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鉄子の部屋#32 「たたら製鉄の近代史」シリーズ④ 和洋折衷方式官営広島鉱山

工部省の官行釜石と中小坂の両製鉄所が明治15年(1881年)に休業に追い込まれて以降、明治34年(1901年)に官営八幡製鉄所が操業を開始するまでの間、大規模な製鉄資本の勃興がみられないなかで、日本の製鉄業は陸海軍の工作庁によって主導されることになった。
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