【コモディティと人物余話】 幕末の風雲児・坂本龍馬が「船中八策」に記載した金・銀の交換比率

明治新政府の大方針を示す「五箇条の御誓文」は、坂本龍馬が起草した「船中八策」がもとになったとされる。船中八策には、幕府に政権を返上させ、天皇を中心とした国家統一をするため、議会の開設や新憲法の制定などが盛り込まれた。特筆すべきは、八条項の最後に「金銀物価よろしく外国と平均の法を設くべき事」とあることだ。(画像はyahoo画像から転載)
安政5年(1858)の日米修好通商条約で米国ドルと日本の貨幣を交換する際のレートが決められたが、それは日本にとり非常に不利な条件だった。外国貨幣との交換比率を考える場合、金あるいは銀の含有量を問題にしなければならなかったが、この条約では金銀の目方のことしか考慮されていなかった。分かり易く言うと、日本では金が外国と比べ約3分の1しか値打ちがなかったと思われていたことになる。
日本は同様の条約をオランダ、ロシア、英国、フランスとも締結した。金と銀の交換比率が外国のそれと著しく異なっていたことで、国内の金が海外に流出することになり、やがては財政悪化を招き、結果的に幕府崩壊の一因となった。
ところで、慶応2年(1866)の薩長同盟成立に関連して、犬猿の仲であった薩摩藩と長州藩を結合させるのに、龍馬が米(こめ)に目を付けたことも興味深い。幕府との戦(いくさ)を前に長州藩が必要としていたのは洋式軍艦や鉄砲など近代的な武器だった。長崎で外国人商館から購入できたが、そこは幕府の直轄領だった。長州藩士が外国商人と接触して武器を購入することはほとんど不可能で、実際、何度も試みては失敗している。
一方、薩摩藩は食糧、とりわけ米を必要としていた。戦時に備えての兵糧米が十分でなかったのだ。当時、薩摩藩は幕府側であったため、武器購入が可能だった。こうした情勢下、龍馬は一計を案じる。薩摩藩の武器を長州藩へ、長州の米を薩摩へというバーター取引を思い付き、しかもこの実務を龍馬の亀山社中が一手に引き受けるというものだった。龍馬は不可能といわれた薩長同盟を有無相通ずるの発想で可能としたのだった。
(在原次郎)
コモディティ・ジャーナリスト。エネルギー資源や鉱物資源、食糧資源といった切り口から国際政治や世界経済の動向にアプローチするほか、コモディティのマーケットにかかわる歴史、人物などにスポットを当てたリサーチを行なっている。『週刊エコノミスト』などに寄稿。
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