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元鉄鋼マンのつぶやき#152 マツダについて考える その1

2026/02/02 10:31
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元鉄鋼マンのつぶやき#152 マツダについて考える その1

いささか旧聞ですが、マツダの「ロータリーPHEV」が、第60回機械振興賞の「機械振興協会会長賞」を受賞しました。これは、新型ロータリーエンジン(8C)を発電専用に用いたシリーズ型ロータリーエンジンを評価しての受賞です。

小型軽量・高静粛性の高出力ロータリーエンジン搭載PHEVの実用化|年度別受賞一覧|一般財団法人 機械振興協会 技術研究所

しかし皮肉なことにこのエンジンを搭載したMX-30はあまり売れていません。

自動車業界は、技術的には優れているのに、これが自動車の販売に繋がっていないということがしばしばあります。技術屋の拘りが消費者に訴求力に直結しないのは、ある意味仕方ありませんが、経営者の判断ミスというかマーケッティングの失敗です。

 マツダが長年、開発を続けてきたロータリーエンジンは、ご承知の通り、長所と短所の両方を持つ個性的なエンジンです。敢えて欠点を挙げれば、燃焼室が移動する形で温度が上がらず熱効率が良くないことや、燃焼室形状を最適にできず均一な燃焼が難しいこと、最大トルクを発生する回転数域が狭く特に低速域でのトルクが小さくなること、2サイクルと同様、オイルを一緒に燃焼させるため、オイルの減りが早く、排ガス浄化も難しいこと・・・等多くあります。

 しかし逆に考えて、回転数を一定にすれば、トルクや熱効率でレシプロエンジンに遜色ないではないか・・という発想で、発電専用ロータリーエンジンを開発してシリーズ型のPHEVにしたのがマツダMX-30です。MX-30の販売数が伸びなくても、これから量産車であるマツダ2やマツダ3にもこのエンジンを搭載すれば、一挙に普及する可能性があります。ただ価格面でどこまで安価にできるかが鍵です。

 以前、マツダには、スカイアクティブシリーズの成功体験を理由に、あくまで内燃機関のエンジンに拘る人々と、他社と同様ハイブリッド化や電動化を推進しようとする人々の2種類がいて、その対立が経営判断に遅滞と混乱をもたらしていました。最終的に当時の社長の丸本氏が自らの退任と引き換えに両者の対立を解消し、事態を収拾しました。筆者はガソリンエンジン派と電動派の折衷案として出した回答がMX-30だと考えます。つまりマツダは他社と同様にハイブリッド化や電動化を進めますという宣言がMX-30であると思うのです。

 全く余談ですが、筆者は丸本氏と面会したことがあります。もともと彼は同じ大学で、彼はすぐ近くの研究室の1年後輩なのです。また、もう30年も前になりますが、彼が欧州の研究所にいた時に、筆者が訪問したことがあります。ドイツのケルン郊外にあるマツダの研究所は、欧州の道路環境や消費者のニーズを調査研究するための機関でした。当時マツダは欧州市場を重視し、欧州で評価されることを望んでいました。そしてそれはある程度成功しています。筆者は当然ながらそれについて訊きたかったのですが、うまくはぐらかされました。

 この研究所には、奇妙な2本の塔がありました。「マツダがこの敷地を地主から購入する際に「どうかこの塔だけは残してくれ」と地主に頼まれ、仕方なしに塔を残したのですが、今となってはこの塔がいいアクセントになり、残してよかったと思っているのですよ」と、丸本氏は快活に笑って話してくれました。話は面白かったのですが、帰社してから、これではレポートが書けない・・と困惑したのを記憶しています。

実は昨今のマツダの混乱について丸本氏にインタビューしてみたいのですが、またはぐらかされるかも知れません。

日本には多くの自動車メーカーがありますが、その中でトヨタがガリバー化しつつあります。その他は、失礼ながら弱小メーカーとなります。そしてトヨタ以外の自動車メーカーが生き残るには、それぞれが特長を持ち、ユニークな自動車を開発する必要があります。マツダはユニークさという点では、まさに人後に落ちない企業です。

これも40年以上前の話ですが、筆者が大学院で就職を考えていた頃です。トヨタに就職した研究室の先輩が母校訪問で訪れ、自動車業界について語りました。スポーツカーの話題になり、筆者が「マツダのRX-7はどうですかね?」と尋ねたところ、ちょっと顔を曇らせ「RX-7は面白い車だし、ロータリーエンジンも素晴らしいエンジンだが、あれを東洋工業(当時)がやるのはどうかなぁ。ああいう道楽に近い仕事は、経営に余力がある会社がするべきで、東洋工業はもっと堅実な車を開発・生産すべきだと思う」と答えました。丸本君がその話を聞いていたかは不明です。たしかにその後、東洋工業/マツダは何度か経営危機に陥っています。ロータリーエンジンは確かに同社の象徴的な意味を持ちましたが、それが経営に寄与したかは疑問です。石油ショックや、公害規制、燃費規制の度に、ロータリーエンジン車は同社の経営の足を引っ張る形になりました。むしろ、ロータリーエンジンを持たなかった方が経営は安定したかも知れません。でも、ロータリーエンジンが無ければ、マツダはただの弱小自動車メーカーになってしまい、今は消滅していたかも知れません。

昭和の時代、モータリゼーションの到来と同時に多くの自動車メーカーが誕生し、やがて整理統合されていきました。

現在、存在する乗用車メーカーに加え、東急くろがね工業(廃業)、コマツ(今は建設機械やプレス機械等)、日野(乗用車から撤退)、いすゞ(乗用車から撤退)、プリンス(日産と合併)等がありましたが、乗用車の製造からは撤退しています。東洋工業も東急くろがね工業と同様、オート三輪を製造しており、そのままだと事業撤退になりかねませんでしたが、軽自動車に活路を見出し、乗用車生産を継続できました。当時の経営者であった松田恒次氏は、恐らく生き残りのために必死であったと推測します。ロータリーエンジンは東洋工業が大手の自動車メーカーに呑み込まれないための生き残り策だったと筆者は考えます。

そして、筆者が考えるのは、マツダの安全設計に対する思想です。今、多くの乗用車のフロントガラス(ウィンドシールド)には合わせガラスが採用されています。これは2枚のガラスの間にブチル樹脂などを挟んだもので、強度を増すと同時に、割れた際の破片の飛散を防止するものです。これが採用される前は、熱強化ガラス(テンパードグラス)が採用されていました。これは強度を高める効果がありますが、割れた際、一瞬でヒビがガラス前面に広がり視界を遮ります。(ガラスによっては運転席の前だけ破片の大粒になって視界を確保するタイプもあります)。そして飛び散ったガラスの破片が乗員の体を傷つけます。

安全面から見れば、言うまでもなく合わせガラスの方が優れています。しかし合わせガラスはテンパードグラスに比べ高価です。その合わせガラスを日本で最初に採用したのは、マツダキャロルという軽自動車です。これは意外ですが、その理由は経営者の松田恒次氏自身が自動車事故で目に怪我をしたことです。その経験から、合わせガラスの採用を決定した訳です。

コスト削減を厳しく求められる軽自動車で、しかも購入者があまり気にしないであろう窓ガラスの材料に松田恒次氏は拘ったのです。その後、JIS規格でフロントガラスは全て合わせガラスになり、日本の自動車は全てAGC、日本板硝子、セントラル板ガラスの製品が使われています。その先鞭をつけたのは東洋工業です。因みにリアウィンドウには今もテンパードグラスが使われています。偏光作用のあるサングラスをかけて、自動車の窓を見れば、リアウィンドウに縞模様を見ることができます。これがテンパードグラスの証拠です。かつてはフロントガラスにも縞模様がありました。

自動車安全の観点から言えば、東洋工業は比較的に早くから3点式のシートベルトを採用しています。スェーデンのボルボ(今は中国企業)が開発した3点式シートベルトを、1960年代に日本で初めて採用したのはホンダのS600ですが、マツダコスモスポーツも最初から3点式シートベルトを採用しています。先進的な安全装備が、ホンダやマツダといった中堅メーカーで、しかも小型車から先に装備されるというのは、ちょっと逆説的ですが、何らかの形で他社と差別化しなければ生き残れないという事情を考える必要があります。

しかし、窓ガラスを安全なガラスにしても、シートベルトを装着しても、だから自動車が売れるとは限りません。技術者の思いと販売現場の状況には齟齬があり、自動車メーカーが苦悩する原因となります。

マツダの場合、何度も経営危機が訪れますが、経営がピンチになる度に、救世主のようにヒットする車が登場し、経営を建て直しています。古くは、5代目のファミリアハッチバックBD型や初代のCX-5などです。丸本氏が開発の指揮をとった初代デミオもヒット車となり、同社の経営を救いましたが、初代デミオは正直言って、あまり特徴の無い、合理性の塊のような車でした。マツダの象徴とも言える、ロータリーエンジンや、コスモスポーツなどとは対照的な車です。

今、自動車業界は大変革期に入っています。電動化の流れ、リサイクルシステムの確立、グローバル化の流れの中で、合従連衡の時代に入ろうとしています。一足先に、鉄鋼産業はその時代に入りましたが、日本の自動車業界もそうなります。

では、これからマツダはどの方向に向かうのか。それについては次号で申し上げます。

 

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久世寿(Que sais-je)茨城県在住で60代後半。昭和を懐かしむ世代。大学と大学院では振動工学と人間工学、製鉄所時代は鉄鋼の凝固、引退後は再び大学院で和漢比較文学研究を学び、いまなお勉強中の未熟者です。約20年間を製鉄所で過ごしましたが、その間とその後、米国、英国、中国でも暮らしました。その頃の思い出や雑学を元に書いております。

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