実は筆者が勤務した製鉄会社には4種類の博士がいました。
皆同じ博士号ですが、筆者の目にはそれぞれ全く違った存在に思えました。
1.大学院で博士号を取得してから入社する研究者
優秀 な研究者が多いのですが、実は使い勝手が悪いのです。例えば、炭素化合物の研究で学位を取得した人物を雇って、C1化学の研究をさせようとしても、その研究を会社が止めてしまえば、行き所が無くなってしまいます。或いはその研究を子会社に移管すれば、一緒に子会社に異動することになります。
その能力の割に、昇進できなかったり処遇に困ることもあるのが、この種類の博士です。
2.留学前提で入社し、海外留学でPhD.を取得する技術者
東大や京大の卒業生を会社は欲しがります。優秀な学生をリクルートするには、ニンジンをぶら下げる必要もあります。「当社に入社してくれたら、早い時期に留学の機会を与えよう」という具合に握るのです。留学先は、本人の希望で決まります。どれも冶金金属学では世界的な研究者の研究室です。研究テーマも本人の希望ですが、ひどい場合は、留学先が決まってから考えることになります。弟子の学生を留学させてあげるということで、研究室の教授の教授にもアピールできる訳で、次の年以降のリクルートにも有利に働きます。
留学先の研究室には、数百万円単位の一種の持参金を持っていくことになります。当然、先方の教授はウェルカムで、多くの場合は懇切丁寧な指導を受けられ、短期間で博士論文をまとめることになります(例外もあります)。
留学生には、持参金の他に渡航費、滞在費など多くの費用がかかります。優秀な若手社員が現場を離れることによる逸失利益もあります。渡航先にもよりますが留学生一人当たりのコストは執行役員一人分という説もありました。
留学と研究は一応会社の業務であり、会社の為となっていますが、実際には一部のエリート社員へのボーナスみたいなものでした。その期待に応えるべく、多くの留学生はPhD.を取得して帰国しました。
しかし、ここに問題がありました。
ひとつはせっかく貴重な研究をしても、帰国後に全く関係ない業務をするのが普通だったということです。特に製鉄所勤務の場合、エリートは工場の管理職に就くのであって、研究職にはなりません。これは会社にとっては大きな無駄であり、留学自体が会社の業務の一環というより社員への報酬・役得であることを示すものでした。さらに大きな問題は、帰国後にその社員が転職してしまう事態が発生したことです。もともと優秀であるうえ、海外経験を積むと、転職市場での価値が上がるのです。会社は留学費用の返還を社員に求めることになりましたが、これは図らずも留学が社員個人への報酬であることを示すことになりました。
3. 自分の業務の集大成として博士論文をまとめる研究者
技術系社員が、学士または修士で研究所へ配属され、一定期間研究に従事すれば、博士論文の材料には困りません。自分の仕事をまとめるというのも業務の一環であり、仕事上でも名刺に博士の肩書が必要というのであれば、博士論文執筆も仕事になります。ただ昔のように論文博士が認められなくなった現在、形だけでも大学院に所属して課程博士として学位請求する必要があります。当然ながら大学の教授にはご指導を受けるための持参金が必要です。金額は2000年頃で年に数百万円だったと記憶します。

************************************
筆者は、学位は個人に属するものでありその為に会社が費用負担するのはおかしいではないか?と思っていたのですが、ある現実に直面して考えが変わりました。
筆者の勤務先は2000年代に入って急速に業績が悪化し、新日本製鉄に救済合併されるまで厳しいリストラが続きました。
研究所の研究員もリストラ対象となりましたが、転職先としては大学の教員が最も有力でした。しかし、ここも狭き門です。
大学には不安定な身分と薄給にたえ、教授になることを目指してきた研究者が多くいます。そこへ民間企業からリストラされた研究者が割り込むというのは、なかなか難しいのです。
「論文は年齢の数だけ書いていますか?勿論査読付きが条件ですよ」
「では最近5年間はどうですか?うーむ、最近は枯れてますね?」という具合に、最近の言葉で言えば、圧迫面接を受けることになります。博士号も無いとなると論外です。リストラ時の転職先確保のための博士号取得・・・実に皮肉ですが、これが現実です。
筆者が、電磁鋼板の権威であるピッツバーグ大学のHu(胡)教授(もう故人)にお会いした際、彼がUSスチールの研究所出身であるとは知りませんでした。カーネギー・メロン大学やピッツバーグ大学の著名な研究者の多くが、鉄鋼メーカーの研究所出身だったことを知り驚きましたが、日本でも同じような時代が来た訳です。一つの処世術として博士号が必要な時もあるのです。
4. 副社長や技術系取締役にもれなく付いて来る博士号
技術者として優秀な人でも工場の現場にいれば論文を書く余裕はありません。 しかし会社を代表する存在になれば、博士号が無いと格好悪いという場面も出てきます。それに研究部門を統括する副社長が、博士号を持たずに部下の博士研究員の業務を指導・評価できるのか?という問題もあります。
だから技術担当の副社長になると自動的に博士号が貰える仕組みになっていました。勿論、研究所にはゴーストライターの執筆者がいて代わりに執筆します。大学院に所属して研究室で研究する建前になっていますが、本人は一度も大学に顔を出しません。指導教授には、やはりご指導いただく謝礼をお支払いします(やはり数百万円程度)。
普通、副社長本人は、博士論文の要旨(Summary)と謝辞(Acknowledgment)ぐらいは自分で書くのですが、それすらゴーストライターに委ね、最後の署名だけ自分で書いたという人もいます。
1人で何本もの博士論文を書くゴーストライターは、なぜか覚えがめでたく、異例の昇進を遂げることもあります。それも何だかなぁ・・・。
今は、こんな悪習が残っていないことを祈るのみです。
*************************************
最後に筆者が知る例外的な博士を2例紹介します。
1人は、1990年代に、神戸製鋼のデュッセルドルフ駐在員だったN氏です。彼は欧州駐在員はかなり時間に余裕があるから・・という事で、日本で貯めた技術データをデュセルドルフに持ち込み、ドイツ駐在中に博士論文をまとめたという剛の者です。
筆者には、まとめるべき技術データも無ければ指導してくださる教官もいませんでした。その代わり、英会話の学習に励みましたが・・。
もう一人は、鹿島製鉄所の製鋼工場長だったW氏です。彼は東北大で博士課程に進むことを慫慂されながら、製鉄会社に就職した研究者肌の人物ですが、研究所から製鉄所に異動になりました。何時か博士論文を書きたいと思いながら、工場長という要職に就いて多忙を極め、その機会がありませんでした。やがて東北大の恩師であるB教授が定年退官を迎えることになり、博士論文を提出する最後のチャンスになりました。彼はしばしば仙台に出張して指導を仰ぎ、論文を書き進めましたが、最後に時間が足りなくなりました。やむを得ず、W氏は腰痛を理由に入院して職場を離れました。筆者がお見舞いに行くと、彼は病室のベッドの上で原稿を執筆していました。当時はワープロもPCも一般的でなく手書きでした。
めでたく彼は博士号を取得し、製鉄所内で絶賛されました。激務である工場長をしながら博士論文を仕上げるとはまことに天晴れということです。
これは中卒で博士号を取得した姉崎博士(もう故人)以来の快挙と称されました。この博士号のお陰という訳ではありませんが、W氏は研究所の副所長を経て、分析会社の社長と言う具合にキャリアを積んでいきました。
学位請求論文が審査に合格して、製本した論文が大学から送られてくると、そこには幾つかの指示が書いてあります。
1.論文の一冊を国会図書館に献本すること。
2.名刺に××博士を記載し、博士であると名乗ることを許可する。
自分の名刺に博士号と書くことを目標に、コツコツと研究を続けるサラリーマンの生き方を否定するつもりはありません。どの博士号も取得するまでに大変な努力をした成果であることを筆者は理解するからです(例外はありますが)。
しかし名刺に博士と記すことに喜びを感じる・・というのはやはりsnobではないか?と思ってしまいます。
そう思うのは、ひょっとしたら筆者が現役を引退し名刺を必要としない立場になったからかも知れません。