新着情報

2024/12/04   MARKET TA...
2024/12/04   PSジャパン マス...
2024/12/03   資源循環型の鉄づく...
2024/12/03   東ソー HDI誘...
2024/12/03   白黒レンガ比較:2...
2024/12/03   11月のアルミ概況...
2024/12/03   第2回「ヤード環境...
2024/12/03   11月の銅の概況及...
2024/12/03   チタン:早まるのか...
2024/12/03   2024年11月 ...
2024/12/03   銅条輸出Repor...
2024/12/03   日本の銅箔輸出Re...
2024/12/03   黄銅条輸出Repo...
2024/12/03   精製銅輸出Repo...
2024/12/03   日本製鉄:USスチ...
2024/12/03   中国が輸出を制限し...
2024/12/03   中国の「黄金の夢」...
2024/12/03   非認定全部利用のE...
2024/12/03   2024年10月 ...
2024/12/03   第11回Batte...

元鉄鋼マンのつぶやき#22 新規事業について考える その1

 市場が成熟した産業、例えば製鉄業などでは、定期的に新規事業に取り組みます。その新規事業は、大別すると以下の三種類に分類されます。

1.将来の事業の柱にしたい新規事業

2.余剰人材あるいは現場で使えなくなった人を押し込むための新規事業(筆者は密にアンヴァリッド(廃兵院Les Invalide)と呼んでいました。

3.銀行から融資を押し付けられ、そそのかされて始める新規事業

 3.のお金が余ったから行う新規事業とは、非常に特殊な例で、某製鉄会社では1980年代のバブル景気の時期に見られました。しかし、それが会社の首を絞めました。

 

 最初に1.に該当する新規事業から考えます。

 1980年代、鉄鋼業は既に成熟した産業で、国内での鋼材消費量は伸び悩んでいました。何か新しい経営の柱となる事業を求めていました。「産業のコメはもはや鉄ではなく半導体だ」という声を聞くとすぐに半導体のビジネスを開始します。といっても簡単ではないので、セラミックス製の半導体パッケージ、そして半導体ウェハーの材料となるシリコンの精錬に取り組みました。

 

 セラミックスはグループ企業内に陶磁器を扱っている会社があるから土地勘があります。シリコンの精錬はチタンの精錬と共通点があります。これもグループ企業で対応できますし、金属精錬は自分たちの専門です(シリコンは半金属ですが)。

 

 しかし、エレクトロニクスと鉄の世界はかなり違います。何が違うかと言えば、ビジネスのプロトコールが違うというか、全てが違います。セラミックスのパッケージを売るには、インテルなどの大手半導体メーカーのアプルーバルを貰う必要があります。

 しかしこれがなかなかうまくいきません。焼成する際に微妙な寸法のバラつきが出るのですが、そのために合格しないのです。すぐに改善策を講じて対応したいのですが、設備投資となると上司の許可、本社・親会社の決裁が必要で、翌年の予算に盛り込んで・・となると、半年、一年はかかります。分進秒歩という速度で変化するエレクトロニクスの世界では通用しません。まして決裁するのは鉄鋼畑で育った人で、技術屋と言いながら、半導体にn型とp型があることさえ知らない人です。このままでは業界内で置いてけぼりを食ってしまいます。

 

 やがて、自分たちの技術ではどうしようもない・・と判断され、この分野で先行するイビデンの特許を購入することになりました。これでうまくいくと考えフィリピンに巨額を投じて新工場を建設しました。

 しかし、実は特許だけでは製品はできなかったのです。その特許の周辺にあるノウハウを知らなければ、インテルに納めるような製品はできません。そして商売敵となる会社にイビデンがノウハウを開示してくれるはずもありません。結局完成した新工場は操業開始のキーを回すその直前で断念され、イビデンに捨て値で売却することになりました。その後、半導体パッケージは安価な樹脂製も普及してきおり、今は昔の話です。

 

 一方、シリコンウェハーの製造ですが、これは結局、自社単独で事業を進めるのは不適当との判断で、三菱マテリアルと共同でSUMCOを設立しました、事業としてはうまくいっています。

 しかし、こちらも問題が無かった訳ではありません。素材産業の常として、とにかくシェアを拡大したがります。住金出身の社長はシェア拡大に走り、旧式装置を持て余していたコマツ電子を買収し、規模を拡大しました。コマツはお荷物を始末できた訳です。

 ちょうどシリコンウェハーは、5インチから8インチへのサイズ変更の過渡期で、客先の事情を見ながらサイズアップをしていったのですが、その設備投資の時期が微妙でした。その時になぜ小型のウェハーを作るコマツ電子を買収したのか?シェア拡大のためとはいえ疑問です。

 2000年代の中頃ですが、上越地方にいた筆者は、信越化学の社長インタビューが地元紙に載っているのを読みました(信越化学は地元に大きな生産拠点があります)。信越化学の社長は、インタビュー記事の中で、SUMCOをあてこするように「あちらは借金して無理やり生産規模を拡大しているようだけど大丈夫かね。うちは計画的に手持ち資金の枠内で需要家の動向を見ながら設備投資していくよ」と言い、笑顔の写真が添えてありました。

 

 両社のトップ争いはまだ続いています。筆者は住金出身の社長がシェア獲得に走る思いも分かります。大手鉄鋼メーカーの中では下位に甘んじていたために味わった悲哀を考えれば、業界首位になりたいはずです。そう言えば「2位じゃダメなんですかぁ」と言った人がいましたが、シリコンウェハーの業界では首位になりたいのです。

 

 次に、2.の余剰人員や使えない社員を押し込む新規事業について考えます。

 この種の新規事業は常に必要です。装置産業である鉄鋼産業は、常にリストラが続く世界です。設備が完成し操業を開始したその翌日から、合理化が始まります。合理化とは即ち、より少ない人員で生産できるようにすることで、余剰人員は常に発生します。そして製鉄所の現場はまさに暑熱重筋の作業環境であり、体力的に耐えられない人は当然ながらでてきます。さらに言えば、一応ピラミッド型の組織を維持しようとすれば、年齢を重ねるとともに、組織の外に出される人が発生します。その人達をどう活用するか?

 

***************************

 鹿島製鉄所で筆者が尊敬する人物にHさんという人がいました。彼はあるプロジェクトを成功させた後、製鉄所長と対立し、この種類の新規事業の責任者になったのです。H氏の発言です。

 「みんなを集めて、どんな新規事業をすべきか提案させると、必ず出てくるアイデアがある。それは、温排水を利用して魚の飼育をしようとか、温室で花卉を栽培しようというアイデアなんだ。

 そこで詳しく尋ねると、魚を飼おうという人は、自分が趣味で魚釣りをしていたり熱帯魚を飼っている人なんだ。植物を育てようという人は自宅で家庭菜園をしていたり、バラの栽培をしている人なんだ。そこで一喝するしかない。

 趣味とビジネスを一緒にしてはいけない。趣味と仕事が一致すればそれは楽しいけれど、世の中、そんなに甘くない」。

 「そもそも論として、第二次産業である工場で働いている人が第一次産業に回帰してうまくいくはずがない。君たち、プロの百姓や漁師は24時間大自然と闘って生計を立てているんだぜ。ネクタイ締めて会社に来て、時間から時間まで仕事をして給料を貰っている我々が、彼らと勝負してかなうはずないじゃないか」

 「そもそも、第一次産業より、第二次産業、さらに第三次産業と進んで社会は豊かになってきたのだ。それは第一次より、第二次、第三次の方が生産性が高く儲かるからだ。今更第一次産業に戻って食べ物を作ろうなんて考えが甘い」

 

**********************************

 

 しかし、それでも会社は各製鉄所で生き物を育てるサイドビジネスを開始しました。鹿島製鉄所では南米原産の淡水魚ティラピアを養殖し、イズミダイと名付けて売り出しました。しかし販路を開拓できず、会社のレストランなどで提供するだけに留まり、やがて挫折しました。

 今、街で売られるお弁当に入っている白身魚のフライを見ると、多くはティラピアです。さてはプロの漁師が養殖したのかな?

 

 

 他の製鉄所ではバラの栽培、サボテンの栽培・・等に取り組みましたが、儲かったという話は聞きません。小倉製鉄所ではジャンボタニシの養殖を始めました。これを小倉のレストランに卸し、カタツムリの代わりにエスカルゴにする・・というアイデアです。

 責任者には京大の大学院を出た若手が選ばれ、所長からは「ジャンボタニシの研究で博士論文を書くくらいに打ち込んでくれ」と励まされたのですが・・・、まもなくプロジェクトは頓挫しました。そのフレンチレストランが廃業したからです。

 

 

 残ったジャンボタニシを、川に捨てた・・とのことですが、その時の彼の胸中やいかに。いやそれどころか、放たれたジャンボタニシが西日本中心に水田でイネを食い荒らす特定外来種になっていることを思うと、実に罪深いことです。筆者は水田の土手にピンク色の卵塊を見るたび、そのことを思い出します。 もう時効だから白状しますが・・・。

 

************************** 

 

 実は、第一次産業に回帰して成功した例も幾つかあります。新日鐵(当時)は高級なヒラメの一種であるマツカワの養殖に成功し、市場を開拓しています。大評判になったのは、常石造船の「新勝寺そば」、日立造船「杜仲茶」などです。最初のマツカワはどんな魚なら売れるかを真剣にマーケティングした結果ですし、後の2つは、造船所の後背地にある農家出身の社員が取り組んだもので、造船不況の厳しさの中で、死に物狂いで産み出した商品です。なかなか真似のできるものではありません。

 やはり死に物狂いで新規事業に取り組んだH氏でしたが、うまくいかず、担当した事業を整理した後、自殺してしまいました。

 

 ところで、冒頭で申し上げた3種類の新規事業の内、問題にしなければならないのは3.のバブルに浮かれた新規事業というものです。

 これについては、次号で申し上げます

 

 

***********************

久世寿(Que sais-je)

茨城県在住で60代後半。昭和を懐かしむ世代。大学と大学院では振動工学と人間工学、製鉄所時代は鉄鋼の凝固、引退後は再び大学院で和漢比較文学研究を学び、いまなお勉強中の未熟者です。約20年間を製鉄所で過ごしましたが、その間とその後、米国、英国、中国でも暮らしました。その頃の思い出や雑学を元に書いております。

***********************

 

関連記事

関連記事をもっと見る