実はバブル期というのは、自動車用鋼板に亜鉛メッキが急速に普及した時期と重なります。バブルは日本だけの経済現象で、世界中が贅沢になった訳ではありませんが、世界の自動車の高付加価値化、高性能化も同時期に進行しました。
車体の防錆性能強化の先鞭をつけたのはポルシェです。1970年代から防錆処理を始め、1980年代に、ポルシェは「10年は孔開き錆びが発生しない」という保証を打ち出しました。これは画期的なことです。冬のアウトバーンでは凍結防止剤として塩化カルシウムを散布します。これが自動車の下回りを腐食させます。
筆者には無縁の世界ですが、高級車では、高性能な走行性能や豪華な内装や装備の他に、車体が長寿命で劣化しないことが求められます。高級車の代表であるポルシェは高い防錆性能をセールスポイントにしました。同社が行ったのは車体の亜鉛メッキ化です。それはGIと呼ばれる溶融亜鉛メッキです。単純に思えますが、亜鉛メッキには幾つもの問題があります。亜鉛メッキを施すことで鋼板はプレス加工性が劣化します。深絞り加工をすれば、メッキ面の亜鉛層が剥離します。
さらに塗装性が劣化します。鉄の表面は塗料の密着性に優れますが、亜鉛はそうではありません。美麗な車体表面を作るには亜鉛メッキ鋼板は不都合でした。さらには溶接性も劣化します。その対策も必要です。
刺激を受けた日本の自動車メーカー各社も錆び対策の強化を進めました。亜鉛メッキが前提となりますが、大別すると溶融亜鉛メッキ鋼板と電気メッキ鋼板の2種類に分かれます。
溶融亜鉛メッキ鋼板(つまりドブ漬けメッキ)は、目付量は稼げますが、密着力が弱く、一度メッキ面が剥離して鉄が露出すると、酸化し赤錆が出ます。初期の溶融亜鉛メッキ鋼板の問題は赤錆をどう防止するかでした。塗装性もプレス成形性にも難があります。旭硝子(現AGC)は両面を亜鉛メッキした後、塗装する外側だけ、亜鉛を削り落とす技術を開発したほどです。
亜鉛メッキ表面には、結晶に由来する独特のウロコ模様ができます。トタン板でおなじみの模様ですが、これを出さないためのゼロスパングル化がまず実現します。
さらに、亜鉛メッキ後に合金化炉を通して再加熱することにより、亜鉛の原子と鉄の原子が相互に拡散してメッキ層と鉄の層の間に鉄亜鉛合金の層を形成する技術ができました。トヨタなどが採用したこのメッキ鋼板はGAと言われます。合金層は、硬度が増してしまうのですが、GA炉での熱処理は一種の連続焼鈍工程であり、鋼材を軟化させ、プレス成形性の向上にも寄与しました。さらには、鋼板のハイテン化やBH鋼板化の礎にもなりました。
合金層のおかげでメッキ層の剥離は防げ、赤錆の問題はほぼ解消しました。
いいことずくめのようですが、表面は亜鉛であり、やはり塗装性はよくありません。バブル真っ盛りの時期、トヨタはこの問題を克服するため、GAつまり亜鉛メッキを施した表面にさらに鉄フラッシュ(鉄をごく薄く電気メッキする)するという、特殊なメッキを採用しました。対象は一部の高級車ですが、鉄=合金層=亜鉛=鉄という複雑な高級メッキ鋼板です。名前はFZ鋼板です。
トヨタが選んだのは溶融亜鉛メッキ鋼板ですが、電気メッキを選んだ会社もあります。当時(1980年代)の日産やマツダです。電気メッキの場合、密着性に優れ、赤錆はあまりでません。しかし目付量を稼ごうとすると、多くのメッキ槽が必要になり電気代もかかります。一般に電気メッキでは目付量は少なく(メッキ層は薄い)、発錆までの時間は、溶融亜鉛メッキよりは短くなります。その分、プレス成形性などはよくなります。電気メッキは冷間での行程ですから、メッキ前に連続焼鈍ラインを通す必要がありますが、それによって鋼材の機械特性を自由に調整できることになります。
溶融亜鉛メッキを選ぶか、電気メッキを選ぶかは、自動車メーカーの思想とも言うべきものでどちらが良いとも言えませんが、製鉄会社はたまったものではありません。両方のメッキラインを用意して顧客に対応しなければなりません。さらには溶融亜鉛メッキラインの後に鉄フラッシュメッキの設備まで必要でした。
鹿島製鉄所の場合、カルロスゴーンショックで日産向けの生産が止まり、しかもマツダが溶融亜鉛メッキに方針転換したため、電気メッキラインに閑古鳥が鳴くことになりました(せっかく2ラインも建設したのに・・)。勿論、家電用の鋼板としてEGの需要は残りましたが、2ラインを維持するほどではありません。1ラインは休止に追い込まれました。
そして、亜鉛メッキは犠牲防食ですから、亜鉛が優先的に腐食し、白錆が発生します。犠牲防食とは、亜鉛と鉄が一種の電池を構成し、亜鉛が優先的に酸化され、亜鉛が残っている間は、鉄は酸化されないという時間稼ぎのメカニズムです。これは溶融亜鉛メッキと電気メッキ共通の問題ですが、特に電気メッキ鋼板で問題視されました。
そして、白錆対策としてはクロメート処理が最適とされ、使用されていました。しかし、このクロメート処理には有害な六価クロムを使います。
これは人体に入ると鼻中隔穿孔症という厄介な病気を発症します。1990年代、六価クロムの使用は禁止され、白錆対策をどうするのか?というのは鉄鋼会社にとって頭の痛い問題となりました。しかし逆に言えば、新技術を開発して自動車メーカーに採用して貰えれば、他社を出し抜くチャンスにもなります。
1990年代、日本の鉄鋼各社は和気あいあいの雰囲気は既に無くなり、技術の共有は無くなりました。無論、連続焼鈍の技術などは新日鉄が他社にも供給していましたが、有償で高いロイヤリティをせしめていました(それがまぁ、今は同じ会社です)。
六価クロムがだめなら無害な三価クロムを使えば?と素人は思いましたが、三価クロムでは防錆効果がさっぱりです。それに厳しくなる一方の環境規制ではクロム自体が許されなくなりそうでした。
そこでクロメート処理の代わりにシランガスを使ってシリコンコーティングする技術が開発されました。一方、住金では独自に亜鉛に少量(1~2%)のコバルトを添加することで白錆を防止できることを発見しました。つまりクロメート処理の代わりになる訳です。
技術者はコッソリと、住金が六価クロムフリーのメッキ方法を開発したことを自動車メーカーの技術者に紹介しました。彼らは興味を示しましたが、しかしコバルト添加を言うと、顔を曇らせます。当時からコバルトは希少で高価な金属だったので、コバルト添加はコストを押し上げます。1円のコスト削減のために血の滲む努力をしている自動車メーカーの技師にとって、コバルト添加は論外だったのです。提案は採用されませんでした。
考えてみれば、1990年代末、すでにバブルは弾けて、贅沢は許されない時代に入っていたのです。コバルト含有の亜鉛メッキは登場する時代を間違えました。
余談ですが、それから20年以上経って、三元系のリチウムイオン電池が高価で、リン酸鉄系リチウムイオン電池にシェアを奪われたり、廃棄電池からのコバルト回収技術が話題になるたびに、筆者は「時代は変わっても、コバルトの値段の高さに、僕らはいつも振り回されているなぁ」とちょっと切ない気持ちになります。
バブルが弾けた後、筆者は製鉄会社を離れ、その後の自動車鋼板のメッキ技術がどう進化したかを詳しくは知りません。バブルの象徴のような高価で複雑なFZ鋼板はもはや使っていないと思います。亜鉛の目付量も、防錆性能と耐用年数を見極めて、最適化され、必要最小限のメッキ厚に収れんしたはずです。自動車に使用する亜鉛の量は、2000年代以降、一定の値になったと筆者は考えます。
従って自動車のスクラップから発生する亜鉛の量も、2020年代以降は、ほぼ安定するのではないか?と筆者は予想します。
一方、メッキ鋼板の主要な用途である建材も大きく変化しています。かつてスパングルが特徴的なトタン板は、非常に多く使われましたが、最近は少ないようです。高級化が進み、安物のトタン板のイメージを払拭しています。
まず、亜鉛とアルミの合金をメッキするガルバリウムが登場しました。さらに亜鉛にアルミとマグネシウムを加え、耐食性をさらに向上した鋼板が登場しました。日鉄のブランド名はスーパーダイマ、日新製鋼のブランド名はZAMです。どちらもマグネシウム添加がミソです。これは激しい競争になるぞ・・と予想していたら、なんと新日鉄(日鉄住金)が日新製鋼を吸収合併してしまいました。建材の表面が美麗になり、耐食性も向上するなら、いいことばかりですが、リサイクルする側としては、あまり成分系を複雑にしないでくれ・・と言いたくなります。
では、昔からあるトタン板はどうなったか?と言うと、開発途上国で建材として売れているようです。某商社マンの話では、アフリカで結構引き合いがあるとのこと。スラムとまではいわないけれど、アフリカの都市部の低所得者が暮らす集落では軒並みトタン屋根が続いているとのことです。
高価で有用な金属であるコバルトを算出する国で、質素な亜鉛メッキ鋼板が使用されている・・というのは、少し皮肉な気がします。
ひょっとして将来、アフリカは亜鉛リサイクルの目玉になるかも?などと考えます。昭和の日本の街並みを思い出す、アフリカのトタン屋根の風景をいつか見たいと思います。勿論、アフリカに出かけるなら、エボラ出血熱とマラリアの問題が解決したあとですが。