今回は映画の話から入ります。読者諸兄は”Zorba the Greek”、邦題『その男ゾルバ』という作品をご存知でしょうか? これは筆者が大好きな俳優アンソニークィンが好演した傑作映画です。本題から外れますが、この邦題の付け方は絶賛され、後で真似されています。北野武監督の『その男狂暴につき』は、ゾルバを意識していますし、コミックに『その女、ジルバ』なんてのもあります。ただし、内容は全く無関係で、単に題名だけをパロディとしてもじったものです。さらに脱線しますが、筑波大学の修士論文で『その女、ジルバ』を取り上げていた大学院生がいました。彼女に「『その男ゾルバ』を知っているか?」と尋ねると「知らない」とのことでした。まあ、昭和の時代の白黒映画ですから、知らなくても仕方ないのですが・・・。
この映画は、クレタ島を訪れた英国人バジルとそれを迎えたガイド役の男ゾルバの奇妙な友情と人生の哀歓を描いた作品です。
ゾルバの性格は粗野にして豪放磊落、屈強で楽天的です。一方バジルの方は紳士的、かつ知的で洗練されています。全く正反対の二人ですが、ウマが合い、クレタ島での活動が始まります。二人はそれぞれに恋をし、酒を飲み、クレタ島の生活を満喫しますが、実はゾルバには悲しい過去があり、それを隠して明るくふるまっていたのです。
最後にバジルが投資した鉱山開発が事故で失敗し、彼らは全てを失います。絶望的な状況下で二人は酒を飲み、そしてダンスを踊り始めます。辛いこと、悲しいことを全て忘れたかのように笑いながら踊り続けるのです。中年男の哀歓を描き、そしてゾルバという男の魅力を存分に語る映画は、名優アンソニークィンの代表作であると(私は)信じます。
そして、本来ギリシャ人とはこういう男だと英国人作家は示すために、彼は題名を“Zorba a Greek”ではなく“Zorba the Greek”にしたのだと筆者は考えます。
実際のところ、英国ではギリシャ人はあまり信用されていません。不名誉なことに、詐欺、横領、窃盗、盗品故買などの代名詞のように語られることもあります。
筆者がロンドンに赴任した際、ディーラーから車を買おうとしたのですが、英国人秘書に猛反対されて取りやめたことがあります。ディーラーの名前がパパドロキスというギリシャ人の名前で信用できないというのが理由です。調べてみたら果たして秘書嬢の言うとおりで、盗難車を扱っている怪しげな男でした。これは筆者のロンドンでの失敗第一号でした。
その英国人は、訳の分からない話や理解できない会話を”It sounds like Greek”「まるでギリシャ語のようだ」と喩えます。勿論、これはラテン系言語から隔絶した独特の言語であるギリシャ語ならではの事情によるものですが、背後にあるギリシャ人の胡散臭さも表しています。
筆者がアテネに行った時、ギリシャ人に「ギリシャを代表する最高の映画は何か?」と(勿論英語で)尋ねると、「その男ゾルバ」ではなく、メリナ・メルクーリの「日曜はダメよ」を挙げます。これも古い映画ですが、筆者には駄作に思えます。ちなみに筆者がギリシャ映画の傑作と考えるのは、テオ・アンゲロプロス監督の一連の作品群「シテール島への船出」「旅芸人の記録」「蜂の旅人」などですが、あまり一般受けしない映画です。
もう一度、ギリシャ人に”Zorba the Greek”はどうか?と尋ねると、「あれは英国とクレタ島の映画でギリシャ映画ではない」との回答です。アテネの人たちは、あまりクレタ島の人々を信用していないようです。さらにクレタ島に行って尋ねたところ、彼らは彼らでアテネの人々を信用していないようです。「ギリシャ人は信用できない」。あれっ?クレタ島もギリシャの一部ではないのか? はてさて、どちらが信用できないのか?混乱してきました。
「うーむ、まるでギリシャ語を聞くみたいだ」。
全く気の毒なことですが、クレタ島の人々は嘘つきという噂は確かにあるらしく、論理学で有名な、クレタ島人の発言の真偽という問題があります。
1.クレタ島人が「クレタ島の人々は決して嘘をつかない」と発言した。
2.クレタ島人が「クレタ島の人々は嘘しか言わない」と発言した。
という2つの命題を考えます。
1.の場合、もしクレタ島人が正直者なら、その発言も正しく、矛盾は生じません。仮にクレタ島人が嘘つきなら、その発言は偽となり、クレタ島人は嘘つきとなりますから、やはり矛盾は生じません。つまりパラドックスはありません。
一方、2.の場合、クレタ島の人が必ず嘘を言うなら、その発言自体も嘘となり、クレタ島人は正直となります。そうなると、今度はその発言も真なはずで、発言内容と矛盾し、パラドックスが生じます。
つまり、1.であれば矛盾はないけれど、しかしクレタ島人が正直者か嘘つきかは分かりません。つまり真偽は不明です。2.であればパラドックスが生じるので、2.の発言はそもそも論として偽となります。ただし、ここでは、発言者がクレタ島人であるという前提がそもそも嘘だった場合は除外します。
つまらない論理の問題について書きましたが、こんな例えに用いられるクレタ島人は実に気の毒です。筆者にとって、ギリシャ人はゾルバのような、陽気で多少いい加減な男であって欲しいのです。
そんなことを遠い昔に考えた筆者ですが、最近IRuniverseの方から、シュレッダー屑から回収した低品位のアルミスクラップのことをゾルバと呼ぶのだと教えて貰いました。はて?最初にこれを扱ったのがギリシャ人だからこんな名前が付いたのかな?なんで考えましたが、これはなかなか難しい材料のようです。
アルミの品位が低いのは当然ですが、残りの物質が何なのかが気になります。
もともとアルミは鉄鋼などに比べて圧倒的に融点が低いですから、リサイクルしやすい金属です。しかもボーキサイトから精錬するとなると膨大な電力が必要ですが、再溶解の場合は、それが不要で相対的に安価です。
しかし、ほとんどのアルミはアルミ合金になっており、銅、亜鉛、マグネシウム等を含んでいます。それらを分離するのが至難です。アルミ合金は何千番台かで、その組成が異なり、それらが混在したスクラップは、組成が安定せず、意外に使いにくいのです。もし、同じ型番だけで揃ったアルミスクラップなら、これはリサイクルに最適の材料と言えるのですが、そうは問屋が卸しません。
ゾルバは低品位というだけでなく、合金成分がさまざまで扱いにくい材料なのです。まあ、その分、価格も安いのでしょうが・・・。
では実際にゾルバを扱っている米国のシュレッダー業者はどんな具合なのか?電話をかけていろいろ訊いてみました。しかし、これがなかなか要領をえません。
まともに取り合ってくれた会社は全体の1/3程度です。現地でシュレッダー業者と言えば、海千山千、魑魅魍魎の棲む世界で生き残ってきた会社です。まず、こちらがゾルバを買う気があるのかないのか、冷やかしなのかを探ってきます。そして肝心なことはなかなか教えてくれません。教えてくれるのは・・・
1.ゾルバが欲しいなら相談に乗るが輸出はしない。コンテナ出荷だ。
2.成分の保証はゾルバという性格上、限界がある。
3.現金取引に限る。クレジットカードはダメだ。
4.価格は取引量で変わるので、何とも言えない。
ここで重要なのは、量が多ければ多いほど価格が上がるということです。通常の取引なら、大口になるほど、スケールメリットで単価が下がるのが普通です。日産のコストカッターだったカルロスゴーンは、鋼材購入について、量をまとめるからその分価格を下げろという理論で価格引き下げに成功しました。
しかし、ゾルバの場合はしばしば逆なのです。小規模な業者にとって、一定グレードのスクラップを大量に搔き集めるとなると大変で、輸送コストも手間もかかります。売り手市場になりますから、相場も上がることになります。つまり量が多いほど価格が上がるのです。大量に同じ品質の製品が市場に投入される「動脈」の世界とは逆の現象が「静脈」の世界では起こるのです。
それに加え、いろいろ事情がありそうですが、強烈な南部鉛(もとい訛り)の発言で筆者には聞き取れない部分が多かったのです。ゾルバにはいろいろ特殊な性質がありそうです。自分の英会話力の衰えも感じ、ちょっと暗澹とした気持ちになりました。筆者は受話器を置くと、思わずつぶやきました。
「まるでギリシャ語を聞いているようだ」
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久世寿(Que sais-je)
茨城県在住で60代後半。昭和を懐かしむ世代。大学と大学院では振動工学と人間工学、製鉄所時代は鉄鋼の凝固、引退後は再び大学院で和漢比較文学研究を学び、いまなお勉強中の未熟者です。約20年間を製鉄所で過ごしましたが、その間とその後、米国、英国、中国でも暮らしました。その頃の思い出や雑学を元に書いております。
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