1. 危機の背景:複合要因による硫酸市場の逼迫
中東情勢の緊迫化に伴う硫黄供給の途絶と、中国による硫酸輸出停止が「二重打撃」を形成し、2026年初頭、世界の硫酸価格は歴史的高値である2,100元/トンまで急騰した。
世界最大の銅生産国であるチリにおいて、銅生産量の約20%を占める湿式製錬(SX-EW法)は硫酸輸入に大きく依存しており、今回の供給危機により極めて深刻な事態に直面している。硫酸は単なる化学工業製品ではなく、食料および金属サプライチェーンの基幹物質である。銅1トンを生産するにあたり、SX-EW法では約3トンの硫酸を消費する。2026年春、中東の地政学リスク、中国の輸出規制、世界原材料市場の変動という多重の供給ショックが、チリの銅産業を未曾有の危機に追い込んでいる。
2. 供給途絶の構造
中東情勢と硫黄供給
供給不安の第一の要因は、中東地域における地政学リスクの増大である。世界の硫黄生産量の24%を占める中東からの物流ルートが、ホルムズ海峡の混乱によって遮断された。硫黄は製酸工程の主要原料であり、その供給逼迫が直ちに硫酸価格の高騰を招いた。
中国の輸出規制
第二の要因は中国政府による輸出規制である。2026年4月10日、中国当局は同年5月1日から12月31日までの一般工業用硫酸の輸出全面停止を発表した。対象は国内の銅・亜鉛製錬における副産物硫酸全般であり、電子グレード等の高付加価値品のみが例外として認められた。 中国の2025年の硫酸輸出量は450万トンを超え、その約3割がチリ向けであった。チリは毎年100万トン以上の硫酸を中国から調達し、同国の銅生産量の約20%を支えている。中国税関データによれば、2026年3月の対チリ硫酸輸出量はゼロを記録し、前年同月の15.1万トンから完全に途絶した。これは規制発効前からの市場収縮を如実に示している。
3. チリ銅産業への直接的影響
チリ北部の乾燥地域では、SX-EW法による製錬が主流であり、硫酸価格の高騰は同国の生産コストを系統的に押し上げている。S&P Globalの分析によれば、硫酸価格の倍増はSX-EW法による銅生産コストをポンドあたり最低でも0.50ドル押し上げる要因となる。
現時点では銅価格の高止まりがコスト上昇を吸収しているものの、供給不足が長期化すれば、採算性の悪化した高コスト鉱山の減産・休止が不可避となる。アイバンホー・マインズの3月31日の報告によれば、硫酸現物価格は1トン500ドルを突破した。4月14日時点の国内指標価格は2,100元/トンに達し、年初の917元/トンと比較して約130%、前年同期比では約67%の上昇となった。
4. グローバル市場への波及効果
今回の危機はチリ一国にとどまらず、銅・ニッケルサプライチェーン全体に変容を迫っている。
供給側の動向
世界の銅生産の約80%は硫化鉱由来であり、乾式製錬では銅1トンあたり3~4トンの硫酸が副生される。中国の製錬業界にとって、硫酸価格は銅精鉱の加工賃(TC/RC)が歴史的低水準にある中での「利益緩衝材」として機能してきた。しかし、輸出禁止措置によりこの収益源が絶たれれば、国内の硫酸過剰と価格暴落を招き、製錬所の操業短縮を余儀なくされる可能性がある。
需要側の動向
モルガン・スタンレーの2026年4月10日付リポートは、中国の輸出禁止がチリの銅、およびインドネシアのニッケル生産に重大な打撃を与えると指摘した。コンゴ民主共和国やザンビアの銅・コバルトサプライチェーンも同様に影響を受けている。業界のコンセンサスとしては、短期的にはコスト増が主たる影響であり、銅生産の物理的な完全停止に至るには、ホルムズ海峡の物流障害が数ヶ月以上継続する必要があるとの見方が強い。
5. 対応策と今後の展望
チリ銅委員会は以前より2033年頃の硫酸不足を予測していたが、今回の危機により、国家製錬・精製戦略の加速が急務となっている。コデルコ、グレンコア、およびエナミによる製錬所建設計画や拡張計画が進められているが、稼働までには数年を要する。
長期的には、世界的な硫酸供給体制の再編が予想される。
- チリをはじめとする主要消費地における、地域内副産硫酸回収能力への投資拡大。
- モロッコ、インド、インドネシアなど、新たな硫黄製酸ハブの形成。
- 中国における、輸出大国から硫黄輸入・深加工大国への戦略的転換。
2026年の硫酸危機は、グローバルサプライチェーンの脆弱性が地政学リスクによって顕在化した典型例である。硫酸が「産業の脇役」から「戦略物資」へと転換した今、「銅・硫黄連動」は世界非鉄金属市場における最重要の投資テーマかつリスク管理変数として位置づけられるべきである。
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(趙 嘉瑋 編集IRuniverse)