炭の使用をあきらめるなら、一時期時代の寵児であったIPPの石炭火力発電を止めることが先でしょう。また石炭からの副製品を利用したC1化学の工場も断念せねばなりません。高純度のグラファイトを回収して、高機能カーボン製品を開発する取り組みも断念せねばなりません。
唯一の救いは、ブルー水素やグリーン水素の調達がそれほど困難ではないだろうということです。日鉄東日本製鉄所の鹿島地区の場合、同じコンビナート内に鹿嶋電解という苛性ソーダや塩素ガスを製造する工場があります。水の電気分解の過程で、水素も採取できます。これは分類としてはグリーン水素になります。(しかしその元の電力は、東電鹿島の火力発電所に由来しますから、カーボンフリーとは言えませんが)。
製鉄所の外部からの調達となりますが、各製鉄所は、酸素メーカー/ガスメーカーとタイアップしています。鹿島地区であればエアーウォーター社が各種のガスを供給・販売します。グリーン水素もブルー水素の調達もエアーウォーター社を介して可能です。
水素は入手できるけれど、石炭を追放した製鉄プロセスを本当に確立できるのか? 小規模な製鉄なら、トリニダードトバゴで製造するRDIを使う方法もありますし、天然ガスでシャフト炉を使用する方法もあります。でも年間粗鋼生産数百万トンの大規模製鉄所を賄うだけのプロセスは非常に難しいです。
全く新しい技術を開発するなら、水素を用いたプロセスについて、予め徹底的に調べる必要があります。具体的な説明は省略しますが、それには生成AIが役立ちます。
生成AIの情報を踏まえたうえで、実証試験を製鉄会社の研究所で行えばいいのですが、それには日鉄といえども力不足で、単独では難しいでしょう。USスチールなど組み、国際連合で取り組むべきでしょう。
心配なのは、その技術が確立するとしても、それが日本でとは限らないことです。自動車業界が内燃機関車からEVに移行する過程で、中国が覇権を取ろうとしているように、外国に大規模製鉄の覇権を狙われるかも知れません。新技術、新プロセスに挑まなければ、技術は陳腐化し、時代に取り残されるのは必定です。
そういえば、筆者が駆け出しの頃、仕事中に「枕草子」の一節が突然聞こえました。「香炉峰の雪いかならむ」と聞こえたようで、顔を上げたら、筆者の聞き違いで、先輩達が「高炉法なんていかん」と言っていたのです。当時の若き製鉄技術者達は、旧式の高炉法に代わるプロセスを模索していたのでした。既にそれらの技術者は全員引退してしまいましたが、今の若手技術者にもチャレンジ精神が引き継がれているなら素晴らしいことで、エールを送りたいと思います。
ところでChatGPTに、将来の脱炭素の製鉄方法について尋ねてみましょうかね。
AIが「高炉法なんていかん」と言うか「香炉峰の雪いかならむ」と言うかはわかりませんが。
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久世寿(Que sais-je)
茨城県在住で60代後半。昭和を懐かしむ世代。大学と大学院では振動工学と人間工学、製鉄所時代は鉄鋼の凝固、引退後は再び大学院で和漢比較文学研究を学び、いまなお勉強中の未熟者です。約20年間を製鉄所で過ごしましたが、その間とその後、米国、英国、中国でも暮らしました。その頃の思い出や雑学を元に書いております。
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