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鉄子の部屋#23 「我が国の合金鉄の歴史」シリーズ⑫ ~オイルショックとその影響~

2020.09.24 09:22

 低成長時代の幕開けを告げる契機となったのは、1973年(昭和48年)10月に勃発した第4次中東戦争に端を発した第1次オイルショックである。我が国の経済は激しいショックを受け、1974年度(昭和49年度)の実質経済成長率は戦後初めてのマイナス成長を記録した。

 

 さらに1978年(昭和53年)末のイラン政変に端を発した第2次オイルショックを経て、大幅に上昇したエネルギー価格は、エネルギー多消費型産業の国際競争力を減退させ、産業構造の変化をもたらすことになった。48年当時は1バーレル当たり4ドル台であった原油価格は、2度の石油危機を経て1981年(昭和56年)には、40ドルに迫る水準まで高騰した。原油価格の高騰は、石油火力依存型の電源構成にシフトしていた日本の電気事業に決定的なダメージを与えた。

 

 フェロアロイと粗鋼との生産量推移を図1にしめす。

 

 1970年代前後に我が国のフェロアロイ製造技術は飛躍的に進歩発展した結果、フェロアロイの生産量も自由世界最大の米国に比肩するに至った。また、世界の1970年代のフェロアロイ製造技術進歩の特徴は、電気炉の大容量化、および事前処理を中心とした多用な製造プロセスが淘汰されて量産に適するプロセスに集約されたことにある。

 

 これら世界的の進歩が、1970年前後における我が国フェロアロイ製造技術の目覚ましい進歩発展に刺激された結果によるものであった。

 

 

グラフ

図1 フェロアロイと粗鋼との生産量推移(フェロアロイには、金属マンガン及び金属けい素を含む)

粗鋼生産推移(赤折れ線グラフ) 右軸:単位 ×1 000トン

 

 

 1973年末のオイルショックの影響による景気後退を境として、目覚ましい発展を遂げた我が国フェロアロイ工業にも暗いかげがさし始め、1974年(昭和49年)には270万トンを超えたフェロアロイ生産量は、1978年(昭和53年)には184万トンまで低下した。

 

 今や、エネルギーと資源の問題に起因する構造不況のなかに沈滞し、さまざまな困難な問題の打開に全力を集中せざる得ない事態に直面するに至ったのである。

 

 

<エネルギー問題>

 9つの電力会社は、昭和49年、51年、55年の3度にわたって電気料金のいっせいかつ大幅値上げを実施し、「低廉な電力供給」は過去のものとなった。

 

 エネルギー資源に乏しい我が国の電力価格は世界で最も高くなり、電力多消費産業であるフェロアロイ工業への影響は甚大で、国際競争力は低下した。1988年(昭和63年)1月時点での調査で、日本の電気料金は国際的にみても割高であると指摘された。

 

 1985年(昭和60年)9月、ニューヨークのプラザ・ホテルで開催されたG5(5か国蔵相会議)は、ドルと各国通貨の為替レートを一定幅で安定させるという合意に達した(プラザ合意)。それにより円高基調が定着した。円高と原油安の同時進行及び原子力発電の開始により、電気料金はある程度、再構築された。

 

 

グラフ

※9電力会社 北海道、東北、東京、中部、北陸、関西、中国、四国及び九州

図2 昭和49年度~平成8年度の9電力会社の総合単価の推移

 

 

第1次オイルショック直後の状況

(1)電力使用規制

 1973年(昭和48年)11月、政府は緊急石油対策本部を設置し、石油緊急対策要綱を決定した。これを受けて民間における電力の使用規制が実施された。

 

 この内容は、12月末まで契約電力3 000 kW以上の工場、事業所の電力使用量を対10月比で、一律10 %削減という行政指導であった。さらに1月からは法に基づく規制が実施され、契約電力500kW以上の事業所は15 %削減となり、5月末まで規制が続けられた。

 

 

(2)過熱需要と拡大生産

 政府は、1973年(昭和48年)11月に石油緊急2法を成立させ、価格ならびに需給調整、設備投資の抑制、エネルギーの節減対策を実施した。これらの措置によって、我が国の経済は一転して変調を来たし、物資の需給は逼迫した。その結果、思わく買いなどによる物不足が表面化し、これにインフレ高進予想が加わり、過大ともいえる需要が現出した。

 

 各産業は、この需要に対応して生産の拡大を図り、粗鋼生産量は1972年(昭和47年)が1憶297万トンであったのに対し、1973年(昭和48年度)は史上最高の1憶2002万トンとなった。これを受けて、フェロクロムの生産も1974年(昭和49年)は、史上最高の272万トン(金属マンガン及び金属けい素を含む)を記録した。

 

 

フェロシリコンの生産の見直し

 1978年(昭和53年)フェロアロイ基本問題研究会(委員長・生田豊朗日本エネルギー経済研究所長)が通商産業省基礎産業局長の私的諮問機関として設置された。

 

 フェロアロイ基本問題研究会は、4月12日、フェロシリコンについて現有設備の20%、100千トンの設備処理を行うこと等を中心に中間報告※1を行った。

 

※1フェロアロイ基本問題研究会は1978年1月24日、第1回会合を開いた後、フェロシリコン分科会(座長 山本修磁日本興行銀行産業調査次長)を設置し、2か月余にわたり詳細な検討を実施した。基本的取り組み内容を下記に示す。

 

 

<基本的取組み内容>

 フェロシリコンの大量消費国であるわが国にとって、将来にわたりフェロシリコンの安定確保を図るため、国内メーカーの国際競争力の回復を図ることが国民経済上重要である。

 

 このため企業の格別の自助努力を基本とし、関係者間の強力を得て、以下の施策に積極的に取り組む必要がある。

 

 1.業界の再編成

 フェロシリコンの生産体制は生産規模が小さく、企業内容も異質なメーカーが多いため、無用な過当競争をひきおこしている、このため、業界の系列化、グループ化、合併、事業転換などにより、生産販売体制の適正化、合理化を推進し、併せて企業体質の強化を図る。

 

 2.生産設備の適正化

 フェロシリコンの需要見通しは、粗鋼生産が1974年のピークである、1憶2千万トンまで回復することを前提とすると398千トンになる。国際競争力の回復努力及び安定供給の確保の二つの観点から輸入比率を20%が適正と考えると、国内生産は318千トンになる。

 

 これに見合う設備能力は適正操業率80%として398千トンであり、現有能力498千トンとの差、100千トン(現有能力の20%)の過剰設備について、遅くとも1979年度(昭和54年度)末を目途に処理を行う必要がある。

 

 当面リプレース以外の新増設は行うべきでないが、合理化等の点から、必要がある場合は、学識経験者で構成される委員会組織で十分な検討を行う。

 

 3.コスト低減のための努力
 4.輸入の安定化と流通機構の整備
 5.海外立地の検討

 

 1979年(昭和54年)8月、フェロシリコン・メーカーの不況が活発化し、日本重化学工業は、自家発電を有する和賀川工場にフェロシリコンの製造を集約した。

 さらに、北越メタル、上越電炉、呉羽製鉄など休業する会社が続出した。

 

 1980年、米国、ユニオンカーバイト社は、金属部門をエルケム社(ノルウェー)に売却、フェロアロイ業から撤退した。

 

 

その他のフェロアロイの生産の見直し

 日本鋼管富山製造所は、1984年(昭和59年)にシリコマンガンの生産を中止したことにより、1985年(昭和60年)よりフェロクロムに特化された。また、アルミテルミットで生産していたフェロバナジウム、低炭素フェロモリブデン及びフェロニオブも、1990年(平成2年)及び1991年(平成3年)に生産を中止した。

 

 一方、1986年(昭和61年)に高炭素フェロボロン、1987年(昭和62年)に溶湯フェロクロム、1991年(平成3年)にスーパークロムの生産を開始した。

 

 高炭素フェロクロムでは、1988年(昭和63年)に粟村金属工業㈱、1993年(平成5年)太平洋金属(株)が生産から撤退した。

 

 

生産拠点を海外へシフト

 日本電工(株)は北陸工業の大型炉を休止し、1993年(平成5年)に南アのサマンコール社と合弁会社を設立した。

 

 低炭素フェロクロムについて、日本重化学工業㈱は1996年(平成8年)に小国工場での生産を中止し、ジンバブエのジムアロイ社との合弁会社を設立した。

 

 昭和電工(株)も秩父工場の生産中止を前提として1995年(平成7年)南アのサマンコール社との合弁会社を設立した。

 

 このように、1976年(昭和51年)に44あったフェロアロイ製造会社は、製造中止又は製造品種の見直しが実施され、令和元年7月現在では、14社となった。

 

 

表

 

 

(IRUNIVERSE tetsukoFY)

 

 

鉄子の部屋#22 「我が国の合金鉄の歴史」シリーズ⑪ ~フェロアロイ工業の構造改革:合理化対策~

鉄子の部屋#21 「我が国の合金鉄の歴史」シリーズ⑩ ~世界のフェロアロイ工業の劇的変化~

鉄子の部屋#20 「我が国の合金鉄の歴史」シリーズ⑨ ~戦後のフェロアロイ業界の体質~

 

 

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