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元鉄鋼マンのつぶやき#150 戦争と金属 その1 鋼の時代

2026/01/28 09:42
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元鉄鋼マンのつぶやき#150 戦争と金属 その1 鋼の時代

19世紀後半から20世紀の前半にかけて、世界は鋼の時代と言えました。特に影響が大きかったのは戦争です。この時代、世界で繰り広げられた戦争の多くは、より良質な鋼をふんだんに使った側が勝利しています。高性能な鋼材が大量に生産され、兵器に使われた結果、戦争は大規模化し、より悲惨なものになっていったと筆者は考えます。

有名な話ですが、1863年の下関戦争で長州藩が使用した大砲はブロンズ製でした。それらは戦勝国の戦利品となり、パリの博物館に展示されています。そこには「我々は鎖国していたアジアの島国の門戸を、この戦いによって開いた」と書かれてあるそうです。

この戦争で欧州連合国の艦隊は鋼製のアームストロング速射砲を備えていました。ブロンズと鋼の違いを見れば分かる通り、大砲の性能では比較になりません。実は19世紀の中頃、世界の兵器は、鉄製から鋼製に切り替わりました。さらに1856年のベッセマー転炉の発明、それに続く1878年の塩基性耐火物を用いたトーマス転炉の発明で、鋼はより安価で高性能な材料になり、鋼製の兵器が一挙に普及しました。特に影響が大きかったのは、塩基性耐火物を用いたトーマス転炉の発明です。

欧州の中央部、ベルギー、フランス東部、ドイツ西部には、ミネット鉱という鉄鉱石が豊富にありますが、それはリンを多く含有し、それまで産業や兵器に使用することができませんでした。高リン鋼はあまりに脆く、兵器には使用できなかったのです。

しかし、ドロマイトの耐火物を使用するトーマス転炉では酸化精錬による脱リンが可能で、ミネット鉱を利用できました。これによってドイツやフランスなどでは、良質な鋼の大量生産が可能になり、欧州各国は国家の近代化と軍備増強を進めました。1904年に始まった日露戦争では日本は英国製の軍艦や大砲を多用しましたが、それらはトーマス転炉による脱リンの恩恵を受けた兵器です。一方、ロシア側は当時、製鉄技術の近代化が遅れていました。彼らの軍艦や大砲などの兵器がどのような鋼を用いていたのか、手元に資料はありませんが、日本の兵器に比べ劣っていた可能性が大です。さらに脱線しますが、日本軍は高性能な下瀬火薬という火薬を使用しており、この点でもロシアに対して優位でした。日露戦争で日本が負けなかった理由の一つは優秀な鋼材と優秀な火薬にあったと筆者は考えます。

良質な鋼を大量に生産できるようになったドイツは、それで軍備を充実させ、1914年からの第一次世界大戦に臨むことになりました。しかし、その鋼に問題がありました。クルップ社製の大砲が突然破裂するという奇怪な事故が多発したのです。読者諸兄ご存知の通り、原因は白点であり、鋼中の水素が原因でした。その後、DHやRH等、炉外精錬で脱水素を行う技術が、ドイツで発達しましたが、それは第二次大戦後です。

無論、大砲が破裂したから、ドイツが敗北した訳ではありませんが、鋼の品質は連合国側が優っていたと考えられます。

その後、大砲の徹甲弾の性能向上と戦車の装甲の強度アップのいたちごっこ、あるいは低温靭性を求めた軍艦用鋼材の開発等、鋼の品質向上の研究が進みますが、兵器の性能を議論する上で、鋼の性能・品質が大きな意味を持ったのは、第二次大戦前の戦艦大和の建造の頃が最後でしょう。

戦艦大和のコンセプトは、敵艦より射程の長い艦砲を持ち、相手の砲弾が届かない距離から砲撃して相手を撃沈するアウトレンジ戦法です。それにはどのくらい大きな艦砲を積めるかが重要です。そしてどれほど大きい艦砲を積めるかは、戦艦の幅で決まります。戦艦から横向きに主砲を発射する際、反動で艦が横に傾きます(ロールします)。命中精度を上げるには、ロールを減らす必要があり、艦の幅を大きくする必要があります。つまり艦幅が搭載できる主砲の大きさを決め、砲弾の射程も決まる訳です。

日本が仮想敵国とする米国の戦艦は、パナマ運河を通って太平洋側に来ると考えれば、艦の最大幅は32.3mです(当時のパナマックス)。そしてその艦に積める大砲は射程40kmに届きません。それなら、艦幅をそれ以上にし、最大射程を40km以上にすれば、アウトレンジ戦法で勝つことができます。

そこで、大和の艦幅を39.9mとし、射程41.400kmの46cm砲を搭載することになりました。同時に艦橋の高さも30mにすれば、水平線は40km程度先となり、敵艦を目視しながらアウトレンジ戦法で攻撃可能になる訳です。こうして戦艦大和の設計は平賀譲らによってまとめられたのですが、問題は46cm砲をどうやって作るかです。

戦艦大和の主砲は呉海軍工廠で作られました。日本製鋼所で鋳造した鋼塊は200トンで、それを呉海軍工廠で鍛造し、さらにドイツ製の特殊旋盤で切削加工して、長さ20m、重量166トンの砲にしたのです。

しかし筆者には、どうやってそのような大型の鋼塊を製造し、それを運搬し削り出したのか、さっぱり分かりません。世の中には、今となっては再現不可能な「失われた技術」がいくつか存在しますが、戦艦大和の主砲の製造技術はその一つです。確実に言えることは、その時点で、日本製鋼所の技術は、それまで範としていた英国のビッカース社やアームストロング社の技術を凌駕したということです。

もし日本が戦争に勝利し、大和が大活躍していたなら、戦艦大和の主砲製造のエピソードは讃えられ「プロジェクトX」にでも取り上げられたでしょうが、そうはなりませんでした。

既にその時点で、大艦巨砲主義は時代遅れとなり、巨大な砲を開発する意義は失われていました。史上最大の艦砲の製作は殆ど無駄でした。

大艦巨砲主義を否定した軍人の一人、山本五十六は、若い頃に米国ワシントンに駐在武官として勤務しました。彼は全米を旅行し、同国の石油産業、電力事情、アルミニウム精錬の業界をつぶさに調査し、日本に報告しています。来るべき戦争は航空決戦となり、航空機の生産能力が戦争の帰趨に重大な影響を与えると考えていたからです。その前提となるアルミニウムの精錬能力も重大な関心事項でした。

一方で、彼は米国の鉄鋼産業については全く留意せず、当時世界最大だったミネソタのメサビ鉄山についても調査せず、五大湖地区やペンシルベニアの製鉄所についても調査していません。ベスレヘムなどの造船所の建艦能力についても調査していません。軍艦の建造能力や、その前提となる鉄鋼の生産能力については興味が無かったようです。

実際には、日米開戦前の粗鋼生産能力は、米国は日本の約10倍でした。それだけ見ても、米国に戦争を仕掛けることがどれだけ愚か・・が分かります。軍艦の建造能力の差はさらに大きく、大戦中、リバティ船と呼ばれる輸送艦に至っては1週間に1隻のペースで建造されています。勿論、それに使用する厚板も製造されています。

1930年代、日本を取り巻くABCD包囲網は日本への屑鉄輸出を禁止します。当時、日本の鉄鋼業は、高炉を持つ日本製鉄以外(日本鋼管が高炉を持つのは1936年)は、平炉メーカーで輸入した屑鉄が主原料でした。一般には米国による石油禁輸が日本に開戦を促したとされますが、屑鉄を輸入できなくなったことも、かなりの痛手だったのです。

鉄鋼、アルミ、石油、全ての資材が欠乏し、日本は戦争に敗北しました。鉄かアルミかの問題ではないのでしょうが、太平洋での戦訓は、軍艦の大砲よりも航空機の方が重要であることを示し、山本五十六の考えが正しいことが証明されました。

そして日本の鋳鍛鋼製造技術のシンボルとも言うべき大和の巨砲は南溟の海に沈み、眠っています。

しかし今でも、その国の粗鋼生産能力や、高性能鋼材の開発力は、その国の戦力と密接に関係しています。21世紀でも、鉄鋼は戦力や兵器を語るうえで重要です。

高性能兵器では、非鉄金属の利用がしばしば注目されます。しかし筆者は、最高の高強度素材として、マルエージ鋼などの特殊鋼に注目します。軍事産業が盛んでない日本では、マルエージ鋼の用途はスポーツ用品などに限られますが、外国では軍事用途が主です。軍艦、戦車、ミサイル、航空機等、多くの用途があります。

もし、世界的にマルエージ鋼の需要が増加し、供給が逼迫することになれば、それは戦争が近づいている可能性を示します。合金成分となるニッケル、コバルト、モリブデン、チタンはマルエージ鋼以外の用途も多いので、それらの相場や需要動向から何かを判断することはできませんが注意することは重要です。

上記の合金成分の中で希少性が最も高いのはコバルトでしょう。今はリチウムイオン電池の電極用途として注目されるコバルトですが、リチウムイオン電池の主流がLFPに移り、コバルト需要が減るはずなのに、依然として需給が逼迫するようなら、そして中国でのマルエージ鋼の生産が増えた・・という情報が流れれば、これはちょっときな臭い情報になるかも知れません。

次回は非鉄金属と戦争の関係について考察します。

 

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久世寿(Que sais-je)茨城県在住で60代後半。昭和を懐かしむ世代。大学と大学院では振動工学と人間工学、製鉄所時代は鉄鋼の凝固、引退後は再び大学院で和漢比較文学研究を学び、いまなお勉強中の未熟者です。約20年間を製鉄所で過ごしましたが、その間とその後、米国、英国、中国でも暮らしました。その頃の思い出や雑学を元に書いております。

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