アルゼンチン揺るがす暗殺未遂 凶器に指紋なし 通貨危機の中で政治絡みの複雑な捜査に

このコラムで8月、通貨危機に見舞われているアルゼンチンについて記した(→ 通貨危機のアルゼンチン 混迷の背後に「エビータ」の影)が、その通貨危機の「主役」の1人とも言えるクリスティナ・フェルナンデス副大統領(元大統領)の暗殺未遂事件が9月1日に起きた。顔面に銃口を向けられた映像は世界を駆け巡った。
支持者を装って近付いた容疑者は引き金を引いていたが幸いにも発砲されず、フェルナンデス副大統領は難を逃れた。ラテンアメリカでは暗殺が日常に近い場所にあることを改めて思い知らされる事件となったが、一方で事件をめぐる不可解な事実が明らかになるなど、捜査は複雑な展開をたどりそうだ。
フェルナンデス副大統領は2007年、夫のネストル・キルチネル大統領(当時)の後を引き継ぐ形で大統領に就任し2015年まで務めたが、大統領在任中の公共工事の入札をめぐる汚職事件で今年8月、連邦検察官から12年の禁固刑と無期限の政治資格のはく奪を求められた。フェルナンデス副大統領は現政権でも政治的に大きな影響力を持っており、これをきっかけにアルゼンチンは通貨危機だけでなく、政治危機にも陥った。
フェルナンデス副大統領が所属する正義党(ペロン党)は左派で、ポピュリズム的な色彩が濃い。その分、労働者階級からの支持は熱狂的だ。
ブエノスアイレスの高級住宅街、レコレタ地区にあるフェルナンデス副大統領の自宅前には、検察官の判断後、連日のように支持者が詰めかけていた。興奮した支持者が警官隊と衝突する事態も起きていた。暗殺未遂事件はまさに、そのフェルナンデス副大統領の自宅前で起きた。
事件前、フェルナンデス副大統領は夜間に群衆の前に現れ、団結をアピールすることもあった。その際も支持者の目と鼻の先に立ちマイクを握っていた。周辺には群衆目当てで屋台が出店され、空腹の支持者が集まるなど、混沌の中ののどかさというラテンアメリカ特有の光景が広がっていた。
2023年の大統領選で、再び大統領の座を狙っているとされるフェルナンデス副大統領にとってみれば、連邦検察官の「求刑」は「司法の暴走」で、支持者をかきたてる絶好の機会でもある。政権側は一斉に検察側を批判し、メキシコやコロンビアなどラテンアメリカの左派政権もこれに追随してフェルナンデス副大統領への支持を表明した。
一方で、政権側の態度を「司法への介入」と批判する声も、当然ながら湧き上がっている。野党側は反発を強め、中道右派のマクリ前大統領は「副大統領の支持者や同盟国は暗殺未遂事件を政治的に利用している」と強く批判している。
厳しい判断を下した連邦検察官は、フェルナンデス副大統領が大統領時代に任命されている。
暗殺未遂事件で逮捕されたのは35歳のブラジル国籍の男だが、謎が多い。サバグ・モンティエル容疑者は、アルゼンチン人とチリ人の間に生まれ、子供のころからブエノスアイレスに住んでいたという。
定職にはついていなかったようで、アプリケーションを利用して客を乗せるドライバーをしていたほか、最近ではガールフレンドと共に綿菓子を売っていたという。
ソーシャルメディアに自分の姿を何度も投稿しており、短髪だったり長髪だったり、あごひげをはやしたり剃っていたりなど、顔のイメージがコロコロと変わるという。また、ナチスのシンボルマークに似た入れ墨を腕にしており、ソーシャルメディアでもそれを投稿していた。2021年には、刃渡り35センチのナイフを違法に所持した容疑で訴追されたことがある。
暗殺未遂事件の犯行動機はいまだに明らかになっていないが、捜査の過程で不可解な事実が浮上している。
押収された容疑者の携帯電話のデータが一時、消えていた。押収後、暗殺未遂事件を担当する連邦検事官の元に携帯電話が届くまでに2つの警察組織が携帯電話を扱っていたとされるが、何者かがデータを消した可能性もある。データは復元されたと伝えられているが、捜査の信頼性を揺るがす事態が起きているようだ。
また、アルゼンチンの複数のメディアによると、暗殺未遂に使用されたとされるベルサ・サンダー32口径半自動拳銃に容疑者の指紋が残っていないという。現場で容疑者が取り押さえられた際に、捜査員や支持者に拳銃が踏みつけられるなどしたためだと報じられているが、凶器の断定にかかわる問題だけに、捜査当局を悩ましている。
現場で容疑者が持っていたピストルはおもちゃの水鉄砲で、何者かが途中ですり替えたのではないかとの話しが、まことしやかにささやかれ始めるなど、凶器であるピストルの存在が捜査の大きな焦点となった。
そんな中、事件から5日たった9月6日に、復元された容疑者の携帯電話のデータの中から、容疑者が拳銃を持つ自撮り写真が見つかったと、一部メディアが特ダネで報じた。「データ消滅、指紋未発見の後に、タイミング良く自撮り写真が出てきた」との印象を持つアルゼンチン国民は少なくない。
犯行時に現場近くにいた容疑者のガールフレンドも身柄を拘束されており、捜査当局は複数による暗殺未遂との見方を強めている。
スマートフォンを持った群衆の中で起きた目撃者の多い暗殺未遂事件の捜査は、現場では見えない背後を深く探る展開になるかもしれない。
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Taro Yanaka
街ネタから国際情勢まで幅広く取材。
専門は経済、外交、北米、中南米、南太平洋、組織犯罪、テロリズム。
趣味は世界を車で走ること。
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