クロム②――中国の「電気の缶詰」支配は続くのか
ニッケルだけではステンレスは見えない。
ステンレス市場では、ニッケル価格が注目されやすい。価格が高く、値動きも大きいからだ。
しかし、ステンレスをステンレスにしている元素はクロムである。鉄にクロムを加えると、表面に薄い膜ができ、錆びにくくなる。ニッケルを使わない400系ステンレスはあるが、クロムを使わないステンレスはない。
クロム鉱石は、そのままでは鉄鋼原料にならない。電気炉でコークスと一緒に加熱し、酸素を取り除いてフェロクロムにする。そこで初めて、ステンレス工場で使える原料になる。
ここで、フェロクロムの性格が見えてくる。
フェロクロムは、単なるクロム合金ではない。鉱石とコークスに大量の電力を加え、電気を合金の中に閉じ込めた製品である。いわば「電気の缶詰」だ。
鉱石を持つ南アフリカが、なぜ主役を奪われたのか。
南アフリカは、世界有数のクロム鉱石資源国である。地下資源だけで競争が決まるなら、同国がフェロクロム市場を支配しているはずだ。
実際、かつて南アフリカは世界のフェロクロム供給の中心だった。しかし、慢性的な電力不足、電気料金の上昇、設備の老朽化、鉄道や港湾の混乱が、製錬コストを押し上げた。
鉱石はある。だが、それをフェロクロムに変える電気が足りない。
一方、中国はクロム鉱石に恵まれていない。それでも南アフリカなどから鉱石を大量に輸入し、国内の電気炉でフェロクロムを生産してきた。しかも、その多くを国内の巨大なステンレス産業で使える。
中国が握ったのは、鉱山そのものではない。鉱山と市場をつなぐ製錬工程だった。
資源を持つ国より、資源を加工できる国が強くなる。フェロクロムは、その典型例である。
中国の30年を支えた「鉱石・電力・需要」の三位一体
過去30年間、中国では都市化と工業化が急速に進んだ。住宅、鉄道、港湾、化学設備、自動車、厨房用品が大量に建設・生産され、ステンレス需要も拡大した。
大きな需要の近くにフェロクロム工場を置けば、輸送費と在庫を減らせる。生産量を増やせば、1トン当たりのコストも下がる。競争相手が撤退すれば、市場での影響力はさらに強まる。
中国の強さは、安い人件費だけではなかった。輸入鉱石、電力を大量に使う製錬設備、巨大なステンレス需要を一つの産業圏に集めたことにある。
しかし、この仕組みに亀裂が入り始めた。
不動産やインフラを中心とした成長は鈍り、人口も減少局面に入った。国内で売り切れない製品は輸出に回り、安いステンレスや合金鉄が海外市場を圧迫している。
これは、単なる一時的な供給過剰ではない。中国の成長モデルが、国内需要の拡大から、余った生産能力を海外へ輸出する形に変わったのである。
AIが電力の値段を変える。そこにAI革命が加わった。
AIは半導体の競争であると同時に、電力の競争でもある。データセンターには、GPUだけでなく、発電所、送電線、変電所、冷却設備、蓄電池が必要だ。AIの利用が広がるほど、背後で消費する電力も増える。
中国政府と地方政府は、限られた電力をどの産業に回すのか。
AIデータセンターか。半導体工場か。EVや蓄電池の工場か。それとも、フェロクロム、フェロシリコン、電解アルミニウムのような既存の電力多消費産業か。
これまでは、安い電力を大量に使えることが中国製造業の強みだった。これからは、同じ1キロワット時の電力で、どの産業がより大きな価値を生むのかが問われる。
フェロクロムがAIに電力を奪われる。これは単なる比喩ではない。
電力料金、給電制限、炭素規制、産業政策によって、製錬所の立地や採算は実際に変わる。フェロクロム価格には、鉱石やコークスの価格だけでなく、国家がどの産業を優先するかという判断も反映される。
エネルギー輸入国・中国の弱点
中国は石炭の大国である一方、原油と天然ガスの大規模な輸入国でもある。中東、ロシア、中央アジア、アフリカ、南米などからエネルギーを調達し、製造業を動かしてきた。
しかし、米中対立が深まれば、資源調達は価格だけでは決まらない。制裁、決済、海上保険、輸送路、マラッカ海峡の安全などが、供給コストを左右する。
AI時代の国力は、最先端半導体を設計できるかどうかだけでは測れない。データセンターや工場を24時間動かす電力を、安定して確保できるかどうかも重要になる。
エネルギー制約が強まれば、電力を大量に使う一方で、付加価値が比較的低い製錬工程は、より電力の安い地域へ移る可能性がある。中国が築いたフェロクロムの中流工程支配も、永遠ではない。
次のステンレス市場は南へ動く
中国の成長が鈍っても、世界のステンレス需要がなくなるわけではない。次の需要地は、インド、東南アジア、中東、アフリカなどのグローバルサウスである。
人口が増え、都市化が進めば、水道、鉄道、病院、食品工場、住宅、化学プラントが必要になる。先進国では設備の更新が中心だが、グローバルサウスでは新しい設備をつくる需要が伸びる。
問題は、これらの国々が中国製ステンレスを輸入し続けるのか、それとも自国の鉱石、電力、港湾、成長市場を組み合わせ、フェロクロムからステンレスまでを国内で生産するのかである。
将来の供給地図を決めるのは、鉱石の埋蔵量だけではない。
安く安定した電力があるか。成長市場に近いか。製錬技術と資本を呼び込めるか。この三つを満たす地域が、中国一極集中の次を担う。
日本は「最安値調達」を卒業できるか
日本には、有力なクロム鉱山も大規模なフェロクロム製錬能力もほとんどない。だからこそ、「その時に一番安い国から買えばよい」という調達方法は危うい。
必要なのは、南アフリカ、カザフスタン、インドなどとの供給関係を維持し、中国への一極依存を避けることだ。管理すべき対象は鉱石だけではない。フェロクロム、ステンレス母材、スクラップまでを一つの供給網として考える必要がある。
海外権益、長期契約、一定量の備蓄も重要になる。平時には割高に見える費用でも、危機が起きれば、技術と生産を守る保険になる。
もう一つの資源は、国内に蓄積されたステンレススクラップだ。スクラップに含まれるクロムとニッケルは、地上にある資源といえる。選別の精度を高め、国内での再利用を進めれば、輸入依存を少しずつ下げられる。
資源政策と電力政策は、別々に考えてはいけない。フェロクロム、シリコン、アルミニウムはいずれも、電力を固体の製品に変えて運ぶ商品である。
鉱山、発電、製錬、物流、リサイクルを一枚の地図に描く。それが、資源を持たない国にとっての安全保障になる。
次の覇者は、鉱山国とは限らない
南アフリカは鉱石を持ち、中国は製錬工程と市場を握った。過去30年間は、中国の方が強かった。
しかし、AIによって電力の価値が変わり、中国の内需が減速し、グローバルサウスで新しい需要が生まれれば、世界のフェロクロム地図は再び動く。
次の覇者は、最も多くの鉱石を持つ国とは限らない。
電力を確保し、製錬設備を維持し、成長市場へ製品を届けられる国である。
フェロクロムは、目立たない合金鉄に見える。だが、その流れを追うと、中国の製造業支配、AIによる電力争奪、米中間のエネルギー地政学、グローバルサウスの台頭が一本につながる。
だから私は、フェロクロムを「電気の缶詰」と呼ぶ。
その缶詰を誰がつくるのか。誰が買うのか。そして、誰が電力を止めるのか。
そこに、次の世界経済の力関係が映っている。