――COMEXが映し出す、小さな金属の大きな世界
商売の現場に、新しい物差し
「タングステンにも、とうとう先物市場ができるらしい」
長くレアメタルを扱ってきた僕にとって、時代の変化を感じさせるニュースだ。銅やアルミニウムなら、取引所の相場を見ながら商売するのが当たり前である。しかし、タングステンは違った。鉱山会社、製錬会社、商社、需要家が、価格情報と現物の需給を見極めながら、契約を一つずつ積み上げてきた金属だ。
その世界に、新しい仕組みが加わる。
CMEグループは2026年10月19日、傘下のCOMEXにタングステン先物を上場する計画を発表した。取引開始は2027年第1四半期の初めを予定している。ただし、規制当局の審査を通過することが条件であり、現時点で売買が始まっているわけではない。
では、何が取引されるのか。これを理解するには、まずタングステンの商流を知る必要がある。
タングステンは、どこで働いているのか
タングステンと聞くと、昔の電球のフィラメントを思い浮かべる人もいるだろう。しかし現在の主な用途は、工場や鉱山で使われる工具や部品だ。
タングステンを炭素と結び付けた炭化タングステンは、硬く、摩耗しにくい。この材料を使った超硬工具は、金属を削ったり、穴を開けたり、精密部品を加工したりする。自動車や航空機の量産には、こうした加工技術が欠かせない。岩石を掘る工具にも使われている。
半導体の製造、電子材料、高温に耐える部材にも用途がある。もちろん、防衛分野でも重要だ。ただし、「タングステンは戦争の金属だ」と決め付けると、市場の全体像を見失う。
米国地質調査所(USGS)は、米国で消費されるタングステンの約6割が、切削・耐摩耗用途の超硬部品に使われていると推定している。タングステンは、日々の製造業を足元から支えているのである。
世界需要は、年間12万トン規模
市場の大きさを見るとき、まず注意したいのが単位だ。
「W純分」とは、製品や原料に含まれるタングステンそのものの量である。一方、「WO₃換算」は、含まれるタングステンを三酸化タングステン(WO₃)の重さに置き換えて表した量だ。つまり、同じタングステン量でも、どちらの単位で表すかによって数字が変わる。W純分1トンは、WO₃換算で約1.26トンになる。鉱石やAPTの製品重量とも混同してはいけない。
三菱マテリアルが2025年に公表した資料では、世界のタングステン需要はW純分で年間約12万トンとされている。WO₃換算では約15万トンだ。鉄や銅に比べれば小さな市場だが、産業に欠かせない役割を担っている。
地域別の規模を把握する参考として、ITIAなどがまとめた2022年資料を見ると、再生材を含む一次加工需要は、中国が約6万7,500トン、欧州が約1万9,000トン、米国が約1万3,500トン、日本が約7,800トンだった。これは2026年の実績ではなく、加工された地域で集計した数字である。
中国で工具を製造して米国へ輸出すれば、原料を加工した国と、完成した工具を使う国は異なる。「どこで消費されたか」は、集計方法によって変わる。この区別をせずに国別需要を比べると、議論を誤ることになる。
中国の約8割と、再生原料の存在
次に、供給側を見てみよう。
USGSの2025年推計では、世界の鉱山生産量はW純分で約8万5,000トン。そのうち中国が約6万7,000トンを占める。世界全体の約79%、およそ8割である。
中国以外では、ベトナムが約3,000トン、カザフスタンが約2,400トン、ロシアと北朝鮮がそれぞれ約2,000トン。欧州でもオーストリア、ポルトガル、スペインなどが生産しているが、一国で中国に肩を並べる国はない。
ここで、「需要が12万トンなのに、鉱山生産が8万5,000トンなら、3万5,000トンも不足しているのではないか」と思うかもしれない。
しかし、単純な引き算はできない。使用済みの超硬工具や製造工程で発生するスクラップが、再び原料として利用されているからだ。需要側に再生材を含む数字と、新たに採掘した鉱山生産だけの数字を、そのまま比べてはいけない。
また、中国の約8割という数字は、鉱山生産に占める比率である。製錬能力や再生材を含む総供給量の比率とは異なる。数字は大切だが、それが何を示す数字なのかは、さらに重要である。
APTという共通の物差し
今回の先物が基準にするのは、APT(パラタングステン酸アンモニウム)という中間原料だ。APTは、鉱石から取り出したタングステンを精製し、酸化物や金属粉などに加工する途中でつくられる材料である。タングステンの取引価格を考えるうえで、重要な基準になる。
ただし、すべてのタングステンがAPTを経由するわけではない。フェロタングステンや再生材には、別の製造経路もある。それでもAPT価格は、幅広い取引で参照される物差しになっている。
僕らが長年、メタル・ブリテンの価格として見てきた価格情報サービスは、現在のFastmarketsにつながっている。先物ができたからといって、従来の指標がなくなるわけではない。
むしろ、その指標を土台に先物が設計される。
参照されるのは、Fastmarketsのロッテルダム・ボルチモア向けAPT価格指標だ。公表資料によると、対象月に発表された評価値の平均が最終決済に使われる。
「欧州と米国の2港の価格を単純に半分ずつ足す」と考えるより、両地域を対象とする既存指標の月間平均に連動する仕組み、と捉える方が正確だ。
先物を買っても、原料は届かない
取引単位は、WO₃量で88.5mtu。mtuは「metric tonne unit」の略で、WO₃を10キログラム単位で数える表示である。88.5mtuは、WO₃を88.5%含むAPT約1トンに相当する。価格は1mtu当たり何ドルという、現物取引になじみのある表示になる。
今回の先物は現金決済だ。現金決済とは、満期になったときにAPTそのものを受け渡さず、契約価格と基準価格の差額を現金で精算する仕組みである。満期を迎えても、倉庫からAPTが送られてくるわけではない。
例えば、数カ月先に原料を購入するメーカーが、値上がりに備えて先物を買う。これはヘッジと呼ばれる。ヘッジとは、現物価格が不利に動いたときの損失を、先物取引の利益で補うための備えである。
現物価格が上昇すれば、先物取引の利益によって仕入れ負担の増加を補うことを目指せる。反対に、在庫を持つ商社は先物を売って値下がりに備える。ただし、自社の現物価格と先物の基準価格が異なる動きをすれば、損失を完全には相殺できない。
これまで取引先との交渉だけで対応してきた価格リスクを、先物市場を通じて管理する道が開かれるのである。
上場から、本当に使える市場へ
ただし、先物市場は看板を掲げれば完成するものではない。
売りたいときに買い手がいて、買いたいときに売り手がいる。必要な数量を、先の限月まで継続して取引できる。そこまで整って初めて、工場や商社が安心して利用できる。
世界需要12万トンのすべてが、この先物の対象になるわけでもない。再生材もあれば、完成部品もある。長期契約もあり、原産地や品質を指定した取引もある。市場全体の規模と、先物を利用したい取引の規模は異なる。
それでも、将来の価格を見ながら仕入れや販売を計画できるようになれば、タングステン取引に新しい選択肢が生まれる。
小さな金属にも、大きな金融の仕組みが近付いてきた。
商売人として僕が見たいのは、その仕組みが、工場へ原料を届ける仕事をどれだけ支えられるかだ。相場の数字の向こうには、今日も工具を使い、部品をつくる現場がある。
その現場につながってこそ、タングステン先物は産業を支えるもう一本の柱になる。
資料注:2026年10月21日時点。本文約3,000字。地域別需要は2022年の一次加工需要であり、2026年の実績ではありません。鉱山生産はUSGSの2025年推計です。世界需要約12万トンは、三菱マテリアルの2025年説明資料に基づく規模感です。連載の通算夜数は未指定のため、「三部作・第1部」と表記しています。
主な参照資料
CME Group、2026年10月19日発表:https://investor.cmegroup.com/news-releases/news-release-details/cme-group-launch-tungsten-futures-meet-rising-demand-critical
CME Group、タングステン先物商品資料:https://www.cmegroup.com/markets/metals/files/tungsten-fact-card.pdf
USGS、Mineral Commodity Summaries 2026, Tungsten:https://pubs.usgs.gov/periodicals/mcs2026/mcs2026-tungsten.pdf
三菱マテリアル、2025年タングステン事業戦略説明会資料:https://ir.mmc.co.jp/ja/ir/library/other/main/012/teaserItems3/0/linkList/08/link/0912IR2.pdf
ITIA・SMR、Tungsten End-Use Analysis 2022/23(2023年大阪総会資料。地域別一次加工需要):https://www.scribd.com/document/900733079/6-Tungsten-End-Use-Analysis-2023
Fastmarkets、2018年名称変更発表:https://www.fastmarkets.com/insights/notice-metal-bulletin-group-announces-rebrand-to-fastmarkets/