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東港金属創立120周年〜サイクラーズ福田隆社長スペシャルインタビュー(前)

写真 今年7月に創業120周年を迎える東港金属(東京都大田区)。創業の1902年は、明治35年。開業当初は東京神田の伸銅品、非鉄金属地金の問屋(福田勝西商店)であったという。現在の代表取締役の福田隆氏は4代目の社長。就任時は丁度創業100周年、つまり同氏の社長歴は今回の周年で20年目ということになる。20年というスパンのなかでは、世の中が資源再生に向ける目も大きく変わってきたことだろう。そんな移り変わりや、福田氏の経営哲学などを披瀝して頂く。(写真;同社HPより、以下同)

 

 

28歳で、家業を継ぎ社長に就任

写真 現在、東港金属は2020年9月設立の旧東港グループを統括するサイクラーズ(株)(https://www.cyclers.co.jp/)傘下の事業会社というポジションにある。事業所は京浜島工場(大田区京浜島)と千葉工場(富津市)の2拠点体制になる。

 

 前記の通り、福田隆氏が社長に就任したのは東港金属100周年の2002年、その経緯は父親の3代目社長の福田勝年氏が体調不良により社長職を辞し、急遽その要職に就くことになった、というものだった。同氏は当時28歳。大学卒業後は大手メーカーやIT系の企業に勤務していたという。

 

 「ここでの経験は、静脈産業のなかで会社運営をするのに大きく役立ちましたね。例えば、顧客対応、設備なども含めた効率、また品質に対する認識、粗利の水準など、当時業界では慣習的に当たり前のように考えられていたことが、いろいろ非常識なのだということが分かってきました」

 

 突然の社長就任ではあったが、しかし家業である産廃中間処理、リサイクルの現場はつねに傍にあったため、ノウハウはおおよそ分かっていた。現場を3ヵ月、営業を3ヵ月経験‥その頃勝年氏が逝去した。

 

 これを機に、ある意味福田隆社長の本格的な社長業‥会社の安定操業および事業拡大‥へ向けた経営トップとしての努力が始まることになる。

 

 

いいところはどんどん真似する‥扱い量は10数倍に

 同氏が社長就任当時、漠然とだがお手本としてイメージしていた会社がある。東港金属とも業態の近い、現TREホールディングス傘下の総合金属スクラップリサイクル業「フェニックスメタル」だ。

 

 「千葉県市原市にある事業所を見て、その規模やギロチン、シュレッダー設備など『なんて立派な工場なのだろう』と感じました。いつかこんな工場が持ちたい、と思いましたね。また他の工場もいくつも見学しましたが、いいところはどんどん吸収していこうと思いました。自分たちがいかに劣後しているか、ということを思い知らされもしました」

 

写真 東港金属が福田社長の理想を叶える形で、比較的近隣である富津に千葉工場を設けるのは、それから5年後の2007年のこと(写真)。先立つ2003年には京浜島に第2ヤードを開設、続いて2004年プレス機、圧縮梱包機、また2006年大型切断機(ギロチンシャー)を導入し鉄スクラップ事業に本格参入するなど、アグレッシブに投資を続け規模拡大を図ってきた。

 

 このように業容を広げていったものの、しかしその当時はまだ鉄・非鉄のスクラップ価格はまだ現在の5分の1程度で派手さはなく(現在と一桁違う)、社会的には3R推進などリサイクルというものの機運が盛り上がりつつあったが、掛け声だけで、まだまだ静脈産業は日陰の存在であった。

 

 「設備投資にあたっては、基本的にこの業界は現金取引なので、手形などのリスクがないなど恵まれており、こうした面が信用力にもつながるため金融機関(主に政府系)から融資を受けることもできたので、資金繰りなどで特別困ったということはなかったですね」(福田社長)

 

 20年前の同社の扱い量は700〜900t/月程度であったが、現在では1万t/月以上になり、実に10数倍になっている。これは特に発生が増えたということではない。他に大きく処理をしている会社はいくつもあったが、福田社長が他社から学び、営業に力を入れ、設備を増強し、また従業員の意識改革などを行った結果が実ったものでもあるのだ。(続く)

 

 

(IRuniverse kaneshige)

 

 

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