2番目の講話は、NdFeB磁石の発明者である佐川眞人さんでしたが、佐川さんが体調を崩されたということで、現在は回復していますが大事をとって、NS会は不参加。そこで、住友特殊金属時代に佐川さんと一緒にNdFeB磁石を開発した松浦裕さんが急遽代講。松浦さんは1977年に岡山大学大学院を修了され、1987年には「Nd-Fe-B永久磁石に関する研究」によって工学博士の学位を取得。2016年からは応用科学研究所において研究を継続。
講話のタイトルは「NdFeB焼結磁石の究極の製法を目指して」。7月27日~31日につくばで開催されたREPM2025ワークショップで佐川さんが講演した「NdFeB磁石:若い研究者が革新を起こし、ベテランが改良する」という講演の英語版に基づいて、NdFeB磁石の開発の歴史や現在の取り組みについて、松浦さんの見解も交えながら30分間にわたって話した。
私が水曜日(8月20日)の夜に佐川さんからメールを受け取りました。体調不良で日暮里に行けなくなったため、佐川さんの代わりに私に発表をお願いされたのです。水曜日の夜であったため、急なことで驚きましたが、相談相手もいなかったため、引き受けることにした、というのが今回の経緯です。
本日の内容は、先月実施されたREPM2025の英語版に基づいています。佐川さんが私と共にNdFeB磁石の開発を行っていた際の歴史や、現在の取り組みについてお話ししたいと思います。佐川さんの意向を踏まえつつ、私の見解も交えながら進めますので、何卒ご了承ください。
ネオジ鉄ボロンの開発においては、1982年に世界記録を更新したことがあり、その背景には苦難の時代もありました。しかしながら、幸運にも1982年7月に34MGOeの特性を持つ磁石を発明したことが、すべての始まりでした。この実績を特許として確保するために、1982年8月21日に三元系の焼結磁石の特許を申請しました。
当時のチームメンバーは、佐川さん、藤村さん、私という三人で構成されていました。佐川さんは39歳に近づいており、私は29歳でした。振り返ると43年前であり、皆若かったという印象があります。数週間後にはGMのチームが急冷合金に基づく同様の特性の磁石を発表しました。大橋さんの発表でもあった通り、GMのアプローチが三元系をもたらしたかどうかは疑問が残りますが、歴史を遡るとそのように考えるに至っています。
我々は効果の有無を判断することは難しいですが、無意識のうちに三元系の道を歩んできたのです。希土類と鉄の合金は非常に特異な挙動を示し、通常の安定化合金では得られない速さで進展しました。この点については今後別の機会にお話ししたいと思います。
アメリカと日本の二国において、非常に似た組成の特許が互いに出てきたことから、特許の抵触の可能性が示唆されました。佐川さんと共に話した時、2週間早く出願したことが決定的な要素であると認識しました。当時アメリカは先発明主義を採用しており(日本は先出願主義)、実験ノートに署名がある場合、発明の認識が後日でも特許可能になるという特徴がありました。
米国においてGMが基本特許を取得し、日本では住友特殊金属が権利を保有することとなりました。両者の関係において対立が全くなかったわけではありませんが、住友特殊金属とGMとの間でクロスライセンス契約が結ばれ、住友特殊金属は焼結磁石を扱い、GMは長期的な生産を担うことになったのです。
特許戦略については、三元系の特許を最初に出願し、その後コバルトを加えた特許など、様々な添加物に関する特許も申請しました。これによって、特許に関するかなりの保有が実現しました。しかし、その後も多くの特許を出願する必要があり、非常に困難な作業でした。特に最適な組織や製造条件に関して、多くの特許を権利化していきました。
1983年11月に開催された3Mコンファレンスにおいては、佐川さんが発表を行い、性能の向上について確かな結果が得られました。
佐川さんは今は82歳になられましたが、最近の会話でも意気軒昂で新たな研究に取り組んでいる様子が伺えました。彼が現在関与しているプロジェクトとしては、耐熱性のヘビーレアアースフリー磁石、ニアネットシェイププロセスの開発、低渦電流損失磁石の三つが主な柱となっています。
新たに開発される低温電流損失磁石は、ネオジ鉄ボロンの積層磁石であって、特に効率的な主機モーター向けの設計に向けられています。今回の講話を通じて、研究者としての役割や責任について再確認し、今後の発展を期待したいと思います。」
佐川さんから
「磁石のベテランは究極を目指し、若い研究者はイノベーションを目指してもらたい」というメッセージが紹介されたが、佐川さんは今回の講話に対しての参加者の意見を希望しており、佐川さんの連絡先(メールアドレス)が記載された紙が配布された。今回の講話を通じて、研究者や技術者としての役割や責任について再確認し、今後の発展を期待したいと思う。
その後の懇親会でも話題にのぼったが、その若い研究者が少ないことが実は最大の課題。このNS会でもベテラン中心であることが語られた。それでもおなじみの顔ぶれであっても磁石同志という絆を重要視する、良い意味でクローズドな集まりは貴重だと誰しもが感じている。
講話終了後、記念の集合写真を撮影し、第二部のNS会食へと進んだ。
懇親会(NS会食)ではさらに各テーブルで終わりなきかのように話は尽きない。
乾杯の音頭は明治大学の小原先生
「毎日暑い日が続きますが、磁石だけでなく、我々の体も耐熱性を上げていかないといけないですね(笑)、またNS会は飲んで、騒ぐ、のNS会だと理解しておりますので(笑)、おおいに飲んで語りましょう、乾杯!」と会場を和ませてくれた。
その後も適時、挨拶で参加者の方が壇上にあがられスピーチを展開。
元・日立金属の諏訪部繫和さん、東北大学の杉本諭先生、産総研の高木健太さんらが昨年に続いてスピーチされた。
産総研の高木さん
「産総研で磁石を10数年からやっています。昨日経済産業省に行ってきまして、ちょっと意見交換ができました。トランプ関連絡みで磁石はどのくらの危機状態にあるのか、日本政府としては対策をしたいとおっしゃられていました。しかしながら根本的な問題は、人がいない、研究者がいないので、お金をいくらつけられてもお金欲しさに集まってくるだけだっていう話を少ししたのです。何とかして磁性材料の研究者を根底から増やしたいという考えを述べました。ぜひ大学の先生とか、NIMSとかも含めて人材育成を一生懸命やっていきたいと思っています」。
続いて、今回初めて参加されたトーキンの町田浩明さん、東芝の眞田直幸さんらが参加者の懇談が続く中、大きな声で話された。
さらに、インドから初参加のバンダーレさん
「AI投資会社のバンダーレと申します。私は海洋生物学の京都大学の学位を取っているのですけど、なぜこの磁石の研究会にいるのだろうと自分の頭に質問をしているのですが、実は私、京都に住んでいて、 2018年にたまたまある結婚式で友達に呼ばれて、隣に座っていたのが佐川さんで、そこで元気を感じて。
その2年後から磁石業界との交流が始まりました。
こちらに集まっておられる皆さんはベテランで素晴らしい方々なのでインドを助けてほしいです。今後も海洋生物学は別として、磁石も勉強していきたいと思いますので、ご指導のほどよろしくお願いいたします。」
また、野口研究所の柴崎一郎さんが磁石だけではなくセンサも重要であるなどと話された。
約1時間半の懇談の後、小西さんが閉会の挨拶を述べた。
小西さんの閉会の挨拶
「本日は、大橋さんの『サマリウム系磁石について』、佐川さんのNdFeB焼結磁石の究極の製法を目指して』のダブル講話を聞かせていただきました。佐川さんには残念ながら会場には来られませんでしたが、松浦さん、どうもありがとうございました。
毎回恒例のこの閉会の挨拶に下田さんの姿を見る事が出来ないのは非常に残念であります。
2007年の第1回NS会の 5人の発起人のうち、すでに浜野正昭さんが 2014年に他界されて、下田達也さんもこの度、7月にお亡くなりになられました。山元洋先生、西尾博明さんも高齢となられ、今日はお見えになっていません。
これから頑張ってもらうのは佐川さんだけということになります。
これからの NS会のあり方について、佐川さんとよく相談して、今後のNS会を進めて行くということです。最後に世話人を紹介します。元・三菱製鋼の福田さん、東英工業の有泉さん、イノウエ磁研の井上さん、TDKの諏訪さん。
皆さんにもご協力いただきながら、このメンバーで次も頑張っていきたいとお約束しまして、閉会といたします。二次会は井上さんに!」
そして、恒例の二次会へ有志が向かった。
(IRUNIVERSE YUJI TANAMACHI)