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元鉄鋼マンのつぶやき#145 ATRについて考える その3 新潟の夢、福井の夢 日本でのターボプロップ機

2025/11/27 18:15
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元鉄鋼マンのつぶやき#145 ATRについて考える その3 新潟の夢、福井の夢 日本でのターボプロップ機

私事で恐縮ですが、筆者は福井県坂井市に1年間暮らしたことがあります。近くには滑走路長1200mの福井空港があります。20年以上前のことですが、福井県はこの滑走路を延長してジェット化しようとしました。しかし滑走路延長のための用地取得がなかなかうまく行きません。実際に土地を売る地主は賛成するのですが、その周辺の(つまり土地収用にひっかからない)地主が猛反対したのです。

業を煮やした国土交通省は、福井県に対して奇妙な要求をしました。福井空港のジェット化(滑走路の延伸)か、北陸新幹線の敦賀延伸のどちらかを選べ・・。考えてみれば理不尽な要求です。太平洋側の大都市であれば、新幹線か空港かの選択などありえないのですが、北陸の中都市である福井市と福井県はその選択を迫られました。結局福井県は、北陸新幹線の延伸を希望し、福井空港の滑走路延長は断念されました。かつて名機フレンドシップF-27の定期便が飛んだ福井空港は、定期便を失い大学のグライダー部のメッカになりました。

福井県民がそれに納得した訳ではありません。新幹線で便利になったのは東京や金沢に行くことだけです。関西地区や中京地区に行くにも不便になりました。それに福井の人は東京に行くだけではないのです。北海道や沖縄にも行きます。航空路線を失うことは福井県民には痛手でした。

その時筆者は考えたのです。何もジェット機でなくてもいいではないか?1200mの滑走路でもSTOL性の高いターボプロップ旅客機なら十分運用できます。無論、ジェット機よりは遅いですが、国内線であればそれほど問題にはなりません。新幹線と競合する路線では厳しいでしょうが、国内地方都市間を少数のお客を乗せて結ぶ路線なら十分成立するのでは?と筆者は考えました。

ATR72-600型機の場合、1200mの滑走路では足りません。「でもATR42-600Sなら何とかならないか?」そこで筆者は少し苦い記憶を思い出しました。

実は筆者は新潟県上越市に暮らしたこともありますが、その頃、旭伸航空が廃業したのです。「旭伸航空とは何ぞや?」ご存知ない読者諸兄の為に申し上げますと、これはかつて新潟県に存在した航空会社で、トキエアが誕生する以前に、佐渡と本土を結んでいました。親会社は味噌メーカーで、両津(佐渡)と新潟空港を結んでいた機材はアイランダーでした。

少し脱線しますが、筆者はこのアイランダーという名前が好きです。いかにも離島に暮らす人々の孤高で誇り高い生き方を示すような名前です。唐突ですが、アイランダーと聞くと、後鳥羽上皇の「我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け」という和歌を思い出します。どうでもいいことですがこの和歌を聞いて「隠岐の島なのに、どうして(伊豆七島の)新島なんだ?」と訊いて、級友に思いっきり軽蔑された中学生がいました。若い頃の筆者です。

旭伸航空の親会社は前述の通り、お味噌を作るメーカーでしたが、アメリカ人に「日本には、カマボコ屋や味噌屋が経営する航空会社があるんだぜ」と言いかけて、言葉に詰まった男がいます。カマボコや味噌を英語でどう言えばいいか分からず、うろたえた訳ですが、情けない話です。実はこれも若い頃の筆者です。

筆者は、家族経営でオンボロ飛行機を飛ばすエアラインを描いた筒井康隆の『五郎八高空』という短編小説を思い出しました。

 

脱線話が長くなりましたが、ここから戻します。

この旭伸航空が運航を止めたのは、パイロットと操縦士が高齢化し「もう引退させてくれ」と会社に訴えたのが理由です。孤高のアイランダーも寄る年波には勝てなかったのです。肝心の飛行機もくたびれていましたが・・・。

その後、新日本航空が運航を再開しましたが短期間で挫折しました。

新潟県では、佐渡に飛ぶ定期便が無くなることを問題視しましたが名案がありません。新潟県の泉田裕彦知事(当時)は北陸新幹線の金沢延伸には頑強に反対し、執拗に妨害する一方で、新潟空港の整備には熱心だったという、少し変わった人でした。

リニア新幹線には大反対し妨害する一方で、富士山静岡空港に拘った川勝静岡県知事(当時)と通じるところがあります。

泉田知事はライバル視する石川県の小松飛行場(小松空港)には遠距離国際線の大型貨物機(カーゴルックス社のジャンボ)が飛ぶのに、新潟空港には来ない。だから新潟空港の滑走路を延長しろ・・と国交省に訴えていました。これはトンチンカンな話で、カーゴルックスのジャンボ機が小松に来るのは、滑走路が長いからではありません。滑走路の舗装厚が厚く、路盤が強固なため、大型機の重量に耐えられるからです。新潟空港は地盤が軟弱でした。ジャンボ機を飛ばしたいなら路盤強化が先なのです。

再び脱線しましたが、その泉田知事は佐渡空港の滑走路延長や設備強化、定期航空路線の復活には、冷淡でした。

新潟県に住む筆者の友人は、真剣な顔でこう言いました。

「佐渡島には麻酔医がいないんだよ。全身麻酔が必要な手術を受ける患者は皆さん、対岸の本土に行かなければならない。だけど海が荒れたらジェットフォイルが欠航してしまう。命が助からないのだ。だから定期便が必要なのさ」

でも、この説明には突っ込みどころが満載です。第一、麻酔医がいないのが問題なら、行政の力で何とかなります。自治医大の卒業生や新潟大学医学部に地域枠で入った医師を指名して佐渡に派遣すればいいのです。海が荒れてジェットフォイルが欠航する時は、飛行機だって欠航するでしょう。ましてアイランダーなどという小型機には厳しいです。本当に緊急なら佐渡空港の短い滑走路でも離着陸できるMU-2などの自衛隊の連絡機やヘリコプターがあります。彼の説明には矛盾点が多くありました。

しかし、佐渡空港の滑走路が絶望的に短いのは事実です。滑走路長は890mです。これでは普通の旅客機は無理です。

 

 しかし、佐渡の人々は一縷の望みを持っていました。ATRが新型のATR42-600Sを開発しているとの情報があったからです。ATR42-600SのSはSTOLのSで、思い切った短距離離着陸を可能にする画期的な機体です。この飛行機なら、佐渡から新潟どころか、調布飛行場にも飛べるぞ・・と期待しました。

筆者の頭の中では、「佐渡おけさ」ではなく、松任谷由美の「中央フリーウェイ」が流れました。しかし、そうはなりませんでした。ATR42-600Sのプロジェクトは突然キャンセルされたのです。

一般論として言えば、航空機のSTOL化が一大ブームだったのは昭和の時代、つまりYS-11や三菱MU-2が開発された時代です。NAL(現JAXA)の実験機「飛鳥」が開発された時には、もうSTOL化のブームは終わっていました。航空機に複雑な工夫を凝らすよりも、単純に滑走路を長くする方が自然ではないか?ということかも知れません。

因みに、泉田氏が知事から国会議員に転じた後、佐渡空港の整備は進みはじめ、今はホリエモンも参加するトキエアが佐渡空港便を視野に入れています。

トキエアについては別稿で述べたいと思いますが、同社はATR機で統一するのか?と思いきや、スェーデン製の電動ハイブリッド機も購入して飛ばす計画だそうです。

三菱MRJ(スペースジェット)で、あれだけ意地悪して型式証明を出さなかった日本の国交省が、電動ハイブリッド機に型式証明を出すのか・・・不明ですが、トキエアは早くも自らをハイブリッド航空会社と名乗っています。もっとも、これはLCCとフルサービスキャリアの良いとこ取りをする・・という意味でのハイブリッドだそうですが・・・。

脱線ばかりで申し訳ありません。話を元に戻します。筆者は、日本にはまだまだSTOL機(短距離離着陸機)のニーズはあると考えています。新潟と福井で苦い経験をしましたがATR42-600Sさえあれば・・という思いです。

翻って、日本国内を眺めた場合、昭和39年以降、新幹線と航空機のライバル関係は常に続いていました。そしてそれは航空機の敗北の歴史だったはずです。新幹線が延伸される度に、新しい新幹線ができる度に、航空機は旅客を失い路線撤退を迫られたはずですが・・・、最近はそうでもないようです。航空機が健闘しています。

理由は幾つかありますが、一つは新幹線の輸送能力が限界で、これ以上飛行機の客を奪えないことです。その理由は新幹線の終着駅が東京駅に集中しすぎて、列車本数を増やせないことです。一方で飛行機の方は首都圏だけで、羽田、成田、調布、茨城と複数あります。

もう一つの理由は、長距離路線では、新幹線といえども時間がかかり、気の短い現代の旅行者には耐えられないからです。

現役時代、筆者も多く出張しましたが、基本的に東京から西へ行く場合は、福山までは新幹線、広島から先は飛行機・・というパターンです。北の場合は盛岡までが新幹線、八戸から先は飛行機・・というパターンです。

これから先、西九州や北海道に新幹線が伸びても、航空旅客数には多くの影響はないでしょう。

穿った言い方をすれば、日本では新幹線と航空機の棲み分けはほぼ確立し平和な時代が来たと言えるでしょう。

 

そう言えば、大昔のことですが、鹿島製鉄所の管理職が小倉製鉄所の会議に出席する際、会社には新幹線の往復で申請しながら「かったるくて新幹線なんか乗ってられるか」と、こっそり飛行機に乗って出張したことがあります。しかし乗った飛行機は「よど号」でハイジャックされてしまいました。韓国金浦空港で開放された後、帰国しましたが、当然会議は終わっており、上司からは叱られたとのことです。

その後、飛行機での出張はごく普通になり、東京=大阪間も飛行機を使う人が増えました。筆者の昔の上司は東京への日帰り出張の後、大阪に帰る飛行機に乗りましたが、その飛行機は日航123便で、御巣鷹の尾根に墜落し、帰らぬ人になってしまいました。現在、筆者は自分なりに原則を設け、東京=大阪は新幹線と飛行機が半々、広島以遠は飛行機が原則としています。

しかし、コロナ禍が終息し、インバウンドの観光客が激増している中、新幹線も航空機も能力が限界に近づいています。その限界を突破するには、新たな交通システムの構築が必要です。筆者は、現在余裕のある地方空港を活用したターボプロップ機の新しいネットワークを構築することこそ、最善の解決策であると考えるのです。

そうすれば、ペンペン草が生えている福井空港も復活できるかも知れません。そのアイデアについては次号で申し上げます。

 

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久世寿(Que sais-je)

茨城県在住で60代後半。昭和を懐かしむ世代。大学と大学院では振動工学と人間工学、製鉄所時代は鉄鋼の凝固、引退後は再び大学院で和漢比較文学研究を学び、いまなお勉強中の未熟者です。約20年間を製鉄所で過ごしましたが、その間とその後、米国、英国、中国でも暮らしました。その頃の思い出や雑学を元に書いております。

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