読者諸兄はアメージングスクエアと言うスポーツ総合施設が東京の千住に存在したことをご記憶でしょうか? 昭和62年(1987年)に、開園した時は、巨大迷路の存在が話題になり、TVなどにも、かなり取り上げられました。
都内にどうしてこんな広い土地が確保できたかというと、これは東京製鉄の千住工場の跡地を利用したからなのです。
マスコミは日本にも巨大迷路ができたとか、本格的なバンジージャンプができたとか、そのアトラクションについて詳しく報道しましたが、その背景については触れませんでした。しかし、筆者はどうしてアメージングスクエアを東京製鉄が作ったのかに、強い関心がありました。
時はバブル景気がピークに近づこうとしていました。土地の値段は高騰し、もし売ろうものなら高額で売れる代わりに多額の税金を取られます。不要になった土地ができても、売らないという選択肢もありますし、少し様子を見て、更に値段が上がるのを待つのも方法です。
筆者は巨大迷路やバンジージャンプは土地の利用方法が最終的に決まるまでの仮の姿だと考えていました。
その何十年も後に、真実はかなり違うことを知りました。東京製鉄創業の土地を売却すべきか残すべきかで、経営陣に意見の違いがあったということです。
千住は微妙な土地です。もともとは工場群があった土地ですが、いつの間にか住宅街に変貌しつつありました。複数の鉄道路線が交差し、交通の要衝であることから、都心へ通勤する人々には好適な住宅街だったのです。もはや、そこに製鉄所が存在するのは不適当だったのです。東京製鉄は操業の地である千住工場を閉じました。
アメージングスクエアは、その後、一定の成果を上げた後、紆余曲折を経て、一部は高層マンション群に変貌しました。
筆者はこれを新しい事業変化の形態として注目していました。
工場跡地を遊園地にしたのを、千住モデル1、高層マンション群にしたのを千住モデル2と仮に名付けます。
千住モデル1について
第二次産業(工業や鉱業)が、第三次産業(特にアミューズメント産業)に転換した例は他にもあります。古くは常磐炭鉱が閉山したあと、常磐ハワイアンセンターに転じた例があります。これは映画『フラガール』にもありましたが、大変な努力の末に、やっと成功した例です。この真似をした夕張市は夕張映画村で見事に失敗しました。「鵜の真似をする烏水に溺る」です。
製鉄業では、新日鉄(当時)が八幡の高炉跡地にスペースワールドを開きました。暫くはなんとか経営を続けましたが、やっぱり失敗しました。スペースシャトルの実物大模型の先に、錆びた高炉が視界にはいっては、興ざめというものです。
でもスペースワールド失敗の本当の理由は別にあります。失礼ながら、失敗の理由は、エース級の本当の人材を投入しなかったことにあります。本当に優秀な人材は本業の鉄鋼業の残し、リストラ候補の余剰人員の出向先としてスペースワールドを考えれば、うまくいくものも失敗します。出向した社員も、それが分かっていればやる気になりません。全てはやる気の問題であり、出向者のモチベーションアップを図ることができれば、同じ人材でもうまくいったはずです。
うまくいった例としては、住友金属(当時)の大阪製鋼所の土地を削って開園したユニバーサルスタジオジャパン(USJ)の例があります。これとて、軌道に乗るまでは大変で紆余曲折があった訳ですが、本国のユニバーサルスタジオの教育指導で業績を伸ばしたのです。ここで働く元鉄鋼マンは、自分がかつて工場で働いていたことを忘れ、生まれついてのテーマパークのキャストだと自分の意識を転換することで成功したのだと、筆者は考えます。
昨日まで製鋼工場の現場で溶けた鋼を相手にしていた男が、子供に向かって愛想よく笑顔で「いらっしゃいませ」と言えるか?・・・・この難問に多くの人々が挑戦し、幾らかは成功し、幾らかは失敗しました。
製鉄業の事業転換の大胆な取り組みの嚆矢というべきものが、東京製鉄のアメージングスクエアであり、製鉄各社はそれをおおいに参考にすべきでした。しかし、高炉各社がそれを参考にしたとは思えません。
脱線しますが、筆者は住金と経営統合する直前の時期に新日鉄(当時)の東京製造所を訪問したことがあります。偶然ですが、そこの所長は大学の後輩でした。東京都板橋区にあった工場はシームレス鋼管を製造していましたが、製管工場固有の甲高い騒音が発生します。これは製品の鋼管同士がぶつかった時の音ですが、確かにやかましいのです。細い川を挟んだ対岸には高層住宅が並び、苦情が絶えません。「何とか、騒音が出ない製管設備を開発してくれませんかね。値段がいくらでも買いますよ」と半分冗談の愚痴を言われたのですが、筆者は「それより、工場をたたんで、跡地を遊園地か、タワーマンションにした方がいいんじゃないですか?」と答えると、彼はとたんに顔を曇らせ、黙り込んでしまいました。
実は、住金との合併後に、シームレス鋼管の製造は旧住金の工場に集約することが彼には見えており、東京製造所は閉鎖されるだろうと彼は読んでいたのでした。だから黙り込んだのですが、実際、東京製造所は閉鎖され、後にはタワーマンションが建っています。
千住モデル2について
工場跡地を高層マンションにするというアイデアは単純ですが、実は少し難しいのです。これは分譲マンションとして売却する場合も、売却せず賃貸マンションとする場合もそうです。
不動産を所有したまま賃貸物件とする場合は、管理業務が発生します。分譲マンションとして販売する場合は販売時期が難しいのです。住宅価格がピークの時点で売り出すのが最適ですが、高すぎると、周辺地域の不動産価格を吊り上げたとして非難されますが、逆にピークを逃すと含み損が発生します。
住宅地に転用するためには、工場の場所が鉄道の駅の近くにあり、かつ都心への通勤圏であることが重要です。
実はバブル崩壊後、千住モデル2を実行した会社が数多くあります。筆者の知るところでは、名鉄津島線のそれぞれの駅の近くにあった工場群がいつの間にかマンションになっていた例があります。勿論名古屋の都心への通勤圏です。JR呉線で、広島に近い各駅の近くにあった工場もいつの間にかマンションになり、工場は姿を消しました。駅から少し離れた場所にある工場はそのままです。
問題は、工場を移転または廃業したあとの更地の状態です。もしここから重金属や有害な有機物が検出されたら、売却後に土壌改良のための莫大な費用を請求されたりします。具体的には有害な重金属であるカドミウムや鉛、表面処理に用いている6価クロムなどです。以前、住友鋼管(旧日本パイプ)が市川から鹿嶋に移転した際は、跡地の土壌汚染の後始末で巨額の費用を請求されています。やはり簡単ではないのです。
この千住モデル2も古くからあるのですが、首都圏の製鉄工場移転と跡地でのマンション建設を大規模に行ったのは、やはり東京製鉄が初めてだと筆者は考えます。
ここまで述べたのは、少し古い話です。千住のアメージングスクエアは昭和から平成時代の話です。しかし過去の話とする訳には行きません。製鉄業界が今、直面する課題にもつながります。
日本製鉄の橋本会長は、海外で積極投資する一方で、日本国内の生産能力を絞り込んでいく方針です。鋼材の国内需要がこれからは伸びないとの見通しをもとにした方針ですが、早晩、国内の製鉄所の整理統合と閉鎖が話題にでてくるでしょう。千住モデル1をとるのか、直接千住モデル2を採用するのか?
外野席から見ていても、九州の旧小倉製鉄所の跡をどうするのか?とか、鹿島で発生するであろう遊休地をどうするのか?と質問したくなります。それらは喫緊に迫った課題のはずです。
千住モデル1なのか、千住モデル2なのか?「ためしに巨大迷路とかバンジージャンプを作ってみたら?」と橋本君に提案してみましょうかね。
おそらく彼の返事はこうでしょう。
「それどころじゃない。高値づかみしたUSスチールをどう経営していくかで頭がいっぱいだ。五里霧中で、まるで僕自身が巨大迷路の中にいるみたいだ」
まあ、それならまだましです。やがて、USスチールで巨額の赤字を計上し、日本製鉄の株価が真っ逆さまに急降下して「まるでバンジージャンプをしている気分だ」なんてことになったら大変です。まあ、多分大丈夫だと思いますが。
***********************
久世寿(Que sais-je)
茨城県在住で60代後半。昭和を懐かしむ世代。大学と大学院では振動工学と人間工学、製鉄所時代は鉄鋼の凝固、引退後は再び大学院で和漢比較文学研究を学び、いまなお勉強中の未熟者です。約20年間を製鉄所で過ごしましたが、その間とその後、米国、英国、中国でも暮らしました。その頃の思い出や雑学を元に書いております。
***********************