この4月から、わが国でも温室効果ガス排出量取引制度(GX-ETS)が本格的に稼働します。当初、排出削減が義務化されるのは、スコープ1排出量が2023年度から25年度の平均で10万トン以上となる大企業に限られます。しかし鉄鋼や化学などの分野では、大手素材メーカーが対象に含まれる点に注意が必要です。素材産業はサプライチェーンの上流に位置するため、その影響は取引先へと波及していく可能性が高いからです。
こうした流れの中で、資源産業では「マスバランス方式」が一般的な手法として広がりつつあります。これは、再生原料やバイオ由来原料などを一定割合で投入し、製品全体の製造量に応じてその環境価値を配分する考え方です。たとえば工場全体で10%のバイオ原料を使用した場合、特定ロットの製品に10%分の環境価値を割り当てる、といった形を取ります。物理的にその製品にバイオ原料が含まれていることを厳密に示すのではなく、工程全体での投入量に基づいて帳簿上で管理するのが特徴です。石油化学やプラスチック分野では、既存設備を活用しながら段階的に低炭素化を進められる方法として、多くの素材メーカーが採用しています。
GX-ETSがもたらす「炭素の価値」は、このマスバランス方式による製造を後押しするとの見方もあります。排出削減に価格が付くことで、再生原料の利用や環境価値の創出が経済合理性を持ちやすくなるからです。帳簿上であっても低炭素原料の投入量を増やせば、その分の価値を市場で評価してもらえる可能性が高まります。
しかしここで注意しなければならない点があります。欧州の制度やSBT認証の枠組みにおいては、マスバランス方式が必ずしも広く認められているわけではありません。実際の物理的削減やサプライチェーン全体での実質的な排出低減を重視する考え方が強いため、帳簿上の配分だけでは十分と見なされないケースがあるのです。マスバランス方式を前面に出して環境貢献を強調すると、「実態を伴っていないのではないか」という疑念を招き、グリーンウォッシュと批判されるリスクも否定できません。
これは、マスバランス方式そのものを否定するという話ではありません。むしろ過渡期における現実的な選択肢として、一定の役割を果たす有効な手法であることは間違いありません。ただし、それを「最終解」と誤認してしまうことが問題なのです。社会はすでに一歩先を見ています。最近急速に進化しつつあるAIの活用などもその一つかもしれません。サーキュラーエコノミーが目指すのは、単なる帳簿上の環境価値ではなく、実際に地下資源への依存を減らし、排出を削減する構造そのものの転換です。
経営者の皆さまに申し上げたいのは、「制度があるから対応する」という受け身の姿勢ではなく、「制度をどう活かして自社の競争力を高めるか」という視点を持っていただきたい、ということです。GX-ETSはコストではなく、戦略の材料です。マスバランス方式を使うにしても、それを入口として、より実質的な低炭素化技術や再生材の高度利用へと進化させる道筋を描けるかどうかが問われています。
もしここで思考停止に陥り、「帳簿上の削減で十分だ」と考えてしまえば、将来国際市場で評価されない製品を抱えることにもなりかねません。他方で、制度をきっかけに本気で技術開発やサプライチェーン改革に踏み出す企業には、新たな市場が開けます。社会にとって本当に意味のある取り組みは、必ずビジネスとしても報われる。私はそのように確信しています。
マスバランス方式の限界を直視することは、決して悲観ではありません。むしろ次の一手を考えるための出発点です。日本企業がこの転換期をチャンスと捉え、帳簿上の価値から実質的な価値創造へと踏み出すことができるかどうか。いままさに、その覚悟が問われていると言えるのです。
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西田 純(循環経済ビジネスコンサルタント)
国連工業開発機関(UNIDO)に16年勤務の後、コンサルタントとして独立。SDGsやサーキュラーエコノミーをテーマに企業の事例を研究している。武蔵野大学環境大学院非常勤講師。サーキュラーエコノミー・広域マルチバリュー循環研究会幹事、循環経済協会会員