以前、サントリーの経営者だった新浪氏の失脚に関連して、プロ経営者とは何か?について駄文をしたためました。プロ経営者とは何か・・について、正確な定義については分かりませんが、よそからやってきて、傾いていた経営を立て直し、コンスタントに利益を出せる状態にすることがプロ経営者の最低条件でしょう。でもそれだけなら普通の再建屋です。
再建の名手とされる経営者は昭和の時代からいました。例えば、ツガミの経営を立て直した大山梅雄氏などがそうです。日航をたてなおした稲森和夫氏や日産の経営を一時的にせよたてなおしたカルロス・ゴーンも該当するかも知れませんが、少し違うような気もします。
今注目されるプロ経営者とは、ビジネススクールなどで学び、経営学あるいは経営手法に精通し、複数の業界で通用するノウハウを身に着けた人材でしょう。そんなスーパーマンなどいるものか?と思いますが、米国にはいたようです。例えばGEのジャック・ウェルチ氏は、アメーバのように多くの業界・産業を自社に取り込み、それぞれを成功させてきました。
しかし、そこで働く人々が幸福だったとは限りません。よく知られた話ですが、ジャック・ウェルチ氏は「中性子爆弾」と言われていました。中性子爆弾は、爆発規模は小さいものの、強烈な放射線(中性子線)を発生させて、生物のみを全滅させます。逆に生物以外の装置や機械は無傷で残ります。GEに吸収合併された企業は、生産設備や商権は残ってGEに引き継がれますが、従業員はリストラされて「そして誰もいなくなった」状態になります。まさに中性子爆弾です。買収・吸収される側の企業にとってはたまったものではありません。
しかし、買収する側のプロ経営者は、企業価値の極大化を実現できれば、それで良しとします。具体的には株式の時価総額が増大し、さらに「会社や事業を売り抜けることができれば」成功となります。従業員の幸福は考慮されません。
でも米国の経営者が皆さんそうだという訳ではありません。NUCORの創業者であるケン・アイバーソンは、経営の近代化や収益の改善のために、一流のビジネススクールを卒業したMBAを雇いましたが、いい結果は得られなかったようです。ケンは「どうやら私の会社とMBAは相性がよくなく、彼らに活躍の機会を与えられなかったのは、私の責任」と言っています。現場で鋳造設備を自分で考案して作り、叩き上げの技術者だったケンには、現場を知らないMBA達は胡散臭い存在に見えたのかも知れません。
筆者は米国の大手鉄鋼会社(LTV)がMBAを雇い、価格システムを見直す改革をしたのを見ていました。一言で言えば、隘路となる生産能力が不足する工程を通過する製品にはプレミア価格を付けて、他の製品を生産する機会損失分を負担させるという手法です。これで一時期は大幅な値上げに成功しましたが、製品需給が緩和すると、逆に値引きを迫られ、経営の足を引っ張ることになりました。小手先の理屈で製品価格を上げたり、材料購入価格を下げたりするというのは、昔、カルロス・ゴーンが日産で行ったコストカットに通じるところがあります。現場を知らなくてもできますが、所詮「小手先の思い付き」です。
日産は日本の自動車メーカーには珍しく、自動車の素人(と言ったら怒るかな?)が経営をしていました。カルロス・ゴーンはもともとタイヤの営業マンでしたし、内田誠氏は商社マンでした。別にそれでも構いませんが、生産現場のことは詳しくなかったはずです。日産はゴーン時代に一時的に経営が持ち直しましたが、日産が抱える本質的な問題はそのままとなり、先送りされただけではないか?と筆者は考えます。
メーカーの場合、あるいはメーカーでなくても、その会社の生産現場や、現場で働く人たちの思いを知らない人物が「プロ経営者」とは思えません。
そして現場を知るか知らないかも、重要ですが、社員の気持ちに思いをいたすかも重要なポイントです。
会社を経営していると、順風満帆な日ばかりではありません。社員をリストラせざるを得ない場面もでてきます。辛いところですが、リストラを宣告する経営者が、 現場の辛さや社員の気持ちを知っていて頼むのなら、社員も納得します。現場を知らない他所から来た経営者が数字だけを見てリストラを宣言しても、果たして皆さん納得するでしょうか?
例えば、中小企業の経営が苦しく、給料の遅配は未払いが生じた場合、社員はついて来るか?ということを考えます。今の日本なら転職することは普通に可能ですが、経営者が社員から信頼され、慕われているなら社員は残って頑張るかも知れません。中小企業の場合、それが企業を存続させるうえでの必要条件とも言えます。筆者が考える日本のプロ経営者とは、ある意味、ウェットな面があり、浪花節的な人物ではないか・・・と思います。
随分昔になりますが、バブル景気が弾けて、山一證券が経営破綻した時、大粒の涙を流しながら「私らが悪いので、社員は悪くありませんから」と絶叫した野澤正平社長は、会社が無くなった後、社員の再就職に奔走したそうです。そして今でも山一証券の同窓会に呼ばれるそうです。
バブル崩壊の時、長銀、日債銀等、多くの金融機関が経営破綻し、社員は路頭に迷いました。その時の社員たちは今でも同窓会を開き「されど我らが日々」を語り合うそうですが、そこに経営破綻の原因となった経営者が呼ばれることはあるのでしょうか? 筆者は山一の野澤社長こそがプロ経営者だったのではないか?と考えます。
(会社は潰してしまったけれど)。
現場を知るか否か、従業員・社員のことを顧みるか、に加えてもう一つ加えるならば、責任の取り方でしょうか? もし経営する会社が生き残れなくなった時、経営者はどう責任をとるのか?が大事です。
話は脱線しますが、太平洋戦争のターニングポイントとなったミッドウェー海戦は日本海軍が空母4隻を失う大敗でした。敗因はいろいろと研究されていますが、一言で言えば、指揮官の遅疑逡巡または優柔不断でした。その最大の責任者である南雲忠一中将は、自分のミスで炎上する空母赤城から、軽巡長良に退避し脱出しています。
艦と運命を共にする覚悟で消火にあたっている部下に対し「後は宜しく」といって、南雲は司令官旗と一緒に逃げたのです。
一方、空母蒼龍の柳本艦長は敢えて沈みゆく艦から脱出せず、運命を共にしています。また山口多聞少将と、空母飛龍の加来館長も、爆発炎上して沈没する飛龍に残り、艦と運命を共にしています。
一説では、この結果を聞いた米軍は小躍りして喜んだそうです。優柔不断が軍服を着ているような無能提督の南雲忠一が生き残り、智謀湧き出るが如き智将の山口多聞が亡くなったからです。
筆者がこのことを思い出したのは、住友金属工業(住金)が新日鉄(当時)に救済合併された時です。住金を経営破綻に追い込んだ無能な役員の多くは新会社(新日鐵住金)に移り、要職に就いて生き残っています。燃え盛る空母赤城から、軽巡長良に移乗し、涼しい顔でいるようなものです。
一方、経営悪化と新日鉄との統合の過程で、多くの住金社員がリストラされて会社を去って行ったのです。それは今も続いています。当時、住金が高炉を持っていた鹿島、和歌山、小倉の各製鉄所では、生産縮小が今も続いており、工場閉鎖、高炉の休止が続きます。社員は減る一方です。
当時の経営幹部は全て引退しましたが、(水谷専務等一部を除き)多くの幹部は最後まで責任は取りませんでした。住金には、なんと多くの南雲忠一がいたことか・・。
南雲中将は、ミッドウェー海戦の失敗の責任は追及されず、そのまま第三艦隊の司令長官で残りました。しかし最後はサイパン島での玉砕で亡くなっています。俗耳に入るところでは、南雲は最後に「海の上で死なせて欲しかった」と嘆いたとのことです。しかし、肝心の軍艦は自分の判断ミスで、全て沈没させてしまった訳ですから自業自得というものです。
住金を経営破綻させたかつての幹部達は、今も時々都内の某ロシア料理店に集まって、住金時代の思い出を語っているそうです。筆者にも一度だけ声がかかったことがありますが、勿論参加しませんでした。筆者は役員どころか下級の管理職で会社を辞めた訳で、参加資格などありませんし、会社を破綻させた責任者達が集まっていったい何を懐かしむのか?という思いがあったからです。
会社経営にも運不運があり、経営者の才覚とは関係なく、時に利あらず、経営に失敗することもあります。その場合でも、経営者は責任を取るべきでしょうし、自ら積極的に同窓会などを開くべきではないでしょう。しかし社員から恨まれず、引退後も慕われ、社員の同窓会に呼ばれる・・となれば、別です。前述の山一證券の野澤社長の例がそうです。
経営破綻する企業は多くあります。大きすぎて潰すに潰せず、生体解剖のように事業の切り売りを進める東芝、生き残りのために大リストラが始まる日産、それぞれ経営者がどう責任をとるのか、筆者には分かりませんが、彼らが従業員OBの同窓会に呼ばれるのか‥興味深いところです。
経営破綻にならなくても、サントリーを追放された新浪氏、晩節を汚したニデックの永守氏は、プロ経営者とされていますが、従業員のOB会には呼ばれるのかな?
日産は会議を全て英語で行うという阿呆なルールを設けていましたが、OBの同窓会に呼ばれたら、内田誠氏はやはり英語で話をするのかな? それならある意味、確かにプロ経営者だと言ってもいいかも知れません。(尊敬はしないけれど)。
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久世寿(Que sais-je)茨城県在住で60代後半。昭和を懐かしむ世代。大学と大学院では振動工学と人間工学、製鉄所時代は鉄鋼の凝固、引退後は再び大学院で和漢比較文学研究を学び、いまなお勉強中の未熟者です。約20年間を製鉄所で過ごしましたが、その間とその後、米国、英国、中国でも暮らしました。その頃の思い出や雑学を元に書いております。
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