私事で恐縮ですが、筆者は塾の講師をするために午後3時過ぎまたは午後5時過ぎに出勤することがあります。するとどちらも交通渋滞に巻き込まれます。午後3時の方は、製鉄所の早番(製鉄所では甲番と言います)の退勤者のラッシュで、午後5時の方は、常昼勤務者(午後5時に終業)の退勤ラッシュに出会うのです。
少し不思議に思うのは、昔の住友金属だった頃の製鉄所の退勤時刻は、もう少しバラついていたのに変わったかな?という点です。以前は社員が退社する時刻は、人によって、あるいはその時の都合によって異なり、バラバラだったのです。それが一斉退勤になったのはある事件が理由です。
サービス残業が常態化し、それが当たり前だった会社の習慣に、ある若手社員が疑問を呈し、問題として提起したのです。それまでの仕事の習慣を肯定するベテラン社員と否定する若手社員の間で喧々諤々の議論があったようですが、最終的に「サービス残業は無くす。残業の必要が無い時は早く帰宅すること」という結論に至ったようです。
その結果、定時になると一斉に帰宅する自動車が道路に殺到し、渋滞が激しくなったという訳です。
ではそれまでの製鉄所はどうだったのかというと、組合との協定でタイムカードは無く、ホワイトカラーの事務技術職や管理職は裁量労働制という形でした。
その結果、定時後に始まる夕方の会議なども普通にありましたし、仕事の後に上司や先輩の机の周りに集まって、金属学の勉強会や技術論を交わす雑談の場もありました。ここまでは仕事の一部とも言えますが、それ以外の活動もありました。究極の裁量労働制とも言える研究開発部門では定時後に囲碁をしている人達もいました。また会社の部活動で、生け花やお茶の同好会もありましたし、筋トレやジョギングなどの運動をする人も、サウナに入る人もいて、仕事後も会社に残る人は多かったのです。
今はどうなのか・・、ちょっとわかりません。
一方、生産ラインを担当する現業職(ブルーカラー)は、厳密に時間から時間までの仕事で、4直3交替勤務が基本です。1回の勤務でラインに付くのは8時間ですが、前後のシフトとの引継ぎの打ち合わせが加わり、逆に昼食休憩時間が引かれます。
現業職についてはタイムカード管理もありかな?と思いますが、広い製鉄所ではどこにタイムカードを置くかが問題になります。門の近くにタイムカードを置けば、門から職場までの移動時間も勤務時間に加わりますが、それは価値生産の時間とは言えません。一方、職場の入口に置けば、門から職場が遠く移動時間がかかる奥の工場の人は不利になります。さてどうしたものか?
また勤務後の入浴時間は労働時間には入りません。タイムカードの刻印前に入浴する訳にはいきません。その昔、JRが国鉄だった頃、勤務時間内の入浴が黙認されていました。しかし繰り返しになりますが製鉄所では入浴時間を勤務時間にはできません。でも現場の業務によって身体は汚れ、汗をかく訳ですから、入浴は勤労によって生じる必要な行為です。さてどうするか?それらの難しい問題があったため、製鉄所にはタイムカードは無かったのです。
今、日本製鉄になりサービス残業も無くなり、社員は定時に帰宅できるようになったのですが・・・、はて?午後3時過ぎに猛然と西門から飛び出してくるあの社員達はお風呂に入らないのかな?と私は不思議に思います。
サービス残業が悪しき習慣であったことは論を待ちませんが、いかにも仕事が苦痛で、会社が嫌で、一刻も早く職場を離れたいという風に退勤する人々を見ると、少し寂しい気持ちになります。
「昔はそうではなかったよ。専門知識を持たなかった私には、定時後の時間は、上司や先輩から専門知識を学ぶ貴重な時間だったし、それに仕事後の風呂は人間関係を築く場でもあったよ。まさに裸の付き合いさ。今はどうなのかい?」と渋滞の車列を見ながら筆者は問いかけたくなります。
そしてもう一つ、触れなければならないのは、現業職(ブルーカラー)の常駐勤務と交替勤務の違いです。
製造ラインに携わる人は基本的に交替勤務ですが、ライン業務でない人は常駐勤務となります。前述のサービス残業があった時代、常駐勤務の現場の人に訊くと「時間から時間で、きっちり仕事を終えて帰れる交替勤務が羨ましい」と語っていました。
それに交代勤務は当然ながら交替勤務手当がでて、給与も増えます。しかし筆者は全く別のことを考えました。筆者も新入社員時代に、交替勤務を経験したのです。
若かった頃の自分は徹夜も可能でしたが、やはり深夜の勤務は身体にこたえます。勤務は実働8時間ですが、睡眠は不規則になりますし、出勤前の時間にまとまったことはできないので、結局丸1日無駄になります。ほぼ1週間単位でシフトが換わるのですが、疲れと眠気を引きずり、昼間のシフトに入ってからも体調は冴えません。やはり、24時間操業の交替勤務は辛い・・という記憶があります。
一方、製造業、特に装置産業にとっては、24時間操業、3交替勤務はありがたい仕組みです。電力は安価な深夜料金を活用できますし、減価償却が進む設備を最大限活用して短期間で価値を生産できます。もし生産量が減る事態となってもバッファーとしてシフトを落とすことで対応でき、ラインを止める必要がありません。
無論、製鉄所の場合「溶け物」を扱う上工程では、24時間操業が当然さ・・という考えがあります。毎日夜間に高炉を止めるなんて非現実的ですし、溶銑や溶鋼、耐火物の温度低下は避けなければなりません。
耐火物については、高温特性に優るものの温度低下後に交換が必要になるものと、高温特性には劣るものの温度低下を経ても性能が劣化しないものの2種類があります。炉の操業にあたってはその使い分けになりますが、基本的に温度は下げない方がいいのです。この耐火物の性質の問題は、高炉対電炉の比較でも重要なポイントになります。それも製銑・製鋼の問題だけでなく、廃棄物処理のプロセスでも高炉型がいいか電炉型がいいかの議論にも直結します。電気炉は間欠操業を前提とし、温度低下に耐えうる耐火物が必要ですが、高炉はそうではないのです。この問題については、どこかで稿を改めて議論したいと思います。
24時間操業が前提で、365日操業しなければならない高炉メーカーの製鉄所、一方、間欠操業が可能な電気炉の製造所・・・、この両者の比較は、いろいろな角度から検討されますが、従業員の勤務シフトにも違いが見られます。
かつて電炉メーカーは安価な深夜電力を活用するために、専ら夜間に電気炉を操業していました。シフトが切り替わる交替勤務も辛いですが、ずうっと夜勤だけが続くのは更に辛いところです。
「僕たちはフクロウ部隊ですよ。まあ、専門は冶金(夜勤)ですし、もともと鉄屋(徹夜)ですから、文句はありませんが」と筆者の知人は自嘲気味に語ります。
ここで問題になるのは、現場は専ら夜間に操業するのに管理職は常駐勤務だということです。
毎朝、工場長は出勤後に、作業長が眠たい目をこすりながら報告するのを聞くことになりますが、リアルタイムの情報を得ることができません。これが問題です。そして実は夜も気が休まりません。トラブルがあれば深夜でも工場長は呼び出され、対応する必要があります。つまり工場長は夜勤と昼勤を常に兼務する形になります。もっとも、これは専ら夜間に操業する電気炉工場だけではありません。3交替で24時間操業の高炉メーカーの製銑工場や製鋼工場も熱延工場も同じです。
昭和の時代「24時間戦えますか?」というCMのキャッチフレーズが流行りましたが、昭和の時代の工場長は24時間戦っていたのです。
製鉄所において工場長職は上級幹部への登竜門で、そのポストをうまくこなした人が昇進していく仕組みでしたが、在任期間中の勤務は過酷でした。
しかし、令和の現代、状況は違うようです。先日筆者は、産業廃棄物の焼却灰を溶融炉で処理する工場を見学しました。もともとは合金鉄を電気炉で製造する工場でしたが、今は産業廃棄物を扱う工場なのです。
膨大な電力を使用する工場ですから、当然、深夜電力を活用する夜間操業かな?と思い「フクロウ部隊ですか?」と尋ねると「えっ?何のことです?」との回答で、操業は昼間だけとのことです。
昔と違い、再生可能エネルギーの電力の増加などで、深夜電力のコストメリットは減少しています。従業員に負担を強いてまで夜間操業に拘る時代ではないのです。
「いいですか?今時、夜勤前提で社員を募集しても誰も集まりませんよ。人材確保の点からも夜勤前提はあり得ないし、電気炉=夜勤というのは偏見です」と厳しい言葉でした。
そう言えば、鉄鋼の世界でも主要な電炉メーカーは「グリーンスチール」を標榜し、電力も再生可能エネルギー由来を多用しつつあります。これはCO2削減が主目的ですが、夜間電力・深夜電力に頼るフクロウ部隊からの脱却を志向するということなのか・・・と一人納得します。
日本は働き方改革によって、過酷な勤務を忌避する風潮があります。工場設備を24時間稼働させて生産量を極大化する考えは依然としてありますが、働く人間については違います。DX化や自動化、無人化を進め、交替勤務の人員を最小化して、なるべく多くの業務を常昼勤務時間帯に振り向ける工夫が求められます。
もっともこれは、工場の場合で、救急医療を担当する医療機関や、国際線の飛ぶ空港や鉄道などの交通機関、コンビニなどの流通サービス業は、話が別です。
やがて製鉄所でも交替勤務をする人は少なくなり、AIやロボットがその分を肩代わりし、多くの従業員は昼間だけ仕事する時代が来るかも知れません。それはそれで好ましいのですが・・・。
しかし、夜勤で人間が行う業務は厳然として残ります。大きな声で言えませんが、煤煙の出る焼却作業は、製鉄所では主に夜間にしていました(昭和の頃です)。夜は煙が公害監視カメラに映らないからです。それに夜間は風が陸から海に吹き、煤煙は海に降り、好都合です。「やばい物は夜燃やせ」と言われました。
それが令和の現代、どうなっているのかは知りません。しかし希に、何の手違いか、朝起きたら工場から離れて停めた車に粉塵や煤煙が乗っていることがあります。それを見て「丙番(深夜勤務 午後11時~朝7時)勤務の作業者もご苦労なことだな」と思う事があります。皆様から見れば「なんてお人好しなんだ」と思われるかと思いますが、やはり工場の内部にいて交替勤務をした者としては、彼らの気持ちを理解するのです。
引退してもう随分年月が経ちますが、やはり筆者は夜勤屋(冶金屋)なのだと実感する瞬間です。
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久世寿(Que sais-je)茨城県在住で60代後半。昭和を懐かしむ世代。大学と大学院では振動工学と人間工学、製鉄所時代は鉄鋼の凝固、引退後は再び大学院で和漢比較文学研究を学び、いまなお勉強中の未熟者です。約20年間を製鉄所で過ごしましたが、その間とその後、米国、英国、中国でも暮らしました。その頃の思い出や雑学を元に書いております。
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