GHGプロトコルと「土地セクター・炭素除去ガイダンス」
昨今注目度が高まるCO₂排出管理に関する議論の軸になっているのが、WBCSD(持続可能な発展のための世界経済人会議)などが中心となって策定した「GHGプロトコル」です。これは世界でもっとも広く利用されている温室効果ガス排出量の算定・報告基準であり、企業が環境経営を進めるうえで欠かせない指標となっています。要するに、企業活動による温室効果ガスを「どう測り、どう伝えるか」を世界共通のルールにしたもの、とご理解いただければ十分です。
ところが、そんなGHGプロトコルでも、農業や林業など「土地を使う事業」に関わるGHG排出管理はあまり得意ではありません。Scope1からScope3までで定義されているGHG排出量の中には、土地由来のものや土地によるGHG固定(=大気中からの除去)効果を表現する項目が含まれていないのです。たとえば、森林がCO₂を吸収する機能や、農地の管理方法によって排出・吸収が変わる事実は現実に存在しますが、これまでのプロトコルではうまく反映できていませんでした。
こうした課題を受けて、新たに「土地セクター・炭素除去ガイダンス」が策定されることになりました。経緯を振り返ると、まず国際社会全体で「ネットゼロ」が共通目標となり、単なる排出削減だけでなく「除去」の重要性が強く認識されるようになったことが背景にあります。森林破壊や土地利用の転換が地球温暖化に大きく影響していることは古くから指摘されてきましたが、パリ協定以降は「自然を利用した気候変動対策(Nature-based Solutions)」が重視されるようになりました。国際的にもカーボンクレジット市場の成長に伴い、森林吸収や土壌炭素固定を「どのように信頼できる方法で測定し、企業会計に組み込むか」が急務となったのです。こうした流れの中で、GHGプロトコルを運営する団体が2020年代初頭から議論を開始し、専門家や各国政府、企業関係者を巻き込みながらルールづくりが進められてきました。その成果のひとつが、今回の「土地セクター・炭素除去ガイダンス」というわけです。
現在進んでいる議論では、2025年第4四半期中の正式版リリースを目指して準備が進んでいます。これを受けて、これまで十分に扱われてこなかった農林業をはじめ、土地を使うあらゆる事業に対して、GHG排出管理の議論が大きく広がることが期待されます。とりわけ、森林経営や農地管理といった現場レベルの活動が、企業の環境報告や投資判断に直結してくる可能性が高まるのです。
しかしながら、この取り組みには課題も少なくありません。第一に、測定方法の精緻さです。森林吸収量や土壌中の炭素量は地域や気象条件によって大きく変動します。どこまでを「科学的に確からしい」とするかが難しいのです。第二に、二重計上の問題です。たとえば、ある森林の炭素吸収を地元の林業会社と、その木材を購入した建材メーカーの双方が同時に計上してしまうと、実際以上の「除去」が報告されることになりかねません。第三に、政策・規制との整合性です。国や自治体のカーボンクレジット制度との重複や齟齬が発生すれば、企業の混乱を招く恐れがあります。さらに、国際的に見れば、開発途上国での森林保護や農地管理をどう評価するか、資金の流れをどう設計するかといった論点も存在します。
日本の産業界、特に大企業ではすでにGHGプロトコルに従った排出量の開示が始まっています。今後、土地利用、特に「除去」に関する考え方が反映されるとなると、既存の開示に見直しが必要になる可能性があります。過去に遡って数字を修正するのか、それとも導入前と後での差異を注釈で補足するだけで済ませるのか。いずれにせよ投資家や金融機関に向けて、説明責任を果たす準備が求められるでしょう。
加えて、業種業態を問わず、実業の世界ではほとんどの企業が何らかの形で土地を利用しています。自社工場や倉庫の敷地、研究所の緑地、あるいはサプライチェーンの upstream に存在する農林業の取引先などです。さらに海洋による炭素除去効果(ブルーカーボン)との関わりも無視できません。今後、企業が確認すべき項目は極めて多岐にわたることが予想されます。
裏を返せば、ここにこそ新しいビジネスチャンスがあります。森林管理を強化する林業、土壌炭素を高める農業、藻場やマングローブの再生を通じた海洋プロジェクト。こうした取り組みは「コスト」ではなく、将来の収益基盤を作る「投資」として捉えるべき時代に入りつつあります。サステナビリティに真剣に取り組む企業ほど、ガイダンスを活用して競争優位を築くことができるはずです。
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西田 純(循環経済ビジネスコンサルタント)
国連工業開発機関(UNIDO)に16年勤務の後、コンサルタントとして独立。SDGsやサーキュラーエコノミーをテーマに企業の事例を研究している。武蔵野大学環境大学院非常勤講師。サーキュラーエコノミー・広域マルチバリュー循環研究会幹事、循環経済協会会員