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元鉄鋼マンのつぶやき#146 ATR社について考える その4 Versatilityこそ生き残りの鍵

2025/12/02 09:58
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元鉄鋼マンのつぶやき#146 ATR社について考える その4 Versatilityこそ生き残りの鍵

先日、ドイツ旅行にでかけた筆者の妹が「なぜかベルギーに着陸して陸路でドイツに入った」と怪訝な顔をしていました。これは「飛行機を利用することは環境に対する一種の犯罪」と考えるドイツの環境保護主義者達がドイツの空港の着陸料を法外に引き上げ、その結果、多くのエアラインがドイツ国内の空港への着陸を諦めたからです。

筆者は、飛行機に乗ることを犯罪または恥と考えるこの極端な思想を持つ人を“グレタ主義者”と呼び基本的に相手にしませんが「欧州域内の短距離の移動なら鉄道を使え」という主張には確かに一理あります。

それなら狭い日本列島でも、離島航路を除いて鉄道を使え!ということになりそうですが、そうは行きません。前報で申し上げた通り日本の新幹線の輸送能力も限界です。ハブ&スポークと言いますが、日本では東京への一極集中が進みすぎパンクしそうです。「全ての道はローマに通じる」かどうかは分かりませんが「全ての新幹線は東京駅に通じる」は事実です(あっ!西九州新幹線は別です)。新幹線でカバーできない分は、空の輸送に頼りたくなります。

でも離発着回数が限られるハブ空港の便数も限られます。ここはハブ空港を避けて、ローカル空港間を結ぶネットワークを構築し、リージョナル航空を利用するのがベストです。一回当たりの輸送量は少ないでしょうし、輸送距離も短く滑走路も短いなら、ターボプロップ機がベストです。

新幹線だけではありません、道路交通の輸送も一部肩代わりできます。今、日本は深刻な運転手不足に悩んでいます。トラック輸送は限界です。バスの運転手不足も深刻で路線廃止や減便が発生しています。せめて長距離のトラック輸送だけでも航空機が肩代わりできれば大助かりです。

でも本当に日本のリージョナル航空に需要はあるのか?それもターボプロップ機にあるのか?という疑問があるでしょうが、これはもうダボハゼのように需要を取り込むしかありません。

観光客、出張などの旅行者の他、郵便物、急増する宅配便の貨物、生鮮食料品や花卉などなんでもありです。例えば、大間のマグロは、今はトラックで東京に移送していますが、三沢から茨城空港まで飛行機で運ぶ方法もあります。筆者には縁の無い話ですが、高級な水産物は単価も高く、航空輸送に耐えられます。

貨物輸送の場合、どの大きさの航空コンテナが使えるか?という問題がありますが、筆者は航空コンテナに拘らなくていいと思います。バルクキャリアとして、パレットに積載した状態で使えればいいと思います。もっと言えば、使い方に応じて、客席と貨物室を自由に切り替えられるバーサタイルな飛行機(使い勝手が自由な飛行機)を目指せばいいと思います。これからの時代はVersatilityの時代です。

ATR機の特長の一つはドアの大きさです。機体直径に対してあれだけの大きなドアを持つ飛行機は他にあまりないと筆者は思います。それを利用しない手はありません。コンテナに規定されず、大型の貨物を積載すればいいでしょう。

FEDEXが発注したATR72-600Fのような貨物専用機である必要はなく、コンビあるいは必要に応じて機内のレイアウトを変更できる機体が最適です。

読者諸兄ご存知の通り、飛行機にとって貨物室のドアは鬼門です。もっと言えば胴体の開口部は全て鬼門です。過去にお粗末な貨物室のドアのトラブルで大事故が起き、多くの人が亡くなっています。貨物ドアだけでなく機体の開口部は全て小さい方が、そしてできれば無い方が好都合なのです。逆に開口部を大きくしようとすれば、設計者にとってそれは大きな冒険です。

かつて筆者がボーイングB-787の部品を作る川崎重工の工場を見学した時、従来機より大きくなった客席の窓の実物が置いてありました。それだけB-787では革新的な設計を採用していると主張したかったのでしょう。この窓を大きくすることが胴体(fuselage)設計者にとって、大きな挑戦であったことを説明され「この窓ならクセジュさん(筆者のこと)も通り抜けられますね」と言われて苦笑いしたことがあります。全く嬉しくありません。空の上で窓から体が吸い出される悪夢を想像したくはありませんから。

それはともかく前述の通り、大型の開口部は設計には制約を加え、困難さを増します。

それにもかかわらず、与圧式の機体に大型のドアを採用したATR社の設計陣に敬意を表します。前述の繰り返しになりますが、そのドアを活かし、大型貨物(ただし重くはない)の運搬をPRすれば、ATR72-600が独占できる世界があるはずです。

ATR機をPRし日本の空に普及させるには、いろいろな方法があります。例えば、プロスポーツのチームの移動用にチャーター便、あるいは球団の所有機として使う方法があります。一つの例として、日本ハムファイターズの球団のチャーター便として、丘珠空港を拠点にして全国の遠征やキャンプ地への移動に使う方法を提案します。機体には派手に新庄監督の顔写真を塗装して、目立つようにすれば、球団のPRとATRのPRが同時にできます。昔はチームの全選手が同じ飛行機には乗らないようにする・・というルールがありましたが、今はそんなことを気にする人はいません。

ATR機なら1軍選手全員の移動ができますし、ジェット化されていない地方の空港にも、南西諸島のキャンプ地にも飛べます。機材を有効活用するためにチームが使わない時は定期路線の運航に使えるようにすればいいのです。そんなに都合よくいくか?という心配はあるでしょうが、昔と違いAIを活用して機材繰りを合理化できます。特定の顧客へのチャーターを優先しながらしかも定期便にも使える最適解が探せるはずです。日本ハムファイターズだけでなく、どんなチームにも使えますが、相撲部屋だけはダメです。おそらく定員の半分くらいしか搭乗できないのではないか?と考えます。

ではそのような小回りの利く経営ができるエアラインはどこか?と考えた場合、筆者はジェイキャスエアウェイズを思い浮かべます。同社は関空を拠点にして日本海側と西日本の運航を考えていますが、筆者が考えるビジネスモデルに近い営業を考えているみたいです。新幹線網がなかなか届かない裏日本(もとい日本海側)を狙うところなど着眼点が鋭いです。

筆者は富山県の非鉄金属メーカーと若干の縁がありますが、ジェイキャスエアウェイは三協立山やYKKといった北陸のメーカーにもコンタクトして協力を仰いでいます。やはり着眼点が鋭いのです。

話は脱線しますが、筆者はジェイキャスエアウェイズの白根清司氏に注目しています。彼は日本航空時代にETOPS緩和により、たちまち3発機が駆逐され、旅客機が双発機ばかりになったのを経験しています。(ETOPSとは故障でエンジン1基だけになった状態で最寄りの空港に60分以内に着陸できるように規定するもので双発機の航空路を著しく制限していました)。

また、運航乗務員数を3名から2名に減らす改革(ボーイングの場合B767から、或いはB747のジャンボでは-400型以降で2名乗務が可能になった)で、エアラインの経営合理化に大きく寄与した時も日本航空社内でそれを体験しています。

ある種のルール変更が提案され、それが実現した時は新興のエアラインにとって勢力拡大の一大チャンスであることを知る人物です。彼がATR機を運航するジェイキャスエアウェイズを経営するなら、国交省にも働きかけて新たな規制緩和、或いは逆に規制強化を提案して変革を模索するかも知れません。例えば米国のスコープクローズ的なものを導入して大手エアラインのローカル線への参入を規制する作戦もありえます。(これは筆者の無責任な思い付きであり、白根氏や同社がそう考えているという訳ではありません)。スコープクローズとはハブ空港と地方空港を結ぶローカル路線に飛べるリージョナルジェットの重量や乗客定員を規定するもので、これによって大手航空会社(メガキャリア)とリージョナル航空の棲み分けを実現し、パイロットの雇用を確保しようというものです。この規制によって三菱MRJは米国を飛べなくなり、同計画断念の理由のひとつになったものです。

日本の航空業界も、フルサービスのエアラインとLCCの競争激化、JALグループ、ANAグループと新興の小規模航空会社の競争激化など、混沌の度を増しています。どこかで棲み分けのための規制が必要になるかも知れません。その台風の目にジェイキャスエアウェイズはなりえますし、その場合、ATR72機も大きな意味を持ちます。

ではATR機は今後、どの方向に向かうのか? すでにハイブリッド化という目標が示されましたが、それだけではないと、筆者は考えます。

突飛な思い付きですが、目指す方向のひとつとして運航乗務員1名化を、筆者は考えます。そんなバカな・・・というところですが、その根拠は次号で申し上げます。

 

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久世寿(Que sais-je)

茨城県在住で60代後半。昭和を懐かしむ世代。大学と大学院では振動工学と人間工学、製鉄所時代は鉄鋼の凝固、引退後は再び大学院で和漢比較文学研究を学び、いまなお勉強中の未熟者です。約20年間を製鉄所で過ごしましたが、その間とその後、米国、英国、中国でも暮らしました。その頃の思い出や雑学を元に書いております。

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